第3話 発明家ロバート


*


 研究者の空気、と言うものがある。

 何か一つのモノに精魂込めて興味を向け、余すところなく知り尽くそうとするその行為は、傍目から見ると変態的と言わざるを得ない。そんな『研究』という行動をとる者は得てして狭い空間に閉じこもりがちであり、その空間には往々にして、暑苦しさとも薄暗さとも違う名状しがたい空気が充満するのだ。

 ヴェルンロード学園が管理する男子学生寮の中、最南端に位置する部屋の扉を開けた途端、ゼルロスはその独特の空気に全身を襲われた。

「……相変わらず散らかりっぱなしだな、ここは」

 もはや自分の部屋と変わらないほどに慣れ親しんだその空気を鼻腔いっぱいに味わいながら、ゼルロスは部屋の奥へと進む。

 室内の突き当り、果たして何の用途に使うのか全く分からない大量の器具に上下とも占領された二段ベッドの横――唯一の窓を塞ぐ形で設置された机に向かって、この部屋の主たる肥満体系の男が、何やら作業に没頭していた。

「また目を悪くするぞ、ロバート」

 ゼルロスが言いながらその背中を叩くとそれでようやくルームメイトの存在に気が付いたのか、男は作業を中断し、くるりとその顔をこちらに向けた。

「――あ、ゼルか。いや待ってたよ」

「待ってたって言うなら、せめて部屋に入った時点で気付くくらいには外に意識を向けていてほしかった……ええと、その恰好は何だ?」

 辛うじて空いていたスペースに荷物を置き、それからゼルロスはこちらを向いた部屋の主――ロバートの顔を覗き込むと、その風体の異様さに首を傾げて尋ねた。

 ロバートの格好は、ありていに言って奇妙だった。

 学園指定の黒い制服の上に羽織った煤だらけの白衣や、ぼさぼさに伸びきった金髪という出で立ちもまあ奇妙だが、それは彼の普段の格好だ。いま最も異彩を放っているのは、ロバートの顔面の上半分を隠すゴーグルだった。

 まず、巨大だ。そもそも体のパーツが大きいロバートでさえ顔の半分は隠れているのだから、ゼルロスが使えば完全にフルフェイスマスクと化すだろう。

 次に、その形状が奇特すぎる。段々と前面に出っ張った形をしていて、両目の部分には直径五センチほどの丸い覗き穴が開いており、さらにその隣のは、小さなスイッチのようなものがある。

「これね、新作の望遠ゴーグル。試作品だけど、また一稼ぎできそうなもの作っちゃったよ」

「望遠ゴーグル?」

「ほらつい最近、騎士団の技術部が前史世界の『レンズ』とかいう道具を再現したじゃん?それを魔工学部のコネを使って、安く仕入れたのよ。で、前作った発光ゴーグルに組み込んで、完成したのが……」

 ロバートがそう説明しながらスイッチを押すと、ガラスの向こうに見えていた彼の瞳が、いきなり巨大化する。

「ワンタッチで普通のガラスと切り替え可能の望遠ゴーグルってわけ。うわ、君のまつ毛の一本一本まで見えちゃってるな。ちなみに倍率は五倍ね」

「それが、今日見せたかった発明品?」

「うん。ほら使ってみなよ」

 そう言ってロバートは顔からゴーグルを外すと、ゼルロスに手渡した。

 受け取ったそれを装着しながら、ゼルロスは部屋の隅に置かれた安物のソファーに座り込む。そこはほとんどロバートのものと化したこの部屋において唯一、自分のスペースとして確保された場所だった。

「確かに、これは凄いな」

 スイッチを弄って望遠レンズとガラスとを交互に切り替えながら、ゼルロスは呟く。実際のところ、この発明品の出来はかなり良質だった。レンズ越しに視界がぼやけることもなく、首を動かすだけで部屋の細部までが見渡せる。

 そうして見えてくるのは、この部屋のひっくり返したような乱雑さ具合だった。

 見渡す限りの物、物、物。おそらく一般常識のある人間が見れば即座に『ガラクタ』とルビを振るであろう謎の物体の数々。それらに埋め尽くされているせいで、ほとんど床が見えないほどに足の踏み場がなくなっている。

