第2話 兄弟


*


 国内でも随一の規模と収容人数を誇る名門大学。それがゼルロスたちの通うヴェルンロード学園だ。

 その敷地は帝都の実に十分の一を占め、生徒の五割が貴族の出身である。帝国軍事力の要とされる帝都騎士の養成という役割も兼ねており、名実ともに一流の学び舎と言えた。 

 中でも教室数の多さから、常に学生の多くに利用される第二校舎——雑踏でごった返すその廊下を、ゼルロスとルフィアは並んで歩いていた。

 午前二時限の授業の後には、九十分間の昼休みが設定されており、講義選択制の学園では、この時間には一日の予定が終了している者も多い。学舎内が賑やかになるのは必然のことだった。 

「眠そうね」

 ゼルロスが歩きながら欠伸をしたのを見咎めて、ルフィアがそんな風に話しかけてくる。

「さっき、中途半端に起きたからかな」

「あら。目が覚めて最初に見るのが学園一の美少女なんて、普通とっても幸せなことなのよ?」

「あっそう。念のため言っておくけど、もし俺を誘惑したいなら、まずはその主張の激しい性格を直してくれよ」

 冗談と分かっていたので、ゼルロスはそんな軽口で返した。

 ——とはいえ、ルフィアが学園でもかなり上位に入る人気者であることは、疑いようのない事実でもあった。

 まず第一に、容姿が抜きん出て整っている。

 淑やかさと凛々しさが絶妙に両立した端正な顔立ち。腰まで伸ばした輝くような金色の髪は、風に揺れるたびに優雅な魅力を醸し出している。おまけにスタイルも抜群で、彼女は女性として備えるべき容姿を完璧に生まれ持った人間と言えた。

 そして第二に、その性格である。

 外見とは裏腹に非常にはっきりとした性格の彼女は、そのカリスマ的な素質から異性だけでなく、女子生徒からも憧れと言う形の高い支持を得ている。ファンクラブなるものも存在するらしく、彼女は学園を卒業しても、コネクションに困ることはないだろう。 

「お昼、何を食べましょうか」

 他の学生たちが思い思いに会話をする中、ルフィアの声は全く遮られることもなく凛然とゼルロスの鼓膜を震わした。

「……君、今日の講義はこれで終わりだろう。帰ればいいじゃないか」

「あなたはこの後もあるんでしょ?ならお昼くらい、一緒に食べてもいいじゃない。幸い、ここの食堂の料理はなかなか上等で、私の好みだし」

 ルフィアの言う通り、生徒の半数が貴族出身ということもあり、この学園が提供する食堂のメニューはどれもかなりクオリティーが高い。値段もそこそこに落ち着いており、庶民の出の学生からも人気の高い場所だった。

 しかしゼルロスは首を横に振り、その提案を断った。

「残念だけど、昼は先約がある。ロバートがまた面白い発明をしたらしくてね。寮で見せてもらう約束なんだ」

「ロバートって魔工学部の……あの変人?」

 ルフィアは露骨に嫌そうな顔をして、そう訊き返した。ゼルロスは頷いて、

「そうだよ。でも、俺の友人をそうはっきりと変人扱いしないでもらいたいな」

「扱いも何も、事実、学園一の変人じゃない。……あなたって自身は完璧超人の癖に、知り合いはおかしな人ばかりなのね」

「君を含めてね」

 平然と毒を吐くルフィアに、ゼルロスはそんな皮肉で返した。

 実際のところ彼女の言動はそう奇特なものではないが、学内のほぼすべての生徒を掌握し、意のままに動かせるというのは、ゼルロスからすれば十分に変人の部類に入る特徴だった。

「あなた、私と食べる昼食より、そんなオタク友達との約束をとるの?」

「ああ、友達との約束だからね。それに君の口には合わないだろうが、あいつの作る肉飯も絶品なんだよ」

「私だって友達でしょう」

「否定できないけど、まだ親友ってほどの仲じゃない。ロバートの方がまだ親しみがある」

 それはゼルロスにとっては歴然の事実たる人間関係の差だったのだが、どうやらルフィアには大いに不満な言葉だったらしい。彼女は一瞬だけ片眼を細め、それからすぐに表情を整ったものに戻した。本人は取り繕っているもりなのかもしれないが、不機嫌なのは明らかだった。

