第14話 実験台

 二度三度、頬を叩き、痛みを感じながらも生きている証が感じられた。

 正直、まだ実感が沸かないが、わずか数時間で起こった怒涛の連続は、二の腕の刺青と傷痕が現実だと突きつけた。

 シルヴィエからもらった上着を羽織り、リビングの扉を開けると、長い髪を一つに結んだ色男が鍋をかき回している。

「おはよう、早いな今日も」

「……頬が、赤い」

「え?そう?」

 横目で俺を見るも、視線はすぐに鍋に戻る。毒々しい茸と野菜の切れ端が入ったスープだ。作り置きのパンを焼き、ふたりで食卓を囲んだ。

「食事の後、昨日の続きを話す」

 病み上がりのせいか、また頭痛を引き起こしてしまい昨日は話を途中で切り上げたままだ。まだ、大事な話が残っていた。

 朝食後は昨日と同じソファーに座り、アルネスは患者である俺の目や首、浮腫などを診ては、特に表情を変えなかった。経過は良好と取っておこう。アルネスにも言われた。前向きなのが俺の良いところだと。嬉しい。

「ハクは、此処にはいない」

「何があった?」

「……お前の肩にできた傷だが、麻酔薬が塗られていた」

「じゃあハクは、」

「弾に麻酔薬を塗り、お前を撃った。お前を此処に運んだ後、死体の処理のために外に出た」

「その後は?」

「……ハクの死体も残されていない。もし殺したとすれば、死体をそのままにしても問題はないはずだ」

「攫われたってこと?」

「生きている可能性が高い。タイラーを中心に外の連中が調べている」

「俺にできることは?」

 アルネスは口角をわずかに上げた。

「自分を責め、卑下するようならお前を許さなかった」

「それはカプセルの中で充分したよ」

「お前に、何か策はあるのか」

「んー……、ちょっと聞きたいんだけど、俺が地上を歩ける方法ってある?」

「死にたいのか?」

「違うって」

 質問が早いアルネスは、額に入れて飾りたいほど貴重だ。

 少々早口なのは心配されているようで、口をむにむにと動かした。

「地上のことなんてまったく知らないし役立たずだけどさ、もし出られる方法があるのなら突破口も開ける可能性は少しは上がるだろ?出来ないって決めつけるんじゃなくて、いろんな可能性の確率を上げた方もいいと思うんだ」

「……なるほど」

「あれ?良いこと言った?」

「……可能性の問題で言うのなら、お前が地上に出て歩ける確率はゼロではない。ただ今回助かったのは、長時間外には出ておらず、毒が身体中に回っていなかったことが挙げられる」

「あとアルネスの処置が良かったからだな」

「……カプセルにぶち込んだだけだ」

 アルネスの目は遠くを見つめた。視線の先は壁しかない。

「ひとまず、お前が地上へ出る件は保留だ。一つ考えはあるが、まだ言えるべき段階ではない」

「じゃはそれは任せるよ」

「……他には?」

 質問はある。まだ聞いていない大事なことがある。

 アルネスは聞く体制を崩さず、早くしろと投げかけた。

「アルネスって、心臓がないって言ってたけど……どんな仕組みなの?」

「……別のものが埋められている。心臓の代わりとなるもの」

「政府からすると、アルネスは成功例?」

「……あくまで私の意見だが、身体としては成功だろう。寝れば傷が塞がるアンドロイドを作り上げた。だが失敗だったのは、私が政府に反発したことだ」

「なるほど。心までは自由に出来なかったってことか」

「みな政府を恐れている。だが政府も完璧ではない。必ず何処かに穴がある。覚えておけ」

「おう。俺のことを盗ん……」

「拾った」

「拾ったくらいだもんな。感謝しきれないよ」

「……お前の体調は万全ではない。まずは食事をしっかり取れ」

 もし、心が自由でなければ、アルネスは殺人兵器として扱われていた可能性もある。想像上の話であっても、苛立ちは神経を逆撫でした。


 人間の話、アンドロイドの話、世界で起こっている大戦。すべてが嘘のようで、けれど信じなければならない現実。確かめるようにアルネスの胸元に触れても、アルネスは嫌がらずにしたいようにさせてくれる。受け入れてくれているようで、くすぐったかった。鼓動や肉の感触は、人間と何も変わらない。

「この世界って、医師免許とか、そういう概念ってあるの?」

「ない。医者と名乗れば医者だ」

「うわあ……怖い」

「千年前はあった。時効だろうが、そのときのものはある」

「……俺に、麻酔の打ち方を教えてくれないかな」

 嫌とは言わないが、返事もしない。

「タイラーが撃たれて此処に駆け込んできたとき、俺何も出来なかったんだ」

「……あいつは、お前に手当てをしてもらったと言っていた」

「注射を打つとき、いつも麻酔を表面に塗るだろ?見よう見まねでやっただけだって。お前がいないとき、また同じようなことがあったらせめて痛みをなくしてやりたいと思ったんだ。あと応急処置の仕方とか」