 仮にも人の生活する空間とはとても思えないほどの有様である。自分が寝泊まりする場所であることを鑑みれば、なおさら現実と信じたくなくなる光景だった。

「なあロバート、この部屋、少しは片づけたらどうなんだ?寮監が近づかないのも頷けるぞ」

「んん、だって誰も文句言わないし?僕の部屋をどうしようが、僕の勝手でしょう」

「一応、俺の部屋でもあるんだけど」

「君は別に文句言わないじゃない」

「まあ確かに、あんまり小綺麗すぎるよりは散らかっている方がまだ落ち着くが……まったく、ルームメイトが俺でよかったな。ほかの貴族出身者だったらどうなっていたか」

「ああ知ってるよ、それ、前史世界の言葉で『ルイはトモを呼ぶ』って言うんでしょ……あはははは、何だいそれ!」

 呑気な答えを返しながら椅子から立ち上がったロバートは、ゴーグル越しにゼルロスと目が合った途端、心底おかしそうに笑い出した。

 その目に映っていたのは、ゴーグルのサイズが合っていないがために顔全体が隠され、見るからに滑稽なものと化したゼルロスの顔だった。

「なんか機械のネズミみたいだねえ!」

「お前の顔を基準に作るからこんな風になるんだ、この肥満男」

 ゼルロスはそう言いながらゴーグルを外し、ロバートに返した。

「肥満男って、それ貶してる?」

「歴然の事実を言ったまでだ。変人よりはマシだろう」

「変人、ね。君にはあんまり言われたくないけど」

 苦笑しながらの返答に、ゼルロスはその意味するところを理解しかねて「は?」と訊き返す。するとロバートは「だからさぁ」と前置きをし、

「ライヘンバッハ伯爵家の次男坊って肩書を最初に聞いた時は『バリバリお坊ちゃまじゃん』って構えたけど、いざ接してみると、本当飾らない性格してるじゃない、ゼルって。不自然なくらいに」

「……いきなり何を言い出すんだ?」

「今だって、庶民の僕が作ったオモチャも抵抗なく使うし、この部屋にも大して嫌な顔しないし。全体的に貴族っぽくない。君も変人だよ、十分」

 そんなロバートの言葉に、ゼルロスは誤魔化すような苦笑を返した。

「あのなロバート、君と比べて同列に扱われるのは流石に心外だ。見ろ、そのゴーグル。自分を基準に作ったら他人の顔は全部隠れるくらいデカかったなんて、そうそうある話じゃないぞ」

「はっは。試作品だからさ、そういう細かいことは考えてなかったよ。まあでもそうだね、今度はゴーグルじゃなくて仮面にでも組み込んでみようか」

 受け取ったゴーグルを机の上に戻しながら、ロバートは応える。

 そんな声を半ば聞き流しながら、ゼルロスはソファーに倒れこみ、枕の上に顔をうずめる。それからふと思い出したように、

「仮面と言えば、さっき兄上に会ったよ。ペルソナの事件で聞き込みをしていたらしい」

「へえ?」

 その話を切り出した途端、興味津々といった様子でロバートは椅子から身を乗り出してきた。

「流石は帝都だねぇ、魔術騎士団の首席サマをそんな雑務に使うなんて。田舎じゃそもそも、魔術師ってだけでとんでもなく貴重な人材なのに。……いいなあ、僕も魔術が使えたらなあ。もっとたくさん、とんでもないものを作れるだろうに」

「魔術に関しては、完全に生まれ持っての才能だからな。もっとも君に魔術の才能があったら、大量破壊兵器でも作るのに使いそうで怖いけど」

「それって、前史世界が終わる原因になった超兵器みたいな?カク、とかいう」

「さあ、どうだろう」

 ゼルロスは話しながら、首回りが痛くなってきたのを感じて、うつ伏せの姿勢から再びソファーに座りなおす。

「そういえば、例の仮面のことで、後で兄上が話を聞きに来るかもしれないぞ。……正直この部屋に踏み入ってほしくないが」

「仮面ねぇ。確かにあれは僕に自信作だけど、ペルソナについては何も役に立てないと思うなあ」

 頭を掻きながら、ロバートは言った。

 ペルソナと言う犯罪者が身元を隠すために使う仮面は、誰あろうロバートによって製作されたものだ。

 そもそもは、舞踏会用に外れにくく呼吸のしやすい仮面を作ってほしいという依頼が始まりだった。しかし熱の入ったロバートが究極まで利便性を追求した挙句に非常に完成度の高い逸品を作り上げ、そのうえついでに小遣い稼ぎに販売しようと量産した結果、顔を隠して悪事をするには最適なアイテムとなった。そのうちの一つがどこかで殺人鬼の手に渡り、愛用されるようになってしまったのである。

「それにたとえ何か知ってても、騎士団には協力しないんじゃないかなあ、僕。個人的にはペルソナさんには頑張ってほしいし」

 そんな聞く人が聞けば危険人物と断定されかねない発言を堂々とする友人に、ゼルロスは溜息をつくばかりだった。

 これがロバートが変人とされる所以の一つである。

 自分の発明品がよりによって殺人などに悪用されれば、普通は怒るかせめて悲しむのが良識ある人間の反応というものだろう。だがこのロバートは、自分の発明品が世間から脚光を浴びていることを、こともあろうに喜んでいた。それが創作家としての自己顕示欲ならまだゼルロスにも理解できたが、どうやら話を聞くに、彼にとっては『わが子の出世を喜ぶ気持ち』に近いらしい。

