第5話 高級品
思っている以上に思われていて、愛のこもった贈り物は涙を零すほど愛しいもので。
全力のありがとうを伝えるにはどうしたらいいのか、日々考えるようになった。幽閉された空間だが、閉じ込められたとは思えない。言えないような深い事情があるんだと、口にはせずとも察してた。きっと、外の世界は自分の知らない何かで覆われているのだと。それは大抵の人間には害を及ぼすようなもので、幸福で満たされないものだと。
生み出す力がない分、今は掃除や動物の世話で全力で伝えようと、今日も掃除に明け暮れる。
「おおー!すげえ……」
「どうだい?」
「ぴったりです!」
嬉しさを全力の笑顔で返すと、裁縫屋のシルヴィエは満足そうに頷いた。
わずか一週間弱で仕上がった服は、どれもサイズがちょうど良い。
「こういうズボンってなんていうんだっけ?ベリーダンスのときに着るズボンみたい。初めてだよ」
「アンタは足が長くてスタイルが良いから、よく似合う」
「そうかな?」
褒められると優しい風で肌で撫でられたような、こそばゆい感覚になる。
「どうかな?」
腕を組み、壁にもたれたまま何も言わないアルネスに声を掛けてみる。
シルヴィエに採寸されるよりもなぜか緊張した。
「……動きやすいのは、良いかと」
「だよな!俺も好き。旅人っぽいじゃん」
「もう少し何かないのかい?」
呆れた物言いでアルネスを睨む。
「先生はいつも言葉が足りないよ」
「………………」
話したくないものは無理に話す必要はないと、凪は納得している。
「シルヴィエ、ありがとう」
「バスローブ生活もこれで終わりだね」
「あれはあれで動きやすかったし、好きだけどね。アルネスの用意してくれたものだし」
キッチンに行こうとしていたアルネスは大きな物音を立てた。椅子に足をぶつけた。衝撃で床に倒れ、けたたましい音が耳に届く。
凪の視線の意味を理解したアルネスは、肩をすくめ視線を逸らす。
「椅子は壊れていない」
「あ、そういう風に捉える?」
「……問題ない。私は医者だ」
「医者とかそういう問題じゃないだろ」
ふたりのやりとりを見つめていたシルヴィエは軽くなった荷物を持ち、ソファーから立った。
「そろそろ帰るよ。他に必要なものはあるかい?」
「うーん……あのさ、雑草って生えてるだろ?適当に持ってきてほしいんだ」
「……雑草?」
「作りたいものがあって」
訝しむ表情のまま、シルヴィエはアルネスの様子を伺っている。質問されたシルヴィエは、答えを出せずにいる。
「専門外だね。先生に相談すべきだよ。それじゃあね」
素っ気い態度のまま、シルヴィエは大きな身体をゆらしてドアを潜った。
何事もなかったかのように、アルネスはテーブルに食事を並べ始めた。残っていたマヨネーズで味付けした野菜炒めと、ゆで卵、でこぼこしたパン。シュガービーツは当然のように鎮座している。
「さっきの話の続きだけど……生えている雑草を取ってきてもらいたいんだ」
「なぜ」
ことのほか、機嫌が悪い。
「迷惑掛けちゃって、これ以上頼むのは気が引けるんだけど……」
「私は理由を聞いている」
「お茶を作ってみたいんだ。アルネスはお茶って知ってる?」
「……この辺では飲めない」
「飲む習慣がないってことか?ハクが二度来てくれたとき、何か出そうと思ったけど水しかなくてさ、せめてお茶を作っておけば次来てくれたとき出せるかなあ……と」
文末になるにつれて、声が小さくなっていく。わかりやすいほどにため息を吐かれてしまったからだ。
「ほら、他のお客さんもまた来るかもしれないし」
「来ない」
「え?」
「そもそも、家に人を呼ぶこと自体稀だ」
「そっか……ごめん。我儘言って」
「……お前の言う雑草とは、どんなものだ?」
シュガービーツの水分で、パンを流し込んだ。
「花でもいいんだ。タンポポとかさ、この辺に生えてない?タンポポの根はお茶になるんだよ」
「……タンポポ」