「……なあルフィア、君、どうしてそう俺に付き纏うんだ?」

 ふと怪訝に思って、ゼルロスは尋ねた。

「何。惚れられてるとでも思ってるの?」

「いいや、そこまで自惚れてない。だからこそ不思議なんだ。ほんの一ヶ月前まで赤の他人だった君が、どうしていきなり俺に絡むようになったのか」

「そうは言っても、前々から名前と顔は知ってたでしょう」

「……否定はしないけど」

 実際のところ、ルフィアは学園一の人気者と言っていい人間だし、ゼルロスは学業の面で言えば超がつくほどの優等生と、お互いにそれなりの有名人である。知り合う前から、その存在は見知っていた。

 彼女がゼルロスに絡んでくるようになったのは、まさしく一ヶ月前のことである。

 例えば同じ講義を受けている時、平然とした顔でゼルロスの隣に座るようになった。

 例えば食堂で昼食をとっている時、断りもなく相席してくるようになった。

 そんな、およそ今までなんの関わりもなかった人間がすることとは思えないような、露骨な接触が増えた。困惑しつつも適当に応じているうちに、それがほとんど日常のことと化してしまったことは、ゼルロスにとって頭痛の種だった。

 こうなった原因が、ゼルロスには解らない。

 いや、正確には一つだけ心当たりがあるのだが——それが原因とは思いたくないというのが、彼の正直な気持ちだった。

「どうしてか知りたい?」

 躍り出るようにゼルロスの行く先を遮り、それからルフィアは悪戯っぽく笑った。

「あなたが嘘つきだからよ」

「……どういう意味かな」

 やや腰を落として上目遣いでこちらを見てくるルフィアを、ゼルロスは内心の苛立ちを努めて隠しながら訊き返す。

「武闘大会での大番狂わせの件」

「…………」

 やっぱりその件か、とゼルロスは頭を抱えたくなる。

「あなたは、それ以前は実力を隠していたのよね、つまり。学園随一の実力者を叩きのめす腕があるくせに、座学専門って顔して。自分の社会的地位を意識して調整してたってことでしょう。

 そういう"悪巧み"が出来る人間がね、私は好きなの。腕も立つし頭もいい、ルックスもまあ、悪くないし」

「……はは。人聞きが悪いな、悪巧みなんて」

 爽やかな声を作って笑いながらも、その胸中は忸怩たるものだった。

 一か月前のことである。

 ゼルロスは、学園主催の武闘大会で優勝した。

 もともと出場するつもりもなかったものに放り込まれ、挙句、やむを得ない状況に追い込まれた結果である。しかも、その過程で士官学部の首席生を叩きのめした彼は、当然ながらその後、学園中から今までとは質の違う注目を集めることとなった。

 ”目立ちすぎる”という表現をもはや軽く超えたその環境は、ゼルロスにとっては忌々しいものでしかなく、自らが犯した大失態を悔やむ日々を送っていた。

「俺はただ、騎士になるつもりがなかっただけだよ。士官学部も履修していないし、あの武闘大会も、複雑な人間関係的事情が重なっただけで……」

「でも結果、優勝してるじゃない。そんなつもりはなかったけど勝っちゃいましたー、ってこと?」

「違う。君なら解るはずだろう、あの時はああするしか——」

 果たして優等生の仮面を被ったまま、どうルフィアの追求を逃れようか――そう頭を悩ませていたところで、ふとゼルロスは立ち止まった。

「……兄上あにうえ?」

 視界に認めた人影を知己のものと確信し、ゼルロスはぽつりとそう呟く。それを聞き留めたルフィアも、彼の視線を追って後ろを振り返った。

 二人の立つ場所から十メートルほど先――そこにいたのは、艶やかな顔をいかにも真面目に引き締めた美丈夫だった。

 学園が定めた黒の制服とは対照的な純白のロングコートを着込んだその姿は、学生が波のように溢れるこの空間では異様に目立っている。どうやら彼は、数人の生徒を相手に何か質問をしているようだった。