「……本の通りには、決して上手くいかない。なぜなら、相手は生き物だからだ」

 アルネスは一度退室すると、資料を持って戻ってきた。古びた紙は紐で括られていて、簡易の本だ。

「他の本には書かれていない、麻酔の打ち方だ」

「すげえ……これ全部アルネスがまとめたの?」

「……千年も生き続けていれば書ける」

「字も絵もきれいなんだなあ。俺の知らない植物も描いてる」

「………………。それはマダラグラスと呼ばれる突然変異で生まれた植物だ。見ての通り、斑に模様がある」

「毒があるって書いてるけど」

「触れると痺れや炎症が起こるが、私は薬にもなり得ると考えた。年月はかかったが、それ相応の結果は得られた」

「要は第一人者になったってことか」

「……生きているものは大切にしろ。山羊の角も薬になる。戦争の影響で有毒の土であっても、住む微生物たちから薬を製作した経験もある。毒にまみれた世界で生き続けるのは、並大抵のことではない」

 並大抵でないのは生き続ける限り医師として全力を尽くす彼であり、褒め称えたい衝動に駆られながらも、凪はむずむずする太股を拳で押さえた。アルネスは、あまり褒めすぎると言葉数の少ない口にさらに影響を与えてしまうのだ。

 毒にまみれた世界で生きる者。それは進化を遂げた微生物にもいえることではあるし、アンドロイドや人間にも当てはまる。命の重みがのし掛かる。

「さて、お前は麻酔の打ち方を教えてほしいと言ったな」

「うん……言ったけど……」

 アルネスは白衣をスマートに脱ぎ、ばらける金色の髪をぞんざいに上げた。棚には薬が並び、注射器やら瓶を並べていく。

「なんで腕まくりしてるんだよ」

「打ち方を教えてやる。針を注射器に入れ、瓶から薬を吸い取れ」

「ちょっと待て。実験台は……」

「私は死なない」

「いや、死ぬとか死なないとかの問題じゃないだろ。お前に打てるわけない」

 ちょうど冷蔵庫が目に入り、俺は指を差した。

「確か冷蔵庫に謎肉入ってたよな? あれでいいだろ!」

「……夕食はステーキが食べたい」

「一日くらい肉食わなくたって……」

「却下だ」

 声量、明瞭と共にある声で、アルネスは早くしろ、と目で訴える。

「ああ、もう!」

 注射器に針をセットし、瓶を手に取ろうと伸ばす。取り損なってしまい、危うく瓶を床に落としそうになった。

「落ち着け。冷静さが欠けている」

「冷静になれって無理があるだろ……!」

「失敗しても構わない。私は死なない」

「死なないかもしんないけどさ、痛みは感じるんだよな?」

「………………」

「肯定と取るぞ」

 まくっていない左手で、アルネスは凪の頭部に触れる。興奮したせいか熱くなった皮膚はアルネスの手を通り、代わりにひんやりしたアルネスの手が気持ち良くて身を委ねた。

「なんか……アルネスって」

「……なんだ」

「お母さんみたい」

「お前の口を縫った方がいいか?」

「ごめんなさい冗談です」

 先ほどまでの妙な高鳴りは消え、心臓も落ち着きを取り戻した。一度深く息を吸い、吐き切る。

「よし」

 布に湿らせたアルコールを肌に押し当て、軽く拭き取るように撫でていく。

「冷たい?」

「……ああ」

「やっぱり感覚はあるんだな」

「神経は通っている」

 注射器を瓶に刺し、微量の薬を吸い取った。濁りのない液体は針を濡らし、一滴瓶の中に落ちる。滴が王冠を作り、それを合図にまたもや緊張が指先を通り抜ける。

「お前の不安材料はなんだ」

「……アルネスが痛い思いをしたらどうしよう、失敗したらどうしよう、腹切りした方がいいのかな」

「腹切り?」

「切腹のことだよ」

「……小さな島国の血を引く者は、奇異な言動をほのめかす」

「確かに。自分の身体を傷つけるなんて、有り得ないよな。というか、やっぱり俺って日本人の血を引いてたんだ」

「……深呼吸を」

 二度三度、同じ行為を繰り返し、いよいよ針を皮膚に通す。医学の本では何度も読んだ。あとは実践だけだ。

 針が皮膚を通る瞬間、柔らかく弾力のある肉が針を通すまいと跳ね返す。少し強めに力を入れ、針を刺した。

「そのまま、ゆっくり液体を入れろ」

 アルネスの声色も表情も変化はない。痛いとも言わない。それがかえって恐ろしく感じた。

 ガスケットが下がっていき、液体が少しずつ入っていく。注射針から漏れはしないが、頭部から発汗した汗はこめかみを流れていく。それすら気にならないほど、針の先に集中していた。

