第4話 茸と肉

「これ……食べられんの?」

 三食きちんと提供してくれる料理は有り難いのだが、凪は初めて、限りなく文句に近い疑問を口にした。

「……店で購入したものだ」

「や、だってさ、色……」

 半透明なスープに浮かぶのは、ざく切りにした茸だ。香りは茸そのものだが色が問題である。基調とした赤に青の斑点がある情熱的な色合いだ。視覚と嗅覚が一致しない。

「食べろ」

「大丈夫なのか?これ」

「食べろ」

「いや、待てって」

「食え」

「……食べます」

 気持ちよさそうに浮かぶ茸をスプーンですくい、口に入れてみる。

 食感は茸だ。味はヒラタケに近く、塩味のスープに合う。

「……美味しい」

「食物繊維とビタミンDが多く含まれる。ビタミンDはカルシウムの吸収率を上げてくれ、この茸は乾燥したものをスープで戻したものだ。乾燥させるとさらにビタミンDが増える」

「なるほど。毒はないよな?」

 気になるのは栄養素よりもその一点だ。アルネスは何度目かスプーンを口に運び、刻まれたものが食道を通っていく。

「毒はある」

「えっ」

「取り除かれている」

「それ信用していいのか?どうやって取り除くんだよ」

「私は何度も食べている」

「もしちょっとでも残ってたら……」

 アルネスの皿にはほとんどスープが残っていない。

「私は死なないからな。問題ない」

「そんなの根拠ないだろ!」

「毒はない。事前に検査してある」

 アルネスは微かに頬を上げた。

「早く食べろ」

「はい……」

 アルネスはデザート代わりにもしているのか、甘いシュガービーツをシャリシャリと食べ始めた。食卓に上がらなかったことはほぼない野菜だ。本来ならばシュガービーツは灰汁が多くて生では食べられないと聞いたことがあるが、品種改良をしているのか泥臭さも渋みも全くない。

「なあ」

「なんだ」

「もしかしてだけど……」

 言い淀むと、早くしろと目で訴えてくる。

「シュガービーツ、好きなのか?」

 もしかしてではなく、ある程度の確信があって言った言葉だ。これだけ毎食食べていれば、誰だって気づく。人の気持ちに疎くても、幸せを噛み締めているのか時々目を瞑る仕草はこれを食べているときにしかしない振る舞いだ。

「………………」

「また無視か?好きと取るぞ」

「……皮を剥き、薄切りにしただけで一品ができる。素晴らしいと思わないか」

「素晴らしいと思うよ。美味しいし」

 薄切りかどうかは怪しいところだ。

「このところ、食事量が減ったように見える」

「え?そうか?」

 出されたおかずはすべて平らげるようにしていた。量を減らすなら、カゴに重なっている平たいパンだ。

 うまく誤魔化しても、この男には通用しなかった。

「いやいや、食事は有り難いし仕事ももらえてるし、言うことないって」

「……何が食べたい」

「えー……」

 言うまで席を立たせないつもりだ。碧い目は射抜き、まっすぐに見つめてくる。

「肉……とか」

「……肉か」

「好きだったんだと思う。記憶はないのに、肉の味は覚えてるというか。油が口に広がる感じや、噛んだときの弾力が口に残ってるんだよな」

「食べるという行為は、三大欲求のうちの一つだ。早々に忘れるものでもない」

 アルネスは腕を組むと俯いた。結んでいない髪が前に流れ、妖艶な雰囲気を醸し出している。

「肉は高級品だ」

「やっぱり?」

「簡単に食べられるものではない」

 食卓に一度も上がらないのだ。この辺では肉がほとんど食べられない地域だと、脳に記した。

 席を立つと、アルネスは残りの仕事を片付けると言い、部屋を出ていった。


 午前中で大まかな仕事を片付け終えると、ソファーに寝転がり本を読んでいた。医学の本で絵がついて比較的簡単そうなもので、クイズ形式で答えていく本だ。ゲーム感覚なので他の本より読みやすい。

