第13話 アンドロイド
目覚めたとき、回りは天井と壁に囲まれていた。重たい瞼は閉じ、二度寝どころか何度も深い眠りを繰り返した。
ようやく眠りから覚めた頃、今在る自分の状況を理解しようと、目を凝らしてみる。天井でも壁でもなく、大人が一人入れるくらいの箱の中に入れられているのだと悟る。
服は何も身につけていない。何かどろっとした液体に、耳が被らない程度に仰向けに横たわっている。微かに花のような良い香りがする。全裸なのに寒くもなく暑くもなく、居心地の良い素晴らしい環境だ。俺は、同じ体験を二度していた。
空腹なのか、腹が小さな音を鳴らした。音が聞こえなかったのは、カプセルが開くのとほぼ同時だったからだ。
「……、ネス……」
喉が掠れてうまく声が出せない。代わりに、心の中で何度も叫んだ。
扉が開く音がする。あまり顔を動かさず、目だけで動かし、入ってきた人物を確認した。身体のどこにあったのだろうという水分が目から溢れ、どろっとした液体に音もなく流れていく。
「……なぜ、泣く」
「アルネスが……生きてる、から……」
「言っただろう。私は死なない」
目が潤んでぼやけるせいか、アルネスの目元も潤んでいるように見えた。
「……黙って泣いていろ」
「いいの……?」
「誰も人はいない」
「アルネスが、いるじゃん……」
アルネスの首元にある包帯が痛々しく、ごめん、と何度も謝った。泣いても謝ってもアルネスの怪我がよくなるわけではない。それでも、謝罪せずにいられない。
「お前が、心配で、手元狂うって……言われたのにっ……勝手に……外に……」
「いろいろと、タイラーたちから聞いた」
「みんなは……?」
「……ほぼ、無事だ」
「ほぼ……」
「命はある」
濡れることも気にせず、長い袖口を捲ろうともせず、アルネスは液体に浸かる俺の頭に手を置いた。
「……生きていて、良かった」
子供のように泣きじゃくる俺の頭を撫で続け、アルネスの白衣は液体が染み込み重たくなっていった。
液体に浸かり、起きては点滴を打たれ、栄養があるというなんだかよく分からない何かを食べさせられ、ほぼカプセルの中で過ごす日々だ。アルネスの言うことだけに従い、俺は考えることを止めた。
何度目かの採血で取った血を、アルネスはすぐに機械にかける。俺はその表情を見つめるのが楽しくなっていた。眉間に皺を作っていたアルネスだが、日を追うごとに皺が緩和されていく。
「……なぜ笑う?」
「アルネスが生きて側にいてくれるからかな」
「………………」
「ちょっと! なんでカプセル閉めるんだ!」
「……一時間寝ていろ。その後、退院だ」
爆弾発言を残し、アルネスは本当にカプセルの蓋を閉めた。
亡骸があったはずのリビングは、血痕すら残っておらず、何事もなかったかのような平和な時間が流れていた。
ソファーで待つ友人たちに歓迎され、怒鳴られ、それぞれの感情が交錯する再会となった。タイラーもシルヴィエも、怪我らしい怪我は負っていない。
包帯の取れたアルネスは、俺の隣に腰を下ろした。
「俺も聞きたいことが山積みなんだよ。まず、お前が生きてる理由を説明しろ」
タイラーは隣に座る医師を指差した。
「お前、心臓と喉を撃たれてたよな?」
「…………は?え?」
俺は驚愕し、包帯で巻かれていたはずの喉を見た。長い金髪が覆い隠していて、髪に手を伸ばすが、傷ひとつ見当たらなかった。
「普通は死ぬんだよ。なのに、眠いとかほざいた後は勝手にベッドでグースカ寝て、起きたらこいつの世話だ」
こいつを指差し、タイラーは俺を一瞥する。
「……私の体調が万全でなければ、医師としての役割が務まらない。怪我や病気の治療は、まずは私が最優先だ」
「順番を聞いてんじゃねえ! なんでお前が生きてんだよ!」
「私は死なない」
もう何度も聞いた台詞だ。
