第25話 ドラッグ

 渡された紙を見ても、数式やら見たこともない文字列が並んでいて、何のことかさっぱり理解不能だ。

「土から漏れた薬が湖になだれ、結果として魚が死滅した」

「ってことは、湖付近で薬の取引があったってことは確定か。薬は三区の奴らが作ったのか?」

「一区の奴らならば、わざわざ二区と三区の狭間で取引などしないだろう。幻影、幻聴、夢の世界へのトリップ。そして異常な高揚感。三区で流行っているようだ」

「シェリフはどうしてるんだ?」

「さすがに動いている。あいつらにも身の危険が及ぶ可能性があるからな」

 保身が理由であっても、きっちり解決に導いてくれるのならばいいと思う。こんな世界だ。身を守ることが第一優先。

「なに?」

「体調が回復したところで、お前に説教をしなければならない」

 有無を言わせず座れ、と隣を指され、おとなしくソファーに座った。

「何を考えている」

「いきなりなんだよ」

「誰がハクに関して聞けと言った」

 本気で怒っていると、冷静なアルネスは声を荒げた。珍しい姿だ。

「俺の判断。政府の奴らとズブズブなんだろ? なら何か知ってる可能性もあるし」

「そんなつもりでお前を外に出したわけではない」

「怒るなよ」

「許さない」

 アルネスは俺の両頬を掴むと、強制的に目を合わせた。

「俺にも考えはあったんだって。手が空いていて情報を集められる人が動けばいいと思った結果だよ。鳥を使ってカメラで撮影しても、何か情報は得られたのか? 映像だけじゃないのか?」

「……………………」

「あの鳥だっていつも飛ばせるわけじゃないし、動けるときに動いて情報収集すべきだ。実際にハクの居場所は政府のいる孤塔だって、確定したわけじゃないんだから」

「…………確定、かもしれない」

「………………は?」

「ハクは、孤塔にいる」

「……いつ知ったんだ?」

「二日前」

 俺がバーで酒の飲み過ぎで記憶を失った日だ。雨も降り、しばらく家に帰れなかった。起きるとカプセルに入れられていて、俺は二度寝した。我ながら前向きな性格だと思う。

「お手柔らかに問いただしたら、ハクが政府に連れて行かれるのを見た男がいた」

「じゃあ……」

 穏和な問いただしはどんなものか、酒に潰れていて良かったと思う。きっと、見てはいけないアルネスを見られたはずだ。

 怒っていたはずの手は、頬のマッサージに変わり、俺は身を委ねた。気持ちいい。

「薬と関係があるのかな」

「なぜそう思う」

「ハクが誘拐されたのと、近い時期に起こったから」

「それだけでは何の確証もない」

 手は下ろされ、俺の頬は血流が良くなり少し熱い。もう少しむにむにしていてほしかった。

「そういえば……バーで会った男の一人が、ハクは特別な血が流れているって言ってたけど」

「身体のことだろう。それと、彼女は何か秘密を隠していたようだ」

「秘密? そんなの、あいつ一言も言ってなかったぞ」

「言わないから秘密というんだ」

「あ、そうか」

「私も、彼女のことはすべてを知っているわけではない。私が彼女を見つめると、決まって居心地が悪そうに目を逸らした。本心を隠しているような、そんな目を瞼の裏にいつも隠す」

 そこまで理解しているのに、なぜ本心に辿り着けないのか。歯痒くて言ってしまいたくなって、歯に力を込めることしかできなかった。アルネスアーサーという男は、好意を向けてくる人に鈍感だ。

 ハクを思うと、小屋にいる山羊たちを思い出す。彼女が救ってくれた命は、数日会っていなかったが、今もはつらつと動き回っている。鶏は三歩歩けば忘れるというが、俺が小屋に入ると逃げ惑う鶏たちに、心に雹が降り注いだ。あれだけ面倒を見ていたのに、あの態度はいかがなものか。

「誘拐の条件も重なった。ハクには家族がいない。アンドロイドが一体いなくなったところで誰も探しはしないと踏んだのだろう。それとネズミ捜しの暴動にかこつければ、死んだと見せかけもできる。その結果がこれだ」

 これが政府の答えではないとしても、徐々に明らかになる政府のやり方に、癖はないはずなのに貧乏揺すりをしないと落ち着かない衝動が起こる。これがイライラの絶頂なのだろう。限界まで大きく息を吸い、止めて、ゆっくりと吐いた。いくらか落ち着いた。