 つまるところロバートと言う人間は、研究者として社会的にズレているだけでなく、もっと根本的な、倫理や道徳と言った人間的な部分が『変』なのだ。

「ロバート、ペルソナは殺人鬼だ。もう五人もの人間を殺してる。思っていてもそういうことは口にすべきじゃない」

 あくまで『優等生かつ人格者』という仮面を被ったまま、ゼルロスは白々しいほどの台詞を素面で吐く。

「そういえば昨日も出たんだってね、ペルソナ。なんか愛娘の活躍を見てるみたいで嬉しいよ」

「だからそういうことは――、っ!」

 重ねて苦言を呈そうと口を開いたその瞬間、脳が割れるような頭痛に襲われ、ゼルロスは反射的に両目を閉じる。

 同時に、その瞼の裏に映像がフラッシュバックした。


 ――氷と炎。両立のありえない二つの地獄。

 そしてそこに立つ、黒髪の女。


 一秒の間を置いて、網膜から映像は消え去る。それと同時に頭蓋の奥から痛みが引いたのを確認して、ようやくゼルロスは目を開いた。

「……大丈夫?」

「あ、ああ……」

 ロバートの心配そうな声に応えながらも、その頭にはまだ先ほどの痛みの残滓が残っていた。

「やっぱり僕、一度医者に診てもらった方が良いと思うよ。はいこれ、風邪薬」

「……すまない」

 ロバート手製の錠剤を受け取りながら、忌々しげな声でゼルロスは言う。

 ゼルロスはこの頃、突発的な頭痛に悩まされていた。何でもないようなふとしたタイミングで、頭蓋骨が内側から叩き割られるような痛みに突然襲われるのだ。多くの場合、それは見たこともない風景――もっぱら氷と炎の入り混じった荒野のような場所――のフラッシュバックを伴っていて、明らかに尋常な医学的現象ではなかった。

「……さっきまた、あの夢を見たよ」

 額から流れ落ちた一筋の冷や汗を拭いながら、ゼルロスはそう口にした。

「それって、変な女が出てくるっていう?」

「それに今、痛んだ時にも一瞬姿が見えた。黒い髪の女が」

 その正体の分からない女性が、フラッシュバックとともに現れるもう一つの存在だった。夢とも現とも取れない混沌とした景色の中、異質な存在感をもってこちらを見ている黒い女だ。

「その人にはさ、心当たりとかないの?昔好きだった人とか」

「ないよ。あんな女、見たことも会ったこともない。……あったなら、こんなに苛立ってないさ」

「もしかして、魔術的な攻撃とか。その女の人が犯人なのかも」

 悪意を持った第三者による、魔術的な攻撃――それも確かに、考えるべき可能性の一つではある。呪詛じゅその類は被害者に現れる効果が既存の病的症状に似通っている場合も多い。

 しかしそうなると、ゼルロスに現れている症状があまりに軽微であるという疑問が残る。

 もちろん本人の心境からすれば忌々しいことこの上ない状況だが、客観的には今のゼルロスに起こっている異変は、時折頭痛に襲われる程度だ。呪詛と呼ばれる魔術はなべて秘密裏に人を殺すことを目的とするものであり、この場合は、命に係わるほどの症状とは言い難い。

「今度会ったら、兄上にも相談してみるかな……」

「優秀な魔術師だもんねぇ。ま、医者に掛かりたくなったら僕に言ってよ。医学科にもコネはあるからさ」

「ああ、そうだな。あの調子だと、兄上はペルソナの件が落ち着くまで忙しいままだろうし」

 となると頭痛は医者の方に相談するのが先か、とゼルロスはまた溜息をついた。

「ねえゼル、今の聞いて思ったんだけどさ。君がペルソナを嫌うのって、もしかして敬愛するお兄さんが忙しくなっちゃうから?」

 冗談を言うでもなく、至極真面目な顔をしてそんなことを訊いてくるロバートに、ゼルロスは呆れて嘆息した。

「そんな子供みたいな理由なわけないだろ。それに俺はペルソナを嫌っているわけじゃない。アレは殺人鬼だから、糾弾してるだけだ」

「ふうん?嫌いじゃないって、じゃあ、気に入ってる部分もあったりするの?」

「そうだな。あえて言うなら、名前だ」

「名前?」

 ゼルロスは頷いて、

「『ペルソナ』っていうのは、前史世界の言葉で『仮面』と言う意味を持つ単語なんだ。名前に前史の言葉を使っているところには、ちょっと好感を持てるかな」

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