「どうしたんですか、こんなところで?」

 その会話が終わったタイミングを見計らい、ゼルロスは彼の許へ歩み寄り、そう話しかけた。

 青年は肩まで伸ばした黒髪を翻して呼ばれた方へ振り向き、それからゼルロスの姿を認めると、堅かった表情をいくらか柔らかくした。

「ゼルか。こうして会うのは、ずいぶん久しぶりな気がするな」

「兄上も忙しい身ですから、仕方ないですよ。今は聞き込みですか?」

「ああ。しかしこういう地道な仕事はどうも性に合わなくてな。やはり私の騎士としての価値は、戦場においてこそ発揮されるのかもしれない」

 頭を掻きながら、青年はそう嘯く。

 彼の名は、ギルバード・ライヘンバッハ。

 他ならぬゼルロスの兄にして、誉ある帝都騎士団の一員である。

「お前は、講義か。学園ではどうだ?お前なら成績で苦労するということはないだろうが……」

「ぼちぼち、問題がない程度にはこなしていますよ。楽しいものです、学生という身分は」

「学園トップの優等生がぼちぼち、、、、?世間ではそういうの、嫌みっていうのよ、ゼル」

 ルフィアはそう言って、二人の会話に後ろから割って入った。ゼルロスは一瞬だけその表情を歪め、それからすぐに、もとの柔和な笑顔を兄に向けると、

「兄上、彼女は――」

「ルフィア・スカーレットです。お噂はかねがね聞き及んでおりますわ、ライヘンバッハ卿」

 またもルフィアはゼルロスの言葉を遮り、自己紹介を述べる。

 その横で、ゼルロスは誰に聞こえないように溜息をついた。彼女の遠慮のない性格には慣れたつもりでいたが、こういう場面では未だ辟易せざるを得ない。敬愛する兄との会話でともなれば、なおさらだ。

 しかしゼルロスは、そこでふと、ギルバードが怪訝な表情を作っていることに気付く。

「……『スカーレット』?しかし貴方は……」

 困惑気味の声で問うギルバードを、しかしルフィアは口元に人差し指を立てるジェスチャーをして制止した。

「ここでは社会的立場は無視してください。弟さん含め、周囲には身分を隠していますから。遠慮なく、”弟の学友”としてフランクに接してくださいな」

「……分かりました」

 戸惑いに眉を寄せながらもギルバードはそう言って頷いたが、その態度には、まだどこか不自然な遠慮のようなものが見て取れる。

「ルフィア?身分ってのはいったい……」

 そんな兄の様子にゼルロスは思わず首を傾げ、そう尋ねる。しかしルフィアは意味ありげな笑みを返すだけだった。

「秘密よ、今はまだね」

「今は?」

「そうね。さっきの誕生日パーティーの話、来てくれるなら教えてあげてもいいわ」

 それを聞いて、ゼルロスは「じゃあ結構」とかぶりを振った。ギルバードの不自然な態度は確かに気になるが、行きたくもない貴族のパーティーに出席してまで知りたいことではない。何より、その日に予定があるというのは本当なのだ。

 そうしてゼルロスは、今は考えても益のないことと頭の中でその話題を打ち切り、再び兄の方へと顔を向けた。

「それで、兄上は聞き込みでしたか」

「ああ。この学園で手掛かりが見つかるとも思えないが……」

「――『ペルソナ』の件ですか」

 その単語が出た途端に、場の空気がほんの少し重いものへと転じる。ギルバードは目元を僅かに引き締め、頷いた。

「ああ。昨日の事件で五人目の被害者が出たからな。一刻も早く捕まえなきゃならないんだが」

 ペルソナとは、最近になって帝都に頻繁に出没するようになった殺人鬼の名だ。

 最初に現れたのは一か月前。帝国の財政を担う財務局長が殺害された。さらにそれ以降、ペルソナは決まって夜中に出現し、帝国中央でも重要な任を負う人間ばかりを狙って殺している。

 その上、うち二件の事件は帝都騎士による警備を掻い潜っての暗殺だった。しかしそれにも拘らず、いまだ侵入経路も逃走経路もまるで解明できていないうえ、狙われるのが上流階級の人間ばかりということもあり、帝都の貴族たちの間では、ペルソナに対する不安が高まるばかりだった。