 これ以上滑らかな肌を傷つけないよう、ゆっくりと針を抜いた。

 真っ赤な液体がぷっくりと玉を作る。俺と同じものが流れ、生温くて、生きている証。

「……どうした」

「なんでもないよ」

 本来ならば手術などを行うが、今日は練習であり、最後に止血テープで留めるだけだ。

 留めた途端に真っ白な布に赤い海が広がり、さらに凪の汗が白い腕に垂れた。タオルで拭こうとするが、アルネスは気にする素振りも見せず、自身の腕をしげしげと眺める。

「どうだ?」

「……徐々に感覚が無くなっていく」

 そういえば麻酔を打ったんだと、改めて思い出した。集中しすぎて、何を目的として注射をしたのか頭から離れていた。

「初めてにしては、上出来だ」

「ほ、ほんとか?」

「私は冗談は言わない」

「その言葉が頼もしいよ……打っただけで疲れた。アルネスの大変さがミジンコくらいは理解できた」

「麻酔のついでだ。輸血の仕方も教えてやろう」

 まっさらな紙に、四つの血液型と抗原、抗体を書き記し、表が完成する。

「見たことはある。けど本で読んでもよく分からなかったんだよな」

「血液型についてはどこまで知っている?」

「四つに分類されるのと、+と-があることくらい?大まかに八種類かな」

「まだあるが、充分だ」

 アルネスは口角を上げた。まっすぐに伸びる前髪から射抜くような目を見ていられず、目を逸らした。

「抗原とは赤血球の表面についている物質、抗体とは血清のことだ。これらを検査し、人間の血液型を判別している」

「うんうん」

「A抗原を持つ血液型は?」

「赤血球の表面についてるものだから、A型」

「B抗原は?」

「B型」

「では両方を持つ血液型は?」

「AB型?」

 目を細め、正解、と短く口にした。

「O型の持つ抗原は?」

「えっ、O型……うーん……。どっちも……ない、とか?」

「その通りだ。O型にはどちらの抗原もない。ここまでは問題ないか?」

「オッケー」

「ならば次だ。少々難易度が上がる」

「うす。いつでもこい」

 アルネスからもらったメモ帳はまだ真っ白で、勉学ををまとめるには相応しい。記念すべき一ページ目は、アルネス先生の授業だ。

「抗体という言葉を聞いたことは?」

「えーと……、身体に入ってきた異物をやっつける役割がある」

「ああ。当たっている。A型はB抗体があり、B型はA抗体がある」

 アルネスはいつもよりもゆっくりとした口調で話す。

「A型にB型の血を入れたらどうなる?」

「……合わないよな?どう考えても」

「その通りだ。A型にはB抗体があるため、B抗原を持つB型の血を入れたら、死に至る可能性もある」

 アルネスは凪がメモを取り終えるまで待っている。

「AB型にはA抗体もB抗体もない。よって、A型とB型から血をもらえるが、A型とB型には輸血出来ない」

「ややこしくなってきたな」

 凪は強めに頭を掻いた。 

「抗原の持たないO型はどの血液型にも輸血出来る。だがO型はAとBのどちらの抗体も持っている。O型が血をもらえるのはO型だけだ」

「O型同士でしか輸血できないって言われている理由はそれか」

「お前の血は貴重だな」

 アルネスは不敵な笑みを漏らす。

「アルネスに何かあったら俺の血を分けてやれるんだな」

「………………」

「あれ?違う?」

「……お前は、いちいち、本当に」

 盛大なため息を吐かれてしまった。O型はどの血液型にも輸血できる。間違ったことは言っていないはずだと、メモに目を通した。

「……基本的には同じ血液型同士で輸血をする。+と-の違いは、D抗原があるかないかだ」

「D抗原のない-は珍しいんだよな?」

「ああ。お前の身近にいる人物は、+と-は気にしなくていい」

「みんな+か」

 何が起こるか判らない世界で、みんなこうして生きている。それぞれ名前を記し、アルネスから聞いた血液型を書いていった。

「腕はどうだ?」

「……一時間ほどはこのままだ」

「そっか。夕食はステーキとパンと、漬けたキャベツでも出そうか」

「……シュガービーツもだ」

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