「凪、お前に話していないことがある」
「うん。なに?」
「外の世界は、お前は生き延びることができない」
「だから、俺を外に出そうとしなかったのか?」
アルネスは頷いた。
「けど、なんで俺はダメで、みんなは大丈夫なの?」
「……それは、」
アルネスはほんの一瞬、目を伏せる。
「……お前以外、全員アンドロイドだからだ」
「…………え」
走馬灯のように、アルネスと出会ってから今までの彼がフラッシュバックした。私は死なない、と言い続け、食事を共にしていた彼は間違いなく自分と変わらない姿で、本人は認めようとしないが甘いものをこよなく愛していて。
「どういうこと……」
「まず、お前の想像するアンドロイドがどのようなものか知らないが、この世界では政府が作り上げたもの、失った腕や足を移植した人間もアンドロイドと呼ばれている」
「つまり、何かしら手を加えられた人間はアンドロイドで、手を加えられていない人間は人間ってこと?」
「……ああ」
「……タイラーは?シルヴィエは?」
「例外はない。あるとすれば、お前だ」
「俺が、例外……」
「……お前以外は政府に身体を弄られている」
シルヴィエはふっくらとしたお腹を擦り、雰囲気にそぐわない顔で笑う。
「こーんな体型だけどさ、動きは早いのよ。私は足を作られた」
「あのとき、政府の人間をナイフで、その」
「後ろからこう、ね。元々殺し屋として作られた失敗作なんだよ」
親指で首を掻き切る仕草をした。
「タイラーは?」
「筋肉増強剤を生まれたばかりの頃に打たれ続けた。巨大な生き物を作ろうと人体実験の失敗作だ。そのおかげで大工やってられるんだけどな」
「……ハクは、性的な欲求を満たすアンドロイドとして作られた。政府が言うには彼女も失敗作だ」
本人がいないからこそ、言える話だろう。
「……アルネスは?」
「……私は死なない」
もう一度、アルネスは繰り返した。
死なない。彼はいつも、冗談を言わない、と言葉にする。
「言い方を変えよう。私は、死ねない」
重くのし掛かる言葉だった。
「本当に……死ねないのか……?」
「ああ」
「なんで?」
「そのように作られた」
「…………、銃で撃たれたってさっき、」
「撃たれても、再生する」
凪はアルネスの胸に手を添えた。自分の鼓動と同じように、一定の音を刻んでいる。何ら変わらないはずなのに、まったく違う生き物だ。
「……死は必ず訪れる。死に向かい、お前たちは生きている。私は、訪れない」
「アルネスは……何年くらい生きてるの?」
「……千年ほど」
嘘だろ、と返しそうになった。彼はこう言うだろう、私は冗談を言わない。
タイラーもシルヴィエも、硬直したまま声が出ない。彼らも初めて聞いた事実だった。
「……私には、アレがない」
アルネスは左胸に置かれたままの手に重ね、強く握った。
「心臓が、ないんだ」
何かを諦めたような微笑みは見ていられないほど美しく、恐怖を感じた。
俺は無意識に太陽のような頭を抱え、白衣を纏う身体を強く抱き締めていた。
「……抱き締められたのは、千年ぶりだ」
「千年の間に、何があったんだ……?」
「……第三次世界大戦が起こった」
「じゃあ、日本は?俺の故郷は?」
「……最初にアメリカとロシアが戦争を起こし、日本はあくまで中立だと言い張っていたが、事実上アメリカ側についていた」
「その後は……?」
「無力だった。地球は放射能により汚染され、科学兵器を持ち出した国もあり、今もこの世界の空気は毒にまみれている。勝敗の問題でない。すべての国の人間が敗者だった」
戦争とは無縁の国だ。平和そのもので、核を持たない国だったはずだ。俺の記憶の中ではの話だが。
「お前は、日本という国が故郷ではない」
「……俺、少しは記憶があるけど」
「違う」
