第12話 外

 この世界は上・中・下と区域に分けられ、下に行けば行くほど治安が悪く、設備が整っておらず、暴漢が多い地域となる。逆に上に行きすぎると治安は良いが、シェリフたちが目を光らせ居心地が悪い。

 どう聞いても、生まれ故郷の日本ではなかった。上や下など、日本にはそんなシステムも決まりもない。警察官をシェリフとも呼ばない。

 徐々に這い上がってくる感情を無惨に葬り去りたくても、口にしてしまうことは裏切りとなる気がした。




「どうだ?」

 出来上がった酵母を使い、パンを作った。ほんのり林檎の香りがして、噛み締めると柔らかな食感だ。

「……うまい」

「ほんとか?」

「……私は冗談は言わない」

「よし!」

 アルネスの口数は少なく、黙々とパンを口に入れる。

 夕食は、パンは凪が受け持ち、スープはアルネスが作った。液体の中で大きな目玉がこちらを監視している。ぶつ切りのような斬新な切り方は、アルネスらしいとフォークで切り分ける。

「……ジャムは?」

「ジャム?昨日でアルネスが全部食べただろ?」

「………………」

 アルネスは食べ方も美しい。ジャムをパンにつける仕草や、口に運ぶ瞬間まで見ていたくなる。

 珍しいことにアルネスはスプーンを盛大に皿にぶつけ、不協和音のような調和のない音を奏でた。

「あー、またフルーツがあれば作っておくから」

「ああ」

 少し早い返事と、ふかふかのパンと薄味のスープ。これ以上の幸せなどあるはずがない。

 じわりとやってくる黒い何かから目を逸らし、凪は息を吐く。幸せだ、幸せだと心の中で唱えると、重みは軽くなる気がした。

「どうした?」

「顔が、戻っていない」

「いつもと変わらないだろ?」

「………………」

 嘘をつくな、と無言の圧力だ。

「人間は、備わっている力だけでは恐怖に打ち勝てない」

 俺は黙って耳を傾けた。アルネスの声や言葉は、昔から聞いていたように、とても耳に馴染む。ずっと聞いていたくなる。

「経験が大きな力になる」

「アルネスは、恐怖を感じることはある?」

「……ある」

「例えば?」

「お前を拾ったとき」

「……そうなんだ」

「人の命を背負った代償は大きい」

「なんか……ごめん」

「私が勝手に拾った。勝手ついでに何度も言うが、此処から出ようとするな」

「ときどき、説明が出来ないようなどす黒いものが、がーって襲ってくるんだ」

「……がー」

 顔をしかめたアルネスに笑ってしまった。

「ただ、」

 アルネスはフォークを置くと、口元を拭った。

「此処に何らかの不祥事が起こり、私もハクもタイラーもお前を助けられなかったら……すべてを捨ててでも逃げろ」

「なんだよ……それ」

「お前は納得しないのも把握済みだ。だが逃げろ」

「それで頷くと思うか?」

 此処にくる住人たちに、どれだけ世話になったことか。服やベッドを作ってくれ、友達になってくれ、注がれた愛情は返す術がない。

「アルネスが危険に晒されたら、俺は助けるよ。逃げるなんて出来ない」

「私は死なない」

「だから、根拠なんかないだろ」

「……私は死なないし、彼らに何かが起こっても私が生きていれば救える。医者だからだ」

「そりゃあ……俺よりアルネスが生きてた方がよっぽど世のためになるだろうけど」

「……お前に何かあれば、メスを持つ手元が狂うかもしれない」

「うわあ、すげえ口説き文句。めちゃくちゃ嬉しいけどさ、顔赤くなっちゃうけどさ、口説き文句と脅しは紙一重なんだな!」

「……片付けを頼む。私は薬を作る」

「おう。頑張ってな」

 途中で話を切り上げた場合は彼の好きにさせる。聞いても答えてくれないのは把握している。それくらいの付き合いはある。

 不安要素はすべて消えたわけではないが、溜め込んでも仕方のない問題もある。たまにくれるアルネスの言葉は、混沌の反芻をいくらか緩やかにしてくれた。


 一定の温度に保たれた部屋では、野菜や小麦が良く育っている。シュガービーツとトマトが大きな実をつけ、二つをもぎ取った。

 見れば見るほど最先端の技術だ。すべてが水耕栽培で、小麦は刈ったものをそのまま機械の中に入れると勝手に小麦粉を作ってくれる。袋に入れ、保存するだけだ。

「またか……」

 最近、やけに地震が多い。立っていられなくなるほどではないが、小刻みに地面が揺れている。何かの前触れかとアルネスに聞くが、問題ないと一点張りだ。

 廊下で大きな物音がした。アルネスの足音とも違う、大きな音だ。警戒心を怠らず、俺は壁に背を向けて扉を開いた。駆け込んできたのは、身体を所々血に染めたタイラーだった。

「どうしたんだよ!」

「ちょっと、かくまってもらえるか……?」

 肩からの出血している。だらりとした腕に血が伝い、指先から滴り落ち落ちる。本で血は何度も見ても、友人が血だらけで駆け込んでくる瞬間は見慣れているわけじゃない。慣れたくもない。