 こういうときはどうしたらいいか。前向きに考えることだ。くよくよしていたってどうにもならない世界だ。まずやるべきことは、今の俺に何ができるか考える。それは。

「なあ、アルネス。ここ最近で、心臓移植の手術とか予定ない?」

「……………………」

 壁いっぱいの子供の落書きを見たかのように、苦悩の顔を浮かべている。

「悩みの種を撒いてごめんな?」

「私の頭痛の種となると、一応、自覚はあったのだな。撒き散らしすぎだ、馬鹿者」

「どういたしまして。それで、ある?」

 アルネスが俺を睨んでもへっちゃらで、なぜなら俺は、ある程度の確信があって言っているからだ。先に目を逸らしたのは、耐えきれなくなったアルネスだ。

 俺がカプセルから出ると、着替えやタオルの他に机に紙が数枚置かれていた。うっかりミスは珍しいと思う。そのおかげで、俺はこれからの予定を知ることができたんだけれど。

「……二週間後に」

「なあ、」

「駄目だ」

「まだ何も言ってないじゃん」

「おとなしくしていろ。ただでさえ、騒がしい日となる」

「なんで?」

 アルネスは空になったシュガービーツ茶を覗いている。機嫌取りのわけではないが、俺は早急に新しいお茶を入れ、カップに注いだ。

「一か月に一度、政府の人間が私たちの住まう地域にやってくる。シルヴィエが少し事情を説明したと聞いていたが」

「………あー! うん、確かに。いい子にしてればうまく進むって、前に言われたよ。アルネスの帰りが遅いときだ」

「異常がないか、暴動を起こそうとしている節がないか、見回りをする。私は地上に住んでいることになっているから、政府がいなくなるまでは地下に下りられない。帰りは遅くなる。ただ、手術室の様子を撮影して、後で見る分には問題ない」

「カメラって禁止なんだろ? 大丈夫なのか?」

「さすがに暴虐な人間でも、手術室までは入っては来ない。来たら……しめる」

 どういう意味の『しめる』なのか些か気になるところだが。部屋から閉め出すの意味なのか、俺としては、鶏をしめると同じ意味と音に聞こえるが、聞き返すべきでないだろう。

「二週間だ」

「うん?」

「道具、薬、専門用語。出来る限り二週間で頭に叩き込め」

 出来る限りって言うところが、アルネスの鬼になれない優しさだと思う。その優しさが、いつか身を滅ぼさないか心配になる。

「覚えるよ。約束する」

「出来によっては、撮った映像を見ながら解説してやろう」

「どうせなら、満点取って自慢の息子だって言わせてやるよ」

「言ったな」

 愛情をぶら下げたニヒルな笑みで、一度出て行ってから手いくつかの冊子を抱えて戻ってきた。アルネスお手製の知識の魂そのものだ。渡すだけ渡して、アルネスはシャワールームに入っていった。


 そしてきっかり二週間後。手書きの問題に四苦八苦しながら解いていき、およそ八割の正解を誇った。アルネスの顔色からして、まずまずだろう。

「まさか五十問もあるとは思わなかったよ……」

「百問の方が良かったか?」

「充分です、ありがとう」

 良くやった、とお褒めの言葉とアルネスお手製のスープで夕食を取った。普段は薬に使うため、内蔵は食べないのだが、スープの中に生々しい臓物がぶつ切りに入っている。アルネスなりのサービスなのかもしれない。

 食事の後は、甘いシュガービーツ茶で乾杯だ。

「お前は記憶力がいいな。まさかここまで解けるとは思わなかった」

「自慢の息子だろ?」

「…………調子に乗るな」

 とか言いつつも、えらいえらいと頭を撫でてくれるものだから、アルネスは大概素直じゃない。やることが三歳児に対するアレだ。もしかしたら、アルネスの中で俺にどう接していいのか悩むときがあるのかもしれない。

「約束通り、解説をしながら見せてやろう」

「食事の後かあ……ちなみにスープの謎肉はどこの部位だったんだ?」

「心臓」

「……………………」

「流すぞ」

 この世界で禁止されているパソコンに繋ぎ、いよいよ画面に映し出された。

「具合が悪くなったら言え」

「おう」

 心臓の手術の前に心臓を食べさせておいて、優しい言葉をかけるあたり、アルネスアーサーだなあと思い知らされる。しかし、部位は分かっても、どんな生体の一部だったのかは聞くべきではない気がする。そこはそっとしておこう。