「俺の記憶は? それも嘘?」
「親の記憶はあるか? 家は? 住んでいた場所は?」
押し黙るしかない。親どころか、すべてがなんとなくすぎて、思い込みなのではないかとさえ頭をよぎる。なんせ名前すらアルネスにつけてもらったのだ。
存在を確かめたくて、手首の触れて脈を確認した。少し早いが、人間と同じように動いている。
「お前は人間だ」
「アルネス……」
「……政府のすべてを、私は把握していない。私の知らないものを、政府は作り上げている」
「記憶も……?記憶は作れるのか?」
「……可能性はないとは言えない。だが、此処でお前と過ごした時間は嘘ではない」
見えない力で引っ張られたおかげか、息をするのが楽になったように思えた。
「核を持たない国は弱い」
「俺があのカプセルの中に浸かっていたのは……」
「身体の毒素や放射線を取り除く薬だ」
「定期的に、採血をされていたのは……」
「身体の不調をいち早く気づくため。人間は嘘の固まりでも、血は嘘を吐かない」
「アルネスたちは平気なんだな?」
「そのように作られた」
アルネスにしては珍しくテンポの良い会話だった。
「魚や生物が、俺の知ってる姿と違うのは、」
「……この世界の話を、もう少し深くしなければならない」
アルネスはノートパソコンを取り出すと、テーブルに置いた。
「パソコンや連絡手段に用いる道具は、政府は禁止している。見つかり次第処刑だ」
「なんで持ってるんだ?」
「……ネットには繋がっていない」
答えにならない返事をし、アルネスは電源を付けた。
フォルダの中から画像を一枚映し出し、見えやすいように俺に画面を傾ける。
「何これ?」
「お前の良く知る日本は此処にあった」
「これ、無人島? 北海道より小さいんだけど」
「千年前の戦争の末路だ。今もこの惑星の何処かで、戦争は続いている。……もっと、精神を抉られるかと思っていた」
「いや、第三次世界大戦とかそういう話をされた後で、なんとなく想像はついてたよ。まさかこんな跡形もなくなってるとは思わなかったけど。ショックだけど、人が撃たれて死ぬ瞬間も見てるし」
「……前向きなのはお前の長所だ。とある国の政府は、無関係で犠牲になる人々を一箇所に集め、隔離しようとした」
「世界大戦から助けようとしたってことか」
「表向きは。アジアからも集められた。実際は、人間の命を使い、人間兵器を作ろうとした。繰り返される人体実験、それは植物や野鳥、野生動物など、とにかく見境なく行われた」
「じゃあ、お前が持ってくる魚や此処にいる山羊たちの姿が変わっているのは、実験の末路ってこと?」
「……進化の過程で、そうなったものもいる。人間が、他の生物の進化すら邪魔をしてしまった」
「アンドロイドも、人体実験の末路……?」
「……ああ。今も作り出されている。政府は大量のサンプルを抱えている。カプセルの中に入れられ、眠っているんだ」
凪は左肩に手を触れた。ハクに撃たれた銃痕は瘡蓋となり、ほとんど完治している。
「A-0707。お前の肩から二の腕にかけてある刺青だな」
「……俺も……サンプルだったんだな……」
「察しが良い」
世界崩壊の話より、身に起こっていた事実の方がショックだった。本当は世界の危機を心配すべきであるのに、さらに落ち込んだ。
「あいつらは、此処に入ってきた政府の人間は、俺を鼠って言ってた」
「いきなりサンプルがいなくなっていたんだ。あいつらは慌てて探していただろう」
「アルネスは、俺を拾ったって」
「……実験台の上に落ちていたんだ。拾いものだ」
「おいおい……そういう成り行きだったのかよ」
珍しく黙って聞いていたタイラーは頭を抱えている。
タイラーと初めて出会ったとき、彼はいきなり殴りかかってきた。人間に対する恨みなのか、政府に対する恨みなのか、強い憎しみを覗かせていた。