「弾は抜けてる、平気だ」

「ハクは? シルヴィエは?」

 アルネス、と言おうとしたが、怖くなって怖じ気づいた。もし、万が一、彼に何かが起こっていたとしたら。想像だけで、タイラーの肩のように目の前が赤くなる。

「あいつは心配すんな……傷ひとつねえ」

「とにかく止血しよう」

 怪我のない腕を引っ張り立たせ、リビングのソファーに寝かせた。

「……やったことあんのか?」

「ない。けど本で読んだ」

「ヤブ医者かよ……」

「ヤブ医者ならまだいいよ。俺、医師免許すらないど素人だ」

 アルネスがハクに使っていた麻酔薬がある。注射器で注入するものと、布に湿らせて表面の感覚を麻痺させるものだ。

 迷わず片方の瓶を取り、布に薬を垂らす。止血も兼ねて、布を真っ赤に染まる腕に押し付けた。すぐに布も色付けされていく。

 単純作業といえど一刻も争う状況に、決して手は抜けない。

「あいつは、しばらく帰れない」

「なんで?」

「……もし、此処に何かあったら……お前ひとりで逃げろ」

「此処も危険になるのか?」

「なる……可能性もある。痛みが減ってきた」

「注射も打つか?」

「出来るのか?」

「やったことない」

「俺を実験台にすんな」

 小突ける余裕は出てきたようだ。

「アーサーの奴にぶっ殺されそうだが、地上の情報を少し話す。政府とシェリフは手を組んでる」

「政府?シェリフの他にもまだいるのか?」

「元々、政府の人間がシェリフという構造を作り上げたんだ。俺たちの住まいを円滑に回し、政府に対し暴動を起こさないようにするためのただの見張りだ」

「ちょっと待って。話がついていけないんだけど」

「黙ってついてこい」

 ひと昔前の旦那のような言い方だ。今時ついて行こうとする人は少ないだろうが、アルネスに言われたら不思議とついて行ける気がした。

「政府は今回のハクに対する暴行事件も、厳重注意だけで終わらそうとしやがった」

「やっぱりシェリフが絡んでたのか?」

「ああ。シェリフと下の奴らが組んでる。鉱石を掘り当てた三区の人間がそれをシェリフに渡し、シェリフは政府に渡す、暴行を見て見ぬ振りをさせようとしてる」

「酷すぎるな」

「仮に俺らが政府にとって都合の悪いことをしたら、見せしめで死刑だぞ」

「あんまり動くなよ」

 有り余る興奮のせいで、止まりそうだった血がまたもや滲んできた。

「今、上で何が起こってるんだ?」

「戦争一歩手前だ。俺らの住まいまでやってきて見回りをしてる」

「なんでタイラーは撃たれた?」

「ちょっと暴れただけだ。今頃必死で探してるだろうよ」

「無茶したってことだな」

「ハクの件を許せないのは俺らだけじゃないってことだ。やっぱりこれ、弾残ってるかも……」

「あとでアルネスに抜いてもらえばいいよ」

「……お前、抜けるか?」

 抜ける、の意味するものはひとつしかないが、できれば勘違いであってほしいと願った。

「弾、抜いてくれ」

「あのさ、一般的にそれは手術って言うんだけど」

「知ってる。医学の本読んでんだろ」

 腕をソファーの肘掛けに乗せ、タイラーは無言の圧力をかけた。

「早くしろ」

「本気か?」

「弾抜いて止血したらある程度動ける」

 冗談の目ではなかった。むしろ威圧的で、似非医者の手術にすら臆することをしない。

 ライトとピンセットを箱から出した。覚悟を決めた。やるしかない。

「手震えてんぞ」

「仕方ないだろっ……初めてなんだ」

「多少の痛みは問題ねえよ」

 強靱でがっしりとした腕はアルネスと大違いだ。アルネスは筋肉はついてるものの、ほとんど焼けておらず、透明感のある肌である。

 押さえた左手でライトを持ち、抉れた皮膚を照らす。奥底に入ってはおらず、安堵した。右手のピンセットを弾の大きさほどに開き、皮膚を傷つけないよう、ゆっくりと滑らせていく。

 弾に到達した。ピンセットの材質か血のせいか、上手く掴めず何度か滑る。痛みに強いのは本当のようで、タイラーは初めての手術も目を逸らそうとしない。精神的な強さも兼ね備えていた。

「取れたな」

「けど、欠片が残ってる。見える範囲で取り除く」

 血で赤黒く塗れたピンセットを拭き取り、もう一度皮膚の中に入れた。一度目の慣れのおかげが、欠片は素早く取り除けた。滑ったのは血のせいではなく、震える手が原因だった。

「これで多分、大丈夫」

「良くやった」

 止血剤を布に垂らし、押し当てると包帯を強めに二の腕に巻き付けた。

「しばらく動くなよ」

「アーサーみたいなことを言うな」

「アルネスじゃなくても誰だって言うよ」

「残念だけど今回は死ぬ気で動けって言われてるんだよなあ」

「どういう意味?」

「死ぬ気でお前を守れってさ」

「……なあ、俺ってなんで……」

 いつもアルネスに、と続くはずだった質問は爆発音のような大きな物音にかき消された。

 誰かの足音だ。聞き慣れない、アルネスのものじゃない。恐らく、死を覚悟しなければならない死神の足音。

「床に伏せろ」

 首に圧迫感を感じたのは、タイラーが襟元を掴み床に張り倒したからだ。息が出来ないのは一瞬でも、突如やってきた苦しさに身体が硬直した。心臓が鳴らす警鐘と共に恐怖が沸き起こる。地上のことは判らなくても、異世界の何者かがすぐ側まで来ているのだ。

