第24話 バーと謎の男

 丸い椅子に座ると、ぎしりと嫌な音が鳴り、酒を煽る男たちは視線を向けてくる。すぐにバーテンダーにビールを注文し、アルネスからもらった錠剤を口に入れ、噛み砕いた。圧倒的な苦さである。

 無言でカウンターに置かれたビールは泡が零れ、テーブルが汚れていく。アルネスが見たら卒倒しそうだ。彼はとても綺麗好きだから。

──黙って酒を飲んでいるだけでいい。余計な詮索はするな。

 同じ言葉を繰り返すアルネスは、俺が家を出るまで続けていた。これでもかと扉が閉まる直前まで言い続けた。苦笑いで対応すると、麗しのアンドロイドはさらにたたみかけた。

 もう一口ビールを飲む。奇態にも、喉に心臓が移動したのかもしれない。

「隣、いいか?」

 タイラーのような体つきの良い男性が、酒をテーブルに置く。俺は何も言わずに小さく頷いた。

「見ない面だな」

「二区から来た」

 男の目が細められる。

「一区にもバーはあるだろう?なぜわざわざここに?」

「……特に理由は、」

 そんなもの、考えていなかった。というより、一区にもバーはあるのか。

「お前、少し人間臭いな」

 全身の毛穴が開き、汗と熱が一気に放出される。アルコールも毛穴から出ていってくれたらいいのに。

「政府の人間と一緒だったんだ」

「ほう?」

 男の持つグラスの氷が、音を立てて崩れる。見ているだけでも身体が震えるほど寒々しい。

「なんでまた?」

「人を捜している」

「誰だ?」

「ハクという、身体の小さな男の子だ」

 横にいる男だけじゃない。回りに居座る男たちも、俺たちの話に耳を傾け、注視している。

 アルネスに、余計な詮索はするなと言われた。ばれたら、完膚なきまでに怒られるだろう。

「お前とそいつの関係は?」

「友達だ」

 酒を作っていたバーテンダーも手を取め、目を丸くする。

 その場にいたアンドロイドたちは大いに笑い、全員が俺の話を聞いていたと証明された。

「面白れえ話だな、そりゃ」

「酒のつまみにはなったか? けどこっちも真剣なんだ」

「あいつには特別な血が流れている。誰もが欲しがるのさ」

 それは、ハクの身体のことを言っているのか。分かったのは、目の前のこいつはハクを知っていて、さらに行方も知っている可能性があるということ。充分だ。俺の中で、当初の目的通りだ。

「そんなに知りたいか?」

「ああ、知りたい」

「なら決まってるな」

 男はバーテンダーと目配せをする。バーテンダーは棚から二本の大瓶を持ってきては、真ん中のテーブル席にそれを置いた。

「男同士の戦いといこうじゃないか」

「えっ」

「なんだ、まさか飲めねえとか言うなよ。ここはバーだ」

 正直、グラスに入ったビールだけでいっぱいいっぱいだ。緊張も重なっているせいか、うまく胃の中に入っていかない。

 回りの厄介たちは早く始めろと野次を飛ばし、乱れた空気の中でアルコールの匂いが強くなった気がした。

「ルールは簡単だ。一升瓶を先に飲みきった方が勝ち。負けた方は勝った方の言うことを何でも聞くというシンプルなルールだ。構わないよな?」

「あ、ああ……」

──敵地で相手のルールに従うなど、直情径行で無鉄砲な真似はするな。

 父上、ごめんなさい。もしかしたらという一縷の望みに賭けたいんです。何か知っているなら、三区の秘密や情報を根こそぎ奪えるチャンスだから。十中八九、馬鹿と罵られるだろうが、少しでも早くハクを見つけたいし、アルネスのために何かしたい。

 合図と共にグラスに酒を傾け、少しずつアルコールを嚥下していく。ビール以上のきつさがある。苦みと、舌や喉が焼けるような感覚。飲み慣れるよう毎夜晩酌をしたが、付き合ってくれる相手や環境が変わるだけでも、無鉄砲さに磨きがかかる。

 一升瓶の半分に差しかかろうとしたとき、視力は良いはずなのに、見えるすべてがかすみ、視界がぐらついた。

「おら、どうしたよ? 減ってねえぞ」

 手が震える。拳を作り、何度か握るとアルコールが指先まで上ってきている気がした。

 空になった一升瓶を投げ捨て、男は雄叫びを上げる。危険区域にいるキメラよりも、この男の方が獣らしい獣だ。俺の腕を無理やり掴むと立たせ、バーテンダーと何か話している。

「上の部屋は空いているか?」

「ああ」

「こっちは一週間たまってんだ。付き合ってもらうぜ。心配すんな。薬漬けにして痛みを軽くしてやるよ」

 はやし立てる声と、歪んだ欲望が二の腕から伝わり、俺は入るだけの力を入れて腕を引いた。足がテーブルの脚に絡まり、立っていられず尻餅をついてしまった。頭がガンガンする。敵地で無様な姿を晒すなど、死に直結するようなものだ。辺りから聞こえる笑声に、情けなくなる。