 横たわる女性は、なんとなく先日会った老婆に似ていた。不安そうにアーサー先生、と投げかける女性に、アルネスはぽんと肩を叩く。

「酸素マスクだが、患者につけているものは人間が吸っても生きていけるほどの清浄なものだ。点滴は麻酔。心臓移植は全身麻酔を行う」

 徐々に患者の意識が失っていく。モニター音は聞き慣れない、慣れたくない規則的な音だ。無理するなという視線をはねのけ、画面に釘付けになる。

 金属がぶつかるような音もアルネスの息遣いも、すべてマイクが拾っている。メスを持つ手が、食事中のアルネスと被る。それほど違和感もなく、馴染みすぎている。血だらけになる手も美しい。滑らかな手つきがそう思わせるのかもしれない。喉まで出かかった言葉を止めた。この世界で血が似合うなど、褒め言葉にはならない気がした。

「この場面だ」

「どうした?」

「足下に火がついた」

 心電図モニターが焦っている。

「何百年聞いていようとも、この音は慣れない」

 息を吸う余裕すらないほど、アルネスの手つきは忙しなくなった。ガーゼが血に塗れ、新しいものに変えてもすぐに赤黒く染まる。心臓、モニター、心臓。目線が定まらず落ち着かない。

「アルネスって、手術が上手くいかなかったときはある?」

「最近はない」

 努力の跡が垣間見える。枕を濡らしてしまいそうだ。

「このあたりで落ち着いた。次はメイン」

「このお婆さんって、なんで移植必要だったんだ?」

「心臓弁膜症。中でも、大動脈弁狭窄症と呼ばれるものだ。動悸や息切れが起こると疑いがある。が、老婆は放っておいてしまった。風邪とは違い、自然には治らない。簡単に言うと、全身へ血を送れなくなる」

「移植じゃないとどうにもならないのか?」

「この患者はどうにもならない」

 他にも負担をかけているものがある、と付け足した。

 心電図モニターに安堵の息を吐き、再び手が動き出す。腹部を縫合していく。縫合にも何種類かあったはずだ。

 おおよそ三時間半もの間、画面に集中していた。

「お疲れ」

「アルネスがお疲れ様だよ……ちょっと目がしぱしぱする……」

「嘔吐くらいするかと思っていた。どうやら医者に向いているらしい」

「俺が?」

「少し、興奮していただろう?」

 さすが父親というか、実はその通りだった。何に興奮していたのかは、血なのかアルネスの手さばきなのかは分からないが、常にアドレナリンが放出されているようで、目の前がくらくらする。

「お前は医師になりたいのか?」

「正直な話、真面目な話をするとだな……医者になりたいんじゃなく、心臓移植の手術を覚えたい。その他は後回しでいい。簡単なものじゃないのは分かってるけど、他のものを脳に叩き込むより、まずは心臓移植」

「……お前に、会わせたい人がいる」

 新しく入れてくれたお茶は、少し温めでするすると喉を入っていく。ちょうどいい濃さだ。

「誰?」

「生き長らえているアンドロイド」

「どういうこと?」

「心臓が止まることもなく、数百年生きている」

「死ねないアンドロイドか?」

「いや、老いが確実にやってきている。そのように作られたアンドロイドだ。一区と二区の狭間にある森の中に住んでいる」

 一区といえば、アルネス曰くとっつきにくい上流階級様たちが住む地域だ。そして政府とシェリフに守られている連中。革命を起こそうとするアンドロイドもいない。アルネスの苦虫を潰したような顔が忘れられない。

「外にも最新の設備の空気清浄機が設置されている。二区よりは歩きやすい」

「何でも特別扱いなんだなあ」

「土地も高い」

「アルネスは住めるんだろ?」

「住めても、アンドロイド同士噛み合わん」

 いつか、行ける日は来るのだろうか。この様子だと、敷地内にすら入らせてもらえないだろう。

 果てしない、気が遠くなるような夢だけれど、いつかアルネスが自由に行き来できるような、そんな世界になれたらと思う。その隣で俺も歩いて、キメラみたいなやつじゃなく、犬の散歩でもできたら……そんな夢を語るにはまだ早い。

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