 タイラーは腰に差していた拳銃を構えると、床に伏せている俺の前に立つ。

 ソファーの陰から、足が見える。四つだ。

「鼠がいるな」

 分厚いマスクか何かに覆われているのか、人の声に聞こえなかった。変声機で声を変えられている、と言った方が正しい。けれど大人の男性だろうとは予想できた。

「やはりあの男が匿っていたか」

「何のことかな」

 タイラーは歌うように、その場の雰囲気にそぐわない声ではぐらかした。

「鼠の匿いは公開処刑だと放送が流れたはずだ。聞こえなかったのか?」

「さあてねえ」

「今なら身包みを剥がし、火炙りで許してやろう」

「嫌だね」

 鼠。確かに、男の一人はそう言った。

 血管が切れそうなほど、血の流れる音が頭に響く。

「俺が一番許せねえもんはな、仲間の裏切りなんだよ」

「面白いな。アンドロイド風情に感情があるのか」

「お前らがいじくり回したんじゃねえか」

「ただの失敗作だ」

「アンタらの言う成功作じゃなくて良かったわ。一生奴隷としてテメーらに仕えなきゃいけねえとか反吐が出る」

 床に耳をつけているせいか、足音がいやに響く。廊下でもう一人の足音が聞こえる。今度は軽やかであり、タイラーの言う反吐が出る客人とは些か違う音。

 呼んでもいない客人二人は背後に気を取られた。タイラーの指が動く。銃声が響き、一人が床に転がる。

 廊下にいる背後の使者はナイフを片手に、ほぼ音もなく首を掻き切った。映画の世界にあるような血飛沫は一切なく、大量の血が防護服を伝い床になだれる。

「くそっ……」

 一瞬の隙をつき、目の前の友人たちは二人も殺した。この世界の人は、人を殺すのに戸惑いがない。俺は、戸惑いしかない。

「おい、まさかこれで失神とかしてねえだろうな?」

 タイラーは凪の胸元を掴み、無理矢理立たせた。

「人が死んだ、悲しいとか甘っちょろいことは言うなよ。此処はこういう世界だ。一瞬の隙で人は死ぬんだ。お前もやられていた可能性だってある」

「ああ……判ってる」

「判ってねえじゃねえか。何震えてんだよ」

 冷酷な顔で、タイラーは笑った。

 床に転がった二人はぴくりとも動かない。本当に死んだのだ。

 消防士のように防護服で身を固め、頭にはガスマスクで顔を覆っている。片方は首を撃たれ、もう片方はのどを掻き切られ、息はない。

「シルヴィエ……怪我は?」

「ないよ。全部返り血」

 まるで殺し屋だ。二つの死体を前に呼吸すらままならない俺とは違い、平然と息をし、ナイフの血を振り解く。朝食を前にしても、死体を前にしても、この二人の表情は変わらない。この顔で卵料理を作っていても、違和感はない。

「よく見て覚えておけよ。ガスマスクを付けてるこいつらが政府の人間だ」

「なんで、そんなものを」

「こいつらには必須アイテムなんだよ」

「タイラー?」

 異常な汗が額から流れ、頬を流れていく。