「待て」

 目だけではなく、耳までおかしくなったのかしれない。よく知った落ち着きのある低音ボイスが聞こえる。顔を上げても、フードを被った顔はぼやけて見えにくかった。

「そいつは私の獲物だ」

「ああ?」

「バーに入ってから、私が目をつけていた」

「なんだテメーは」

「…………謎の男だ」

 謎の男。かすむ目でも、フードから覗くさらさらの金髪は見覚えがありすぎる。しかし、謎の男。男がそう名乗るのだから、そうなのだろう。

「このバーで一番酒に強い者は誰だ」

 謎の男は、バーテンダーに一番強い酒を盛ってこいと指示を出す。俺と勝負をした男の連れが、一歩前に出た。

「ハンデをやろう。私は一番強い酒でいい。お前は好きなものを選べ。酔いつぶれた方が負けだ」

「待てやコラ」

「…………何だ」

「俺とこいつの戦いに決着はついた。お前が出る幕はねえ」

「ならば、そいつを賭けて勝負をしよう。私が勝ったらその男とお前が持つ薬とやらを差し出してもらう」

「テメーが負けたら?」

「私は負けない」

 私は死なない、と同じアクセントで声に出す。

 それより重要な案件だ。勝負を仕掛けてきた男は、薬について否定はしなかった。浅薄な考えだが、認めたも同然だ。

「上等だ。テメーが負けたら身体を切り刻んで心臓を売りさばいてやるよ」

「それはできないな。さて、始めようか」

 悲しくも、それが現実だ。できないのだ。その言葉に、二通りの意味がある。

 晩酌に付き合ってくれた彼は、顔色ひとつ変えずに酒を飲み続け、いつも先に寝てしまうのは俺だった。次の日は必ずベッドで目覚め、申し訳ないと謝っても澄ました顔でお茶を啜るのだ。アルコールの分解が早いのか、単純に酒に強いのか、本人すら首を傾げる始末だ。ただ、味はそれほど好きではないらしい。

 謎の男は水と同じ容量で酒を飲み続け、足りないと一升瓶を追加する。あれだけ騒がしかった店内は、呆然と立ち尽くす人である意味冷めた空気が心地良い。謎の男様々だ。

 床に横たわりながら、俺はアルコールと地面の冷たさが気持ち良くて、力に任せて開いていた瞼を閉じてしまった。


 身体に浸透するような、連続的な快い音で目が覚めた。慣れないベッドに横たわる身体からは、慣れないアルコールの匂いがし、鼻をつまみたくなる。

 扉が開いた。顔すら動かしたくてもそれすら億劫で、けれど足音で誰だか分かる。安心しきったままもう一度目を閉じようとしたとき、頭にひんやりしたものが乗せられた。

「つめた……」

「起きていたのか」

「ついさっき……外、雨降ってんの?」

「ああ」

 腋の下にも冷たい何かを入れられた。火照った身体にはちょうどいい。

「……熱い」

「微熱がある。今日はここで泊まりだ」

「……泊まり」

「ああ」

 確かに、枕も硬いし普段は聞こえない雨音も聞こえている。住み慣れた地下ではない。ここは、どこだ。

「帰る途中、雨が降ってきた。すぐ近くのモーテルにいる」

「そんな施設もあるのか……」

「空気清浄機は一応ある。安物だが、無いよりはましだろう」

 怒っている様子も、呆れている様子も一切ない。怒鳴ってくれた方が気持ちが楽になる場合だってあるのに。口を開きかけたのに、タイミングを見計らったのか、アルネスの方が早かった。

「すまなかった。お前に無理をさせた」

「それ……俺の台詞……」

「大事な情報を手に入れられた。良くやってくれた」

「酔いつぶれて、結局アルネスに迷惑かけただけじゃん……俺、いてもいなくても変わらなかった……」

「私は問題ない。お前が無事ならそれでいい。雨だとどうせ外を出歩けん。黙って寝ていろ」

「頭が……ガンガンする」

「お前が寝ている間に採血して調べた。酒に毒物は入れられていない。頭痛はただの酔いだ」

 古いものなのか、何も話さないでいると空気清浄機の音が異常なほど響く。黙っていられなくなって、とにかく思ったことを口にした。

「毒が入ってなくて良かったよ」

「そうだな」

「生まれ変わったらさ、俺とアルネスでバーテンダーとかいいかもな。バーテンダー、似合うと思うよ」

 能天気な俺でも気づいたのは、アルネスの瞳が揺らいだからだ。

「……ああ」

 微かに笑ってくれて、感謝の言葉を口にすべきか判断に迷うところだ。生まれ変わるには、死ななければ次に繋がらない。当たり前にある世界の理が、アルネスにはない。

「お前の考えていることは分かるが、まずは寝ろ。寝て、体調を戻せ」

「うん……」

 冷たい手が額に当たる。熱が吸い取られた代わりに、暖かいものがなだれ込んでくる。

「顔が赤い」

「だって、アルネスが触るから」

「だいぶ酔ってるようだな」

「アルネスに酔ってるよ」

「寝ろ」

「あー……俺まじでアルコールに酔ってるよ……」

「…………、…………」

 アルネスが最後になんて言ったのか聞こえなかったけど、目元に当てられる手のひらが気持ちよくて、段々と空気清浄機の音も気にならなくなった。

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