「黄色い花だよ」
「咲いてないな」
今の季節に咲いていないのか、それともタンポポが咲く地域ではないのか。理由はどうあれ、無いのは変わらない。
「客人の話になったため、一つ言っておく。万が一、外に通じる扉が叩かれたりしても、絶対に反応するな」
「わかってるよ。ていうか出方も知らないし」
「……それはそうだな」
たくさん話した食事会だが、妙に後味の悪い夕食となってしまった。無言で片付けをし、シャワーを浴びて部屋に戻るとアルネスはすでに就寝していた。
「ごめん、アルネス」
何度目か判らない謝罪を口にし、自室に戻る。読みかけの医療本には栞代わりに挟んでいたビニール紐がはみ出ていた。読んでいたページには、輸血について書かれている。A抗原を持つA型はB抗体があり、A型とAB型にしか輸血ができない。小難しいことを書いているが、赤ペンで持ち主が記したであろう『喧嘩し合うため、基本的には同じ血液型同士』と横に書いている。これならば判りやすい。輸血だけではなく、血液型の親子関係についても横に言葉が添えてあった。
凪は跡の残るページを開き、眠くなるまで読みふけった。
「あれ?」
もう一度、目の前をうろうろする生物を数え直した。ヤギは小屋から出て光源の元で日光浴をしている。散らばる鶏たちを目で追いながら数えていくと、何度確かめても六匹しかいなかった。
昨日までは七匹いたはずだ。鶏小屋に隠れていると思い覗いてもおらず、いないと思いつつも藁の中まで入念に調べる。
「……なんで?」
新しい藁と交換し、掃除も羽根集めも終えると自室にある本棚から『鶏の育て方』という本を出す。これはすでに読み終わった本だが、確認のためもう一度開いた。
共食いするとも書いていない。不自然な羽根や残骸などは落ちていなかった。
アルネスに相談しようにも、今は仕事中で『外』に出ている。ハクもこちらからは連絡が取れない。八方塞がりだ。
「せめて電話があればなあ……」
会えなくてもメールでも出来れば状況が伝えられるのに、アルネスですら持っている様子はないのだ。携帯情報端末の類はない国なのかもしれない。
相談が出来ないとなると、待つしかない。
掃除を終える頃、アルネスが帰ってきた。今日は早い帰りだった。
「それなに?」
両手で袋を持ち、テーブルに置いた。
「夕食にする。先に風呂に入れ」
「いいの?」
いつもはアルネスの後、入るようにしていたのだ。そうすればまとめて掃除ができるからだ。
「入れ」
「わかった」
風呂場に行こうとし、改めて彼を見た。
「なんだ?」
「いや……何も」
見た目の変化と言えば、今日は白衣を着ていない。それに匂いだ。アルネスは石鹸のハーブの香りと医薬品の香りが混じった匂いをさせているのに、今日は血生臭い。
シャワーを浴びてリビングに戻ると、凪は驚愕した。
「え、え?」
ソファーの上で足を組んでいる男は優雅に本を読んでいる。凪の驚きなど気にも留めていない装いだが、文章を追う目が止まっていた。
「アルネス……どういうこと?」
「空腹だ」
「いやいやいや……俺の思考がついていけないんだけど」
「食べたかったんだろう?」
香ばしい焼け焦げた匂いと、割れ目からは油が流れ落ち、皿が水溜まりのように滴っている。多少焦げてはいるが、紛れもなく肉の塊だった。
「どうした?早く座れ」
「う、うん……」
食べ始めるアルネスを眺めていると、目線だけで「食べろ」と急かしてくる。
凪は手を合わせ、律儀に『いただきます』をしてからフォークとナイフを持った。
しっかりと焼きすぎた塊にナイフで切れ目を入れ、一口大に切る。口に入れ噛み締めると、柔らかい弾力からはジューシーな肉汁が溢れ出す。
「美味しい……」
「そうか」
アルネスは凪に一瞥を投げ、再びカトラリーを動かした。