 タイラーはソファーを背に座り、浅い呼吸を何度も繰り返した。白かった包帯は赤黒く染まり、唇の色がおかしなほど変色していた。

「熱がある。腕から菌が入ったんだ」

「だろうな。畜生……いてえ」

「呼んでくる」

「馬鹿野郎」

 弱々しい悪態のほか、腕を力ない手に掴まれた。

「政府の人間が此処に来たんだぞ」

「けどお前を放っておけない」

「此処にこいつらが入ってきた意味は分かるか? お坊ちゃん」

「けど、タイラーが逃げろって言ったんじゃん」

「揚げ足取るなよ。今は地上も此処と同じくらい危険だ。なら此処にいた方がいい」

 虫の知らせというものは、感じるのかやってくるものなのか。少なくとも今は何も感じなかった。なのに、血の気が引き、心が失ってしまったかのように唖然とする。目はかすみ、唇はかさかさで、血の臭いで胃液が喉を逆流してくる。

 背後で制止の声が聞こえても、足は止められなかった。頑丈に閉められた扉は開いていて、俺は隙間に身を滑らせる。長い階段の先に見える光を追い、全力で駆け抜けた。冷え切った空気が服の隙間に入り、鳥肌が立つ。

「例え手元が狂っても……やっぱりお前が心配だよ」

 のうのうと安心安全な処にいるなど出来なかった。彼に対する心配と、好奇心という名の罪悪感にまみれ、荒々しくなる呼吸も大したことはないと意識を背ける。

 目に飛び込んできたのは、壁だ。壁だと思っていたものは棚であり、ビーカーや試験管、薬の瓶も並んでいる。なるべく触れないように隙間を通る。地下から通じていた部屋は、病院の診察室だった。

 机にはカップがあり、アルネスがいた名残があった。彼はいつも左手でカップを持ち、取っ手の向きも食事のときと同じ方向にある。

「アルネス……?」

 扉に手をかけると小さな光が走り、反射的に手を引っ込めた。手のひらでドアノブに触れながら握り、ゆっくりとドアを開けた。

 奥の部屋はリビングになっている。ソファーやテーブル、キッチン、ベッド、もう一つ先には風呂やトイレまである。

 荒い呼吸は正常に戻るのは困難だ。アルネスが見つからない限りは。びりびりと震える手を強く握っては開き、何度か足踏みをした。

 もう一度戻り、棚を見る。凪が通ってきた地下通路は隠し通路になっていた。ガラス容器や薬が入っている棚を、普通は弄ろうとはしないだろう。

 まだ空けていない扉がある。恐らくはこれが正真正銘『外』に繋がる扉だ。

 ドアノブに手をかけた。今度は静電気は起こらない。発生しない代わりに少しも意識を逸らすことができず、警戒と孤立感が膨れ上がっていく。

 孤立をしているのはアルネスの方だと嘆いた。今、きっと彼はひとりで得体の知れない何かと戦っている。そう思うと、すんなりとドアノブを回せた。

 だらりと垂れた手に、虫が止まった。蠅に似た虫は大きなギョロ目を動かし、細長く進化した尻から卵を産みつけようと、生きた肉を探していた。こんな寒気の中、肉を探し当てられたのは、寒さにめっぽう強い。