「あえて言うがな、言葉の使い方を勉強した方がいい。それは落ちてるって言わねえんだ」
「ってことは、アンタまさかあの島に入ったのかい?」
言葉の節々に、信じられない、と驚愕の感情が込められている。
「シルヴィエ、その通りだ。私は政府のいる孤塔に何度かお邪魔している」
「どうやって?」
「………………」
都合の悪いことは相変わらず黙りで、少し歯痒くてもいつものアルネスだと安心する。
「俺、実験台にされる目前だったんだな……」
「政府の人間はガスマスクを付けていただろう。奴らは全員人間だ。あれを付けていないと、外を出歩けない」
「シェリフは?」
「政府が雇ったアンドロイドだ」
「だから平気なのか。ところでさ、俺って何年前の人間?」
「およそ千年前」
「…………。外は今、どうなってる?」
「シェリフや政府の人間が跡形もなく消えたと大騒ぎになっていた。サンプルも未だに見つかっていない。厳戒態勢だったが、今は解かれている」
「死んだ人たちは?」
「………………」
「ここの隠れ家を知った人間は消えることになっている。それ以上はお前の心配することじゃねえ」
アルネスの代わりに、タイラーが答えた。
「失敗作であるアンドロイドは外に捨てられる。捨てられたアンドロイドは、孤島を囲むように村を作る」
「孤島?」
「政府のいる場所は海に囲まれている。我々では簡単に入り込めない」
「はあ?良く言うぜ。こいつを盗んで来たんだろ?」
「盗んだのではない。拾っただけだ」
「拾ってくれてありがとな!」
堂々巡りとなるため、話を無理に切り上げた。
世界はすでに滅んでいて、地上は放射能や毒を含む空気が蔓延していて、アンドロイドたちが住んでいる。信じたくない話でも、地上に出てからの頭痛や耳鳴り、息苦しさは直に味わった。感じたことのない苦しさは、信じる材料にしかならない。
仕事があると、タイラーとシルヴィエは地上に戻った。無理はするなとシルヴィエのお小言は、涙が出そうになるほど有り難かった。
「外は鍵を掛けているのか?」
「この部屋を行き来するときは必ずロックが掛かるシステムになっている。患者がいるときは出入りはしない」
「アルネス、あのさ……」
立ち上がろうとしたアルネスはもう一度座り直す。誠実で、きれいな男だ。
「……その、ごめん」
「……言いたいことはそれだけか?カプセルの中でも、うなされながら呟いていた」
「じゃなくて! ありがとうだった! それを伝えたかった!」
「……それも聞き飽きた」
長く伸びた前髪を弄り、つまらなそうに目を伏せる。
「他に聞くことは?」
「俺さ……過去にアルネスと知り合いだった?」
「……なぜ」
「ほら、俺が千年前の人間だって言ったろ?なんで知ってるんだ?それは俺の過去を知ってるからかなあと」
「………………」
髪と同じ色の睫毛は、重そうに揺らめいた。
「それは、」
ゆっくりと間を取り、アルネスは凪を見やる。
彼の命の危機でもないのに、心臓が大きく揺れた。当たり前にある心臓は、熱を発し激しく動いている。
「……言えない」
「だよなあ。そう言うと思った」
「だが、時期が来たら話す」
「約束な」
凪は小指を立て、彼の前に掲げた。
「なんだそれは」
「指切りだよ。嘘吐いたら針千本飲ますってやつ」
「……島国に伝わる呪いの習わしか?」
「違うって。それくらいに強く団結するってこと」
アルネスの小指を絡め、結束の歌を披露した。
千年の眠りについていながら、我ながらよく覚えていたと称えた。
小指を離そうとしたが、アルネスはカルテを見るような真剣な眼差しで絡む指を見つめている。そのままにしておいた。
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