三章 不協和音の連鎖 1—3


 努力の結果、ようやくデフォルメされた、ひょうきんなカッパが体育座りするイメージで妄想を定着させたころ、香名さんが帰ってきた。


「おそくなって、ごめんなさい。猛さんが薪割りしてくれるって言うから、頼んできちゃった。ずうずうしかったでしょうか」


 香名さんは壁にかけたエプロンをとって身につけながら、僕のとなりに立った。


「あたし、野菜、切りますね」

「じゃあ、僕、そのあいだに魚、焼くよ。蘭さんに塩焼きしてあげないと。鯛が新鮮なうちに」


 おお、二人で料理すると早いなあ。それに香名さん、手ぎわがいいし。


「香名さん、なれてるね」

「え? だって、まわり、田んぼですよ」


 あっ、そっか。

 ちょっとコンビニって言っても、そのコンビニもスーパーも、ましてやファミレスなんてないのか。

 ご飯は、うちで作るしかないんだ。


「ごめん。バカなこと言っちゃった」

「いいですよ。わたし、うれしいんです。こんなふうに誰かと並んで調理することなんて、すごく久しぶりで」


 ふと、僕は気づいた。

 この大きくて薄暗い家に、香名さんは何年も一人きりで暮らしてる。

 僕なんて、ほんの数分、一人だっただけで心細かったのに。

 だから、富永さんに頼ったんだろうか。


「富永さんのどんなとこを好きになったんですか?」

「昔……好きだった人に、似てたんです」


 そうなのか。富永さんが生きてれば、よかったのにな。

 富永さんはもう死んじゃったなんて、とても言えない。

 でも、いつかは言わなくちゃ。

 そのとき、この儚げな人は、どうするんだろう。

 さんざん泣いて、それでまた前を向くことができるのだろうか。


 僕の脳裏に、ふっと、今日のあの百合花さんの部屋がうかんだ。

 華やかな牢獄。

 外の世界にあこがれながら、いつか助けにきてくれるはずの王子様(兄ちゃん)を待ちつづける日々。


 僕は前から、こがらで華奢で、どこか薄幸そうな古風な女の人が好きだった。なんで、そんな人を好きになるのか、今の今まで