 扉が開き、凪は顔を上げた。

「なんだい、アンタ」

 ふくよかな身体が揺れると、見つけたエプロンも揺らいだ。よくいる肝っ玉母さんそのものだ。

「アンタの採寸じゃないのかい?」

「私ではない」

「ふうん」

 寝転がっていた身体を起こし、凪は頭を下げた。

「あ、あの……初めまして。凪といいます」

 女性の迫力に押され、小声になってしまった。

「ま、アンタが拾ってきたんだから悪い人じゃないだろうさ」

「それでは頼む。凪、今日は遅くなる。残ったパンを食べていてくれ」

 アルネスは再び仕事に戻り、女性と二人きりとなった。

 狭そうに扉を潜り、女性は凪の前で止まる。

「なかなか悪い身体じゃないね」

「は、はあ……」

 初対面の女性に身体を褒められる。女性から受ける圧力もあり、居たたまれない気持ちになった。

「脱ぎな」

「え?」

「バスローブを脱ぎな」

 まるで「今日は良い天気ね」とでも言うように、さも当たり前に女性は言う。鞄を置くと、女性はテーブルに次々と仕事道具を並べ始めた。

「……裁縫屋さん?」

 木箱の中はソーイングセットとなっている。数種類の糸や針、ハサミなどが入っていた。

「夜具の寝心地はどうだい?」

「あ、ああ……良いです。あなたが作ってくれたんですか?」

「そうさ」

「ありがとうございます」

「まだ脱いでいないのかい?」

 訝しむ女性は眉をひそめ、バスローブに手をかけ、半ば無理矢理下に落とした。

「ぎゃ、ちょっと」

「男の裸なんか見慣れてるから心配しなくていいよ。裸じゃないと採寸できないんだよ」

「それって……」

 要約すると「全裸になれ」である。患者服に似たバスローブの下には何も身につけていない。

 女性は早くしろと目で訴えてくる。断る理由を見つけられない。意を決し、腰の紐に手をかけた。

「まっすぐ立って」

「はい……」

 肩幅や手の長さ、腰から肩までと、細かく採寸した数字を紙に記入していく。女性は見慣れていていると言うが、恥ずかしさは変わらない。

「よし、終わり」

「ふー……」

 急いでバスローブを身につけると、女性はあれだけ出した道具を慣れた手つきで片付けている最中だった。

「凪、と言ったね」

「は、はい……」

「私はシルヴィエ」

「シルヴィエさんですね。布団も作って下さったみたいで、ありがとうございます。とても柔らかいです」

 難しい顔をしていたが、シルヴィエと名乗った女性は初めて笑顔を見せた。

「シルヴィエでいいよ。みんなそう呼ぶ。服はもうちょっとかかるから、しばらくはバスローブ生活だね」

 玉のような汗の浮かぶ額を拭い、シルヴィエは大きな口を開けて笑った。

「ハクやタイラーは元気ですか?ハクはこの前会いに来てくれたんですけど」

「タイラーはしばらく見かけないねえ。遠くで仕事をしてるよ。荷馬車が壊れたって連絡が入って、それっきり。そろそろ戻ってくるころじゃないかねえ」

 この辺りは荷馬車を使用するようだ。宅配業者は存在していないのかもしれない。どこかの遊牧民が頭に浮かんだ。

「荷馬車も直せるんですか。この前、ベッドを作ってもらったんです」

「そういうことは、すべてタイラーに任せればいい。あいつの得意分野だから」

 シルヴィエは木箱を抱え、にんまりと笑う。

「さてと、今日は大事な日さ。先生も帰りが遅くなるから、先にご飯を食べて寝なさい」

「アルネスも言ってたけど、何かあるんですか?」

「んー……」

 シルヴィエは凪を眺め、頭を振った。

「それは言えない。けど、アンタがいい子にしていれば上手く進むさ。じゃあね」

 凪はソファーに横になり、シルヴィエの言葉を考えた。

 いい子にしていれば上手く進むのは、凪がおとなしくしていれば問題はないと言い換えられる。それは、外の世界では凪を中心に物事が進んでいるからで、記憶のない異端児として扱われていると捉えた。

 心の奥がざわざわし出し、押しつぶされたように気分が沈む。

「アルネスに……迷惑かけているよな……」

 出ていこうにも出してもらえない。牢獄のような場所は意外にも心地良く、記憶のない自分を拾ってくれて、毎日ご飯を提供してくれ、寝具や衣服までも用意しようとする人がいる。

