大逆のペルソナ 

オセロット

第1話 一度終わった世界




第一章/仮面



 ――屍があった。

 左を見れば朱色の炎が舞い盛る。

 右を見れば白色の雪が舞い降りる。

 同じ空間にはありえないはずの二つの地獄。夢か現かも分からないその景色の中、等しく人が死んでいた。

 焼けつくような死。

 凍り付くような死。

 見渡す限りの死を眺め、そしてこの風景が、きっと世界の終わりなのだと理解する。

 

 ――終わりじゃない。これは、敗北。


 そう声がして、振り向いた。

 そこには黒い女が立っていた。そう形容するしかない、綺麗な女性ヒトがこちらを見ていた。

 触ればそのまま手が透き通ってしまいそうな、艶やかな黒髪。

 目を合わすだけで脳の髄まで溶かされそうな、暗澹とした瞳。

 目くるめく人の命を燃やす極彩色の地獄にありながら、その儚い存在には不思議と、何ら違和感を懐かなかった。

 彼女の言った敗北という言葉を反芻し――誰が、と問い返す。

 女は答えた。――ヒトそのものが、と。

 少し考えて、誰に、と再び問い返す。

 女は答えた。――世界そのものに、と。

 また少し考えて、再び尋ねる。――ならば、なぜ終わりではないのかと。ヒトが世界に敗けたならば、それはヒトの終わりではないのかと。

 ――女は答えた。

 ヒトはまだ死んでいない、と。

 ならばそれは、終わりという運命に敗北したわけではないと。


「でも――あなたは、終わりの運命に勝てるのかしら?」


 そう涼やかな声がして――それから、目の前の女性は微笑んだ。

 それはひどく美しくて、しかし、善いものより不幸なものを連想させるかおだった。

 

*


 ゼルロス・ライヘンバッハは、微睡みの中に手放していた意識をようやく取り戻した。

 眼を擦り、それから今が講義中であることを思い出して、ぐ、と顔面の筋肉に力を入れる。

 視線の先では、中年の教授が黒板にスラスラと数式を書き綴っているところだった。数学の二次関数だ。

 相変わらず、どういう意味なのかも解くことに何の意味があるのかもわからないが、講義である以上は聞かなければならない。それがたとえ、受講者の半分が意識を手放すほど退屈なものであってもだ。

「――あら、やっと起きたの。居眠り癖は治らないのね、学園トップの優等生さんでも」

 隣からそんな声が聞こえて、ゼルロスは胡乱げにそちらに視線をやる。講義中ということもあり控えめな音量ではあるが、その甲高い声質は呆けた頭にはやや不快だった。

「……寝てたかな、俺」 

 内心の苛立ちを隠し、ゼルロスはあくまで爽やかな声を作り、そう返した。

「ええ、しっかりと。昨夜の睡眠時間はどれくらい?また例の趣味?」

「ご明察だよ。昨日は三時間しか寝てない。ちょっと面白い文献を手に入れてね」

「それってまた、前史世界ぜんしせかいの?あんなマイナー学問によく没頭できるものよね」

 そんな不遜な返答を受けて、ゼルロスは深く溜息をついた。

 隣に座る凛とした雰囲気を纏った少女――ルフィア・スカーレットと知り合ってすでに一か月が経っていた。

 初めのうちこそ鬱陶しかったものの、それだけの付き合いになればその刺々しい口調にも慣れる。今ではそれが、彼女と言う人間の持つ「味」なのだと理解していた。

 とはいえ、自らの愛する趣味を馬鹿にされて黙っているつもりはなかったが。

「ルフィア、前史世界学ゼンシは確かにマイナーだけど、決してつまらない学問じゃない。

 いいかい、この世界は五〇〇年前、最終戦争によって一度滅びた。それまで地球上には西暦と呼ばれる歴史があって、今よりずっと優れた文明や技術を有していたんだ。でもオレたち人類は、その失われた世界――前史世界の技術を、半分程度しか取り戻していない。ゼンシっていうのはね、いわば過去を研究することで未来を見る学問で――」

「はいはい、力説はそこまでにして頂戴。ゼル、あなたのそういうところ、ちょっと引くわよ」

 にべもない物言いに、ゼルロスは眉を顰めた。

「……君にその呼び方を教えた覚えはないんだけどな、ルフィア」

「大丈夫よ、勝手に呼んでるだけだから。親しい人はみんなそう呼ぶんでしょ?」

「君と親しくなったつもりもない」

「あらそう。じゃ、親しくなりましょうか。これ、あげるわ」

 ルフィアはそう言うと、懐から一枚の紙切れを取り出し、ゼルロスに手渡した。

 見るからに高級そうな紙質のそれは、どうやら何かの招待券のようだった。

「……何だい、これ」

「五日後ね、私の誕生日なの。分かりやすく言うと、招待してあげるわ。私の家はまあ裕福だから、おいしいものが沢山食べられるわよ」

「誕生日パーティー?」

 訊き返しながら、ゼルロスは再度、受け取った招待券に目を落とす。

 金色の封筒に本物の封蝋と、やたら高級感の漂う代物だ。ゼルロスはルフィアの生家のことはよく知らなかったが、たかがチケットにこれだけの金をつぎ込むあたり、本当にそれなりの家らしい。

「パーティーっていうのは、つまりタキシードを着ていくような?」

「ええ。料理もお酒も一流品よ。まあ私たちは飲めないけど」

「つまり、高級で格式ばった場ってことだね」

 ゼルロスはそんなのはお断りだと言わんばかりに、首を横に振った。

 それを見てルフィアは、珍しく眉根を寄せて、本当に不機嫌そうな表情を浮かべる。

「……来ないつもり?パーティーに不慣れなら、私がエスコートするから大丈夫よ。学院の友達で招待するのはあなただけだし……」

「確かに俺はそういうパーティーは苦手だけど、君にエスコートを頼むほどじゃない。そうじゃなくて単純に、その日は他に予定があるんだ」

 ゼルロスは机に肘をついたまま、定型の断り文句を口にする。

「……つまり、何の予定もないけど来たくないってことね」

「まさか。予定は本当にあるよ。教授が面白い発掘品を――」

「つまらない予定はないのと同じよ」

「そんなにつまらないかな」

「ええ。私の誕生日と比べたら、百倍は」

 ゼルロスは苦笑した。その日の本当の予定を知ったら、彼女の感想は『つまらない』では済まないだろう。

「そう。分かりました。あなたは私の誕生日を祝ってくれないのね」

「俺は別に、人の誕生を呪うほど性格悪くはないよ。誕生日おめでとう、ルフィア。十八年前の五日後に乾杯」

 ゼルロスがそんな風に軽口を叩いて、ルフィアが顔を顰めたちょうどその時、教室に講義終了のチャイムが鳴り響いた。

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