第26話 得たもの
「よし、行こう」
薬の効果も確認し、緊張を保ちながら地上を踏んだ。
「さむ……いいって、アルネスがつけろよ」
首にマフラーを巻こうとするアルネスを押し留め、早く行こうと促した。不服そうでも、黙って巻かれてしまったらアルネスが風邪を引く。
「誰も歩いてないな」
「特に寒いからな。寒波が押し寄せている」
「おしくらまんじゅうでもする?」
「なんだそれは」
「背中を合わせて、お尻でぎゅーって押す遊び」
「……したいのか?」
「え? 冗談だよ。子供の遊びだし」
「お前に……私は、玩具のひとつも買ってやれなかったのだな……」
「ええ……なんでそんなぶっ飛んだ思考になるんだよ……メスとか注射器とか触らせてもらってるし充分だって。そこ、右じゃないのか?」
二区から一区への道を辿るたび、分かりやすいほどに村から町に変化していく。政府のいる孤塔付近であれば、もっと差があるはずだ。
しばらく呆然と見ていると、俺の気の済むまで待っていてくれたアルネスは腕を強く引っ張った。
俺より視力の良いアルネスは、奥でうろうろしていた人に気がついた。急ぎ足で歩く彼の背後を追いかける。
「さっきの誰?」
「シェリフだ。腕に腕章をつけている。あちらは気づいていない。会わないに越したことはない」
森というより、林に近い区域に足を踏み入れる。入った瞬間に嗄れた鳴き声がし、咄嗟にアルネスの白衣を掴んだ。
「キメラの一種だ。人間は食わんから心配しなくていい」
「まるで人間を食べる生き物がいるみたいな言い方じゃん……」
「…………行くぞ」
否定もせず、道のない先を目指していく。寒冷のこの時期は下生えも雑木も比較的穏やかで、脱ぎ散らかした枯れ葉が数えられるほど落ちているだけだ。これが甘い実をつけているとなると、どんな生物がやってくるのか。
「ひっそりしてるなあ」
「あの家だ」
こじんまりとした、けれど煉瓦でできた頑丈そうな平屋の家だ。壁にまとう蔦が、魔女の家のようで、年季を感じさせる。
ドアノッカーを叩くが、何の反応もない。
「誰もいないのか?」
「入るぞ」
ドアノブは止まらず、簡単に回る。鍵は掛かっていない。
アルネスが白衣の中に手を入れるのを見て、俺も慌てて腰に手を伸ばした。
勢いに任せて開いた扉の奥には、嵐が通った跡のような見るも無残な状態だった。
「おじいさん!」
「凪、ドアに鍵を」
冷静に指示を出し、アルネスは老人の元に駆け寄り、息があるか確認をする。老人は小さく唸り声を上げ、苦しげに顔を歪ませた。
「何があった?」
「お前……アーサーか……」
「ああ、そうだ。勝手に上がらせてもらった。来たら、この有様だ」
「鍵を……掛け忘れてしまった。獣が入ってきた」
「不用心だな」
血の滲むズボンを切ると、噛まれた跡がある。傷口が見えなくなるほど血が溢れていた。
「これを飲ませてやってくれ」
「アルネスは?」
「応急処置の道具がない。一度家に戻る」
「待て……あの棚だ。薬がある」
棚には救急箱が入っていて、子供でも扱えそうな簡易の救急キットだ。アルネスが準備をしている間、俺は台所から浄水を持ってきて、抗生物質を飲ませた。
「そうか……お前は……」
俺を見て、老人は身を固くした。
「俺のこと知ってるの?」
「ああ……お前は人間だな」
俺は今、心底がっかりしていたのかもしれない。アルネスが作ってくれたフェロモンを抑える薬はが効いていないのかと、消沈した。
「子犬みたいな顔をやめろ。お前のことは話してあっただけだ」
「そうなの?」
「麻酔はお前が打て」
「うす」
悲しげに顔を歪ませたのは、今度は老人の方だ。なんて失礼な。
「大丈夫だって! いっぱい練習したし」
「待て……人間に打たせるのか?」
「私の息子だ。問題ない」
心なしか、鼻高々な物言いに聞こえた。だったらうれしい。
「先に痛みを抑える。凪、準備はいいか?」
「おう」
思い切りが大事だと、何度もアルネスに教えられた。練習台となってくれて軽く二桁は超え、麻酔は自信に満ちている。
除菌をした皮膚に押し込まれた液体は、少しずつ皮膚の内側に入っていく。こめかみから汗が流れ、アルネスが布で拭いてくれた。
「傷口を洗うぞ」
コップの水を皮膚にかけると、血と混じり地面に吸い込まれていく。汚れを落とし、消毒すると、深い傷口は縫合すると針に糸を通した。そして俺の目の前に差し出される。
「まじで?」
「それは止めてくれ……」
俺とご老人が口にしたのはほぼ同時だ。案外、気が合うのかもしれない。
「良かったな。練習台が目の前に転がっている」
「貴様……もう少し労れ」
「金は取らん。タダにしてやろう」
無料を突きつける代償は大きい。針を渡すアルネスは、父から医師の目に変わっている。こうなると何を言っても無駄だと麻酔の件で学んでいるので、俺はおとなしく針を受け取った。
「傷口の目立たない縫い方だ。やってみろ」
言葉での説明は難解なところもあったが、説明の縫い方は何度も録画で見た縫合だ。手探り状態のままアルネスの言う通りに針を通し、傷口が塞がったところで脱力する。それでもまだ安心しきれておらず、肩の荷がなかなか下りない。
「お前、名前は?」
「凪。アルネスにつけてもらいました」
俺と傷口、何度か交互に見た後、小さな嘆息を吐いた。それはどっちの意味なんだ。
「まさかこんなどん臭そうな子供のために、千年も捜していたのか?」
「ど、どん臭い?」
「頼みがある」
「断る。どうせろくでもない話だろう」