「今回の被害者は確か、ベルリック公爵でしたよね」

「情報が早いな」

「今朝の新聞に出ていましたから。近衛騎士団の統括を担っていた方だったとか」

「おかげで魔術師団の間にも混乱が広がっている。しかしこう手掛かりが無いと、捜査のしようがなくてな……昨夜の事件でも結局、痕跡らしい痕跡は見つからなかったそうだし」

 ペルソナの捜査が難航している理由の一つは、彼――男性とは限らないが――がその姿を完全に隠していることだ。

 全身黒ずくめの衣装に身を隠し、顔には道化師を模した仮面を被っている。素顔はもちろんのこと、どうやらシークレットブーツのようなものを使っているらしく、数少ない目撃証言を照らし合わせても背丈すら一致しない。

「唯一の手掛かりは、奴の黒い衣装がどうやらヴェルンロード学園の制服らしいことだが――そもそも在学生の数だけでも千人を超えている。そのうえこの学園では、卒業しても制服は回収されないからな」

「この制服を持っている人間なら、俺も容疑者になってしまいますね」

「ああ、卒業生の私もだ。それにペルソナの使っている仮面も、過去にここの学生が量産したものらしい」

「ああ、それロバートです。俺の友人ですよ。あいつも、まさか自分のオモチャが殺人鬼の変装道具にされるとは思ってなかっただろうけど」

 自身の学友であり、かつ学園一の変人とされる男の呆けた笑い顔を思い出しながら、ゼルロスはそう情報を提供する。とはいえ彼に聞き込みをしたところで、おそらくギルバードが得られるものは何もないだろうが。

「まあ無駄だろうが、一応は後で尋ねてみよう。

 ……それより父上から聞いたが、ゼル、武闘大会で優勝したらしいな。私もあれで騎士団に実力を認めてもらったものだが」

「あなたもその話をするんですか……?」

 ほとほと疲れ切った表情で、ゼルロスは肩を落とす。そんな弟の様子を見て、ギルバードは呆れたように笑った。

「お前は頭脳派だと思っていたから、その話を聞いた時には随分と驚いたが……その様子だと、本意じゃないらしいな」

「奇跡的な偶然が重なった結果です。荒事は俺のテリトリーじゃないですよ」

「飛び級での騎士叙勲の話が来てるって噂もあるわね。どうなのよ、ゼル。あなた、騎士になるの?」

 いかにも楽しそうな笑顔で話に入ってきたルフィアを、ゼルロスはしらけ顔で一蹴する。

「冗談じゃない。騎士ってのは、そもそも無辜の民のため命を懸ける……って理念だろ。そういうのには、根本的に向いてない。あいにく俺はエゴイストなんだ」

「優等生ぶってるくせに、そういうところは捻くれてるわよね、あなた……。そこのところ、優秀な騎士のお兄さま的にはどう思ってます?」

「それがゼルの味と言うものです。私は好ましく思いますよ」

 ルフィアの問いに、ギルバードはあくまで恭しい口調で答えた。その態度にはやはり疑問を懐くゼルロスだが、結局のところ「パーティーに来るなら教える」という先ほどの条件を思い出し、口には出さなかった。

「――さて、そろそろ仕事に戻るべきかな」

 雑談の話題もそろそろ尽きた頃合いで、ギルバードはそう言って、再びその表情を引き締めた。取りも直さず仕事の顔である。

「ゼルも色々あるだろうが、頑張れよ。学生のうちにやれることはやっておいた方が良い」

「わかっていますよ。それじゃあ兄上もお気をつけて」

 ゼルロスの返答に頷くと、ギルバードは帝国騎士の証たる純白のマントを翻し、その場から去って行った。

 残されたゼルロスは、さて自分も昼食を食べに行こうかと思ったところで、唐突に「あっ」と素っ頓狂な声を出す。

「何?どうしたの、いきなり間の抜けた声を上げて」

 ルフィアに訊かれ、ゼルロスは頬を掻きながら答える。

「……俺、これからロバートのところに行くんだった。聞き込みをするなら、兄上も一緒に来れば良かったな」


 

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