 アルネスは何をしたいのか判らない。迷惑ならば元いた場所に返せばいいのに、捨てるつもりはないという。むしろ此処から出さないとまで言い切り、世話を焼いてくれるのだ。

 途端になんだか背中が痒くなり、凪は立ち上がった。

 初めてキッチンを見たときからむずむずしていたのだ。

 棚には果物ナイフや数種類の包丁がある。使い古したまな板と、鍋、フライパン、どれも黒くくすんでいる。後で磨けばいい。

 冷蔵庫のドアを開けると、ぱっくりと口を開けた魚がいらっしゃいと言ってくれた。目がいろんな方向を向いている。剥き出しの牙に触れると先は尖っていて、痛みを発した。

 粘着力のある液体に絡まっていて、触るのに躊躇した。どろっとしたものは洗えば意外と簡単に落ち、まな板に乗せた。

 過去の記憶は抜け落ちていても、魚を捌く腕はあったのか、やり方は知っていた。頭を切り落とし、内臓を除き、身と骨の三枚下ろし。食卓に内蔵は出ることはなく、もしかしたらこれも薬に使っているのかもしれないと、袋に入れて冷蔵庫に入れた。骨は塩を振ってザルに置く。天日干しが理想だが、生憎此処は窓もない。

「人工ライトでいいかな……」

 動物部屋には多数のライトがあり、あれは紫外線ライトだ。紫外線を浴びなければビタミンDは作れず、栄養分が身体に吸収されにくい。動物たちの生命線である。アルネスに許可をもらい、置かせてもらえばいい。

 残りの身は刺身を作る要領で切り、軽く塩を振って水分を抜く。ブロッコリーや人参など、野菜を細かく切り、炒めようとするが、

「……なんだこれ」

 塩は味見をしたので判るが、見たことのない調味料が並んでいる。味噌は醤油には期待していなかったが、これほど知らないものがあるとは思わなかった。

「……作るか」

 酢と油に卵はある。足りないが、主な原材料は合っているはずだ。

 炒めた野菜を冷まし、調味料と具材を合わせる。アルネスお手製のパンに塗り、火を通した魚を挟んだ。試しにひと切れ口に入れると、サバの味に近かった。シュガービーツもパンに挟むと、食感にアクセントが出る。

 本を読みながらアルネスを待つが、待てども彼は帰って来なかった。本が手からずり落ち、ついに重い瞼を閉じてしまった。


 人の気配を感じ、目を覚ました。暖かさを感じたのは毛布が掛けられていて、凪は落ちそうになる毛布を掴んだ。

「……アルネス?」

 椅子に腰掛け、アルネスはいつものアルネスと違っているように見えた。呼びかけにも応じないほど、かなり疲労が溜まっている。

「おかえり。帰ってたんだな」

「……これは?」

 冷蔵庫に入れておいたサンドウィッチだ。

「作ってみたんだけど……魚と野菜で」

「……食事にしよう」

 手を洗って席に着くまでアルネスは手をつけようとせず、凪が座るとサンドウィッチに手を伸ばした。

「どう?味見したときは悪くないと思ったんだけど……」

「……マヨネーズか?」

「おお!知ってたのか!」

「過去に何度か食べたことがある」

「最低限の材料で作ったから味気ないけど、やればできるもんなんだな。この魚はサバっぽくて美味しいよ」

 専ら話しているのは凪だ。アルネスは食事中はあまり話したがらない。だがアルネスとコミュニケーションを取れるのは食事中くらいなのだ。凪としては、顔を合わせたら出来る限り会話をしたい。

 最後の一口を食べ終え、凪は手を合わせた。

「日本で食べたマヨネーズとはちょっと味が違うんだよな。酸味が少し足りないというか。キッチンに酢があったのは驚いたけど」

「ここら辺のビネガーは甘みが強い」

「だな。マヨネーズはまだ余ってるから、他の料理に使おう」

 アルネスも残さず食べ、口元を拭った。

 口に合うかどうかも判らないまま作ったもので、全部食べてもらえるだけ万々歳だ。美味しいとも不味いとも言わない医師は、少し満足気に見える。

「その、どうかな?」

「……お前が料理が出来るとは思わなかった。ただ、」

 妖美な男は片目にかかる前髪を上げ、碧い目を凪に向ける。

「シュガービーツは、入れるべきではない」

「ごめん、美味しくなかったか?」

「そうは言っていない。シュガービーツは、そのままを食べるべきだ」

 はっきりと、滑舌良く、男はシュガービーツについて熱く語る。

「やっぱり……シュガービーツ好きなんじゃ……」

 アルネスは沈黙で返答し、皿を片付けるべく席を立った。

 起床時に見た、疲れ切ったアルネスはもういない。

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