アルネスの口角が上がった。どうやら、一度断られるのは想定内らしい。
「凪、遅れたが、紹介する。彼はドイル。昔、医師もしていたが今は手を休めている。そして私がいない間、お前の先生を務めてくれる」
「……そうなの?」
「勝手に決めるでない。誰がやると言った」
「息子に、心臓移植手術のやり方を叩き込んでほしい」
「情報が多すぎるよ。ドイルさんは医者で、長生きで、……あとなんだっけ?」
「お前の師匠」
「勝手に決めるな。儂はもう医者ではない。メスは握らん」
メスを握る医者といえば、外科医が頭に浮かんだ。アルネスは歯も風邪も何でも対応して治す。アルネスに握られる道具は幸せだろう。与えられた役をまっとうしているのだから。
「手術しろとは言っていない。その腕を伝授してほしいだけだ」
「いきなり人間を連れてきたかと思えば、また戯れ言を……」
「奇特家だと言ってほしいものだ。傷を塞いでやっただろう」
「頼んどらん。お前たちが勝手に治しただけだ。獣が噛んだ傷など、放っておいても儂は死なん」
「ほう? 歯形の大きさからして、体高はおよそ四十センチほどだな。カーブを描いたような犬歯が八本。外に捨てられたキメラには見られない特徴だ」
「……………………」
俺でも分かるくらい、ドイルさんの背筋に緊張が走る。
「確か、政府が飼っていた獣に似た特徴のある犬がいたな」
「………………ふん」
ドイルさんは鼻を鳴らす。
「人間にもアンドロイドの味方にもならないあなたは、ここで何か揉め事を起こした」
「起こしたのではない。あいつらがやってきた。儂の身体を差し出せと」
「なんでドイルさんが?」
「長寿の彼が貴重な存在だからだ。撃たれても起き上がるアンドロイド兵器は、何が何でも作りたい存在だろうからな」
ドイルさんは何か言いたげに顔を上げるが、開きそうになる口を閉じる。目の前に死ねない身体を持つアルネスがいて、思うところがあるのかもしれない。
「脅されて、奴らは犬に儂を噛めと命じた」
「ついて行かなかったあなたは、心が決まっている証だ」
「儂はな、もう人間もこの世界もこりごりなんだ。お前たちと関わる気はない」
ドイルさんが町外れに住む理由なのかもしれない。アルネスほどではなくても、人間以上の寿命を宿した身体は、どれほど残酷な使命を課せられようとしたのだろう。きっと、今日の出来事は初めてじゃないと思う。
「こりごりだと言ったな? ならば終わらせるために、協力を要請したい」
「終わらせるだと……?」
唇が動くたびに、口髭もよく動いた。
アルネスと違うのは、老化現象が起こり、髭の色が白くなっている。彼は、ゆっくりであっても確実に死に向かって歩いている。
「どうやって? お前は見てきただろう。そういう思想を持つアンドロイドたちは、ことごとく処分されてきた。万が一成し得たとしても、その後はどうする」
「どうやって、の質問には些か答え難いな。その後の世界では……息子とふたりでバーテンダーでもやるか」
「アルネス……」
「いつからそんな軽口をたたくようになった? 儂の知るアルネスアーサーという男は、無慈悲で引き金を引くのも躊躇しない、酒より血を浴びるのがお似合いの男だぞ」
「私は冗談を言わない」
ドイルさんは曲がった背筋を伸ばし、小さく唸った。
「私は先の未来までは責任を持てない。なぜこれからの百年、千年後まで面倒を見なくてはいけない? ただ息子と平穏に暮らしたいだけだ」
またもや唸る。嗄れた声は、森で聞いた何かの動物の声にも似ていた。
「……怪我の手当代は、随分と高くついたな」
諦めの混じった声は、契約の証だ。
「毎日とは言わない。週に数回でいい。必要な専門用語は、凪は知っている」
息子を信じる父の言葉は、偽りで濁っていない。
「フン。専門用語を知っていても、道具を扱えなければ意味がない。儂は厳しい」
「よろしくお願いします!」
これでもかというほど、膝に頭がつくくらいに身体を折り曲げた。アルネスの手前、失敗は許されないし、何より俺のためを思って、こんな遠くまで連れてきてくれたのだ。
俺は蚊帳の外状態だったけれど、二人はこれからの段取りを話し合った。都合の良い日は、俺たちの家にやってきて、指導をしてくれる。ドイルさんの負った怪我や体調の悪化があれば、アルネスが無料で治療する。口頭での契約は、徐々に膨大になっていく。
帰り際に渡された年季の入った本は、ドイルさんが自ら書き記したものだ。これを明日までに詰めるだけ詰め込んでおけと、無理難題を叩きつけられた。アルネスのためを思うのなら、上等だと気合いが入る。
「ドイルさんって、優しいアンドロイドだな」
「そう思うのなら、考えを改めておけ。彼は人間もアンドロイドも嫌っている。過去に政府よりの考えを示していたこともある」
「けど今は違うんだろ? 感情なんて、明日にはどうなってるか分かんないよ。少なくとも、今はアルネスの考えに近いものを持っていると思う。彼なりに、この世界を変えようとしてるんだよ」
「……………………」
「あれ? 生意気?」
「サキに、世界を滅ぼすのも救うのも気持ち次第だと説教されたことがあった。そうだな……信じてみるのもいいかもしれんな」
顔も知らない母さんの話は、ほんの少しだけちくちく胸を痛めつけた。置いてけぼりを食らった子供の気分で、アルネスの白衣を掴むと自然と張った肩の力が抜けたので、家に帰るまでそのまま掴んでいた。
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