終章 2
「今後、数年のあいだに、世界中をまきこむ、ある大事件が起こるらしい。パンデミックがどうとかって。どうも、あの研究所のせいらしいんだ……ていうか、今回のおれたちの計画が成功するかしないかでも、結果が変わったらしいんだが。
どう変わるのかは、水魚は言わなかった。あいつは世話をしてるうちに、けっこう予言の巫子と仲よくなってたんだ。まあ、それで未来を知って、それに備える計画を立てた。
で、あいつの言うことによると、その大事件が起こるまでのあいだ、御子を守ることができれば、おれたちの村は自由になれるんだってさ。なんてったかなあ。『この世の最後のユートピア』だったっけ? 水魚たちも、もう苦しまなくていいらしいし。だから、今度の祭だけは、どうしても成功させなきゃならなかった」
「なるほど。今度のことで生まれてくる子どもをいけにえにしといて、残りの数年をやりすごす腹か」
「そう言われると、ちょっと痛いもんがあるなあ。でも、まあ、そう。どっちにしろ、その事件をさかいに、研究所の実権はおれたちに移るらしい。そのときには美咲の子も取り戻す」
猛はそのあと、ずっと考えこんでしまった。
龍吾の言った内容は、百合花さんの置き手紙を思いださせるし、なんとなく不吉な未来を連想させるのだが……。
「水魚が言ってた。その大事件の第一報がニュースで流れたら、三人とも必ず、おれたちの村に帰ってくるようにって。もし、どうしても死なせたくない肉親とか恋人とかいたら、それもいっしょに。それから、これは水魚から蘭さんへ」
松江の駅に到着すると、龍吾は一通の手紙を、蘭さんに手渡した。
「じゃあ、元気で。いつか、また会おう。とくに、蘭さん。君なら、いつでも大歓迎」
「前に僕が誘惑したのは、心が弱ってたときの気の迷いです。いいかげん、忘れてくださいよ」
「そんなこと言わないでよ。この年になると、新しい刺激が欲しくなるんだよね。ね? お別れのキスしてくんない?」
「調子に乗るな、ゲスやろう——とか言われたいですか?」
「いや、言われたくない……」
「やっぱり、この半女装、やめようかな。女は近寄らないけど、男がウルサイ」
うん。やめたほうがいいと思う。
僕まで惑うから。
巻きスカートのスリットから生足とか……心臓に悪い。
僕は思いきって聞いてみた。
「ねえ、龍吾さん。その今風のチャラいキャラって、もしかして年齢をごまかすためのお芝居ですか?」
龍吾は自分のオープンカーと同じくらい真っ赤になった。
図星のようだ。
龍吾とも別れて、僕らは京都に帰る。
その前に警察署にだけは寄ったけど。
蘭さんが行方不明だったときの言いわけだ。
あずささんに襲われて、一時的に記憶喪失になってたところを、村人に保護されてたって言っといた。
ほんとのことは、とても言えない。
「編集者にもこう言いわけしとこ。もう出家しちゃうつもりだったから、原稿、落としちゃった。残り三十枚の穴、どうしたのかな」
「蘭さんのスマホ、ジャンジャン鳴ってたよね。たぶん、あれ、編集さんだよ」
「なんだか、いっきに現実に戻ってきちゃったなあ。あの村でのことが、夢みたい」
たしかにねえ。
特急に乗って岡山へ。
岡山から新幹線で京都へ。
京都駅から、じいちゃんが僕らに残してくれた町屋へ。
いつもの景色のなかに戻ってくると、この二週間は、悪い夢でも見てたみたいな気がする。
でも不思議と、すでに懐かしいような心地もする。
あの桜並木。ちょうちんの明かり。雲にかすむ山なみ。
茅葺き屋根の家々が、幻影のように目の奥でチラチラする。
その夜、蘭さんは一人になってから、水魚さんの手紙を読んだようだ。
翌朝、目が赤くなってたから。
僕らの生活は、すっかりもとどおり。
僕は、この事件のことを小説の形で、探偵事務所のパソコンにこっそり残しておく作業に移る。
でも、こっそりって言っても、猛や蘭さんが読むんだよねえ。
そして、ダメ出しする……。
「かーくん、プラナリアの研究成果が発表されたの、この事件の後だぞ」
「いいじゃんか。科学的なプラスアルファがあったほうが、推理に信憑性が増すかと思って」
「かーくんの書く僕って猟奇的ですよね」
猟奇的じゃないかあ……蘭さんの趣味。
「でも、かーくん。自分のことをピヨピヨとか書いちゃうと、可愛く見られようとしてるとか、言う人も出てきますよ」
「えッ? それは、カルガモの気持ちなんだけど……」
「僕らはわかってますよ。もちろん。ね? 猛さん」
「かーくんの『か』は、カルガモのカ」
まあ、そんな具合に……。
だけど、いつごろからだろうか。
蘭さんのようすが、ちょっとおかしいと思い始めたのは。
僕が洗濯のために、洗面所に入ったときだ。
洗面台の前で、カミソリを手にしたまま、蘭さんがぼうぜんとしていた。
「どうしたの? 蘭さん。どっかケガした?」
手に血がついている。
僕が声をかけると、蘭さんは青ざめたおもてに笑みを浮かべた。
「なんでもありませんよ」
そう言って手をあらうと、逃げるように洗面所を出ていく。
変だな。
どこもケガしてなさそうだけど、じゃあ、あの血はなんだったんだろう……。
——蘭に何かしたのか?
——ええ。まあね。
——必ず帰ってきて。君の魂のふるさとは、この地だ。
あの村で聞いた、いくつかの言葉が、ふと思いだされる。
(まさか……まさかね)
そんなはずはない。
蘭さんのなかに、もう宿ってる……なんてね。
了
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