 地上に風が吹き、生物はあっという間に飛ばされた。おかげで俺は刺されずに済んだ。犠牲となれば、患部は炎症し、痒みと激痛で悶えることになっただろう。

「なんだよ……これ……」

 雪が降ったのか、所々にうっすらと白く残っていた。吐く息も白く、地下とは違い気温は人肌には厳しい。

 空には巨大な何かが影を作る。飛行船だ。ライトを地上に降らせ、何かを探しているようだ。人か、物か。当たらないよう、建物の反対側に隠れた。

 とにかく異様だった。何かは分からない。口では説明ができないのだ。名前も思い出せない、此処が何処なのかも分からない、けれど出身は日本という島国であったことだけは覚えている。そんな異様な自分が異様といえる地を踏んでいる。胸騒ぎがするのだ。息をすると、肺が変な音を奏でている。残念ながら美しい音色ではなく、干からびたような音だ。頭痛からくる耳鳴りもし、背後に回る人物に気づけなかった。

「動くな」

 背中に当たる堅い物は、何を示しているのか充分に承知している。異様な地にお似合いの物だ。

「どうやって生き延びた?」

「………………」

「答えろ」

「記憶にない」

 さらに強く押し当てられる。

「サンプルがひとりで逃げられるはずがない」

「………………」

 飛行船が放送を流している。逃げた鼠を見つけ次第、生きて政府の元へ持ってこい、と。

 辻褄が合うのなら、暴れても平気と捉えることもできる。

 左足に重心を置き、背後にいる男目掛けて右足を叩き込んだ。後ろにいる男はガスマスクをつけた政府の人間ではなかった。左の二の腕に腕章がある。恐らく、シェリフと呼ばれる保安官。

 体格の差もあってかシェリフは怯み、肘目掛けてもう一度蹴りを入れた。低い呻き声を上げた隙に右手を掴み、拳銃を奪い取る。

「貴様……!」

 暴れたせいか、逆流した胃液が喉仏の辺りまで押し寄せる。体調の悪さは『外』へ出てからだ。やはり、この地は何かがおかしい。淀んだ空気と人を人とも思わない殺し合いの数々。

 奪った拳銃を掴んだまま荒れた叢に吐いた。

「お前の身体じゃあ、毒を吸い込んでいるようなものだ」

「毒……?」

「今までよく生き延びた。それだけは褒めてやる」

 シェリフは懐から鈍色に光るナイフを取り出し、距離を縮めてくる。一歩後ろへ下がり、奪った拳銃の先を男に向けた。

「人も殺せないような鼠が、物騒なもんを向けるんじゃねえよ」

 言い終わるかどうかの瀬戸際で、銃声が鳴った。視線の定まらないまま男は前のめりに倒れ、人ではなくなった。もう、動かない。

「ハク……」

「どうして、外に……?」

「アルネスが……いなくて」

 まるで子供の言い訳だ。ハクに、友達に会えたのに、気分は少しも晴れない。

「ごめ……ハクに、俺……」

「人を殺すのは、初めてじゃないから……」

 殺めさせてしまったのだ。無関係で真っ白な純粋な手を、汚させてしまった。

「此処は、任せて……」

「任せてって……」

「処理、しておくから。僕は、アーサーに君を頼まれた。だから、絶対に守るよ」

 ハクはもう一つ拳銃を取り出した。銃口は迷うことなく俺に向いた。

「ハク……?」

「動かないで。手元、狂うから……」

 トリガーは引かれ、俺の左肩を掠めた。サイレンサーがついているのか、先ほどと同様に大きな音は鳴らなかった。

 意識を手放す前に見たハクの顔は、笑っているような気がした。

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