初めてふたりで取った食事のように、言葉が少ない。居心地が悪いわけではない。カニやシジミを食べているときと似ている。目の前のあるべきものに集中し、目の前にいる偉大な人には思慮に欠ける行為。静かに食事をしたいアルネスにとっては有り難いことかもしれないが、静寂に包まれた食事は申し訳ないと、凪は口を開く。
「これって鳥のもも肉だよな?」
「ああ」
「口の中が幸せ……旨みが脳に染み渡るよ」
アルネスは目元を緩め、優しい笑みを見せる。
シンプルに塩で味付けされただけのもも肉だが、新鮮な肉であればあるほど塩のみで充分すぎる。
凪の手が止まった。
「……もも肉」
口に入れた肉が飲み込めない。美味しいという感情より、ひとつの疑問が浮かび上がってしまった。果たしてこの肉は何処で手に入れたものなのか。
その疑問は午前中に動物部屋での疑問と重なり、あるひとつの筋が浮かんだ。できれば嘘であってほしい。そして、料理までしてくれた彼に、全力で否定してほしい。
「なあ、このもも肉って……」
「なんだ」
「何処で、その……」
「何処とは。いただろう」
いただろう。否定の言葉ではない。
「まさかとは思うけど……」
「回りくどい」
「……今日さ、アルネスに連絡できなくて困ってたんだ。餌やりと掃除しに動物部屋に入ったら、その、一匹いなくて」
アルネスの透き通るような美しい目が凪をじっと見る。視線が下がり、半分ほどになったもも肉に移る。
「……冗談じゃなくて?」
「私が冗談を言うとでも?」
「ちょっと待て。なんでだよ!なんで……」
「まさか家畜相手に可哀想などと言うタイプなのか?くだらん」
「違うって!ペットとして可愛がってたわけじゃないし」
アルネスはもう一口食べ、小さく千切ったパンも一緒に口に入れる。これだけ綺麗な食べ方をされたら、鶏も本望だろう。
「不味いのか?」
「不味そうに食べてるように見えるか?めちゃくちゃ美味いよ。感動して涙が流れるほど。泣いてないけど」
「ならいいだろう」
「けどさあ……」
「食べろ」
「はい」
食べ物の有り難みに、そしてアルネスに感謝し、残りの鶏もも肉を平らげた。涙は流れなかったが、心にはじんわりと熱い何かが溜まっていた。
「嬉しいよ。美味しかった。ありがとう」
「感謝のオンパレードだな」
「けど、本当にいいのか?卵を産む大事な家畜だろ?」
「ある程度生き続ければ卵を産まなくなる。そいつを締めた」
「綺麗な顔から『締めた』とか聞くと複雑な気分になるよ」
「……片付け」
「オッケー。やっとくよ」
二、三日に一度しか産まない鶏がいたが、その鶏を締めたのだろう。締めるアルネスを想像するが、きっと顔色一つ変えずに行うのだろうと浮かぶ。生きるために、命の頂く有り難みは充分に実感できた。
シュガービーツのない食卓だったが、アルネスは満足げだ。と思ったら、アルネスは風呂上がりに切っておいたシュガービーツを冷蔵庫から出し、本を読みながら摘まんでいる。視線を感じたのか、皿を少し凪へ押した。
「食べることは、命を奪うことである」
「急になんだ?」
「昔、どこかで聞いた言葉なんだ。それを思い出してた。明日からまた、動物の世話を頑張るよ。さらに気合いが入る」
「そうか」
「冷蔵庫にある残りの肉だけどさ、もらっていい?」
アルネスは本から顔を上げた。
「作ったことのない料理だけど、挑戦したくて。ダメ?」
「内蔵以外なら構わない」
「内蔵は?」
「薬に使う」
「わかった。上手く出来るか心配だけど、楽しみにしていてくれよ」
アルネスの目は、憂いと戸惑い、懐かしさが混じり、捕らえ所のない色で視線を向ける。
アルネスの目的は薬だったのか聞いても答えてくれないだろう。目的が何であれ、行き場のない感情を降下させてくれたのはアルネスのおかげだ。代わりに暖かな別の感情が生まれ、込み上げる感謝が爆発しそうになっている。感謝の二文字は、明日以降に作る料理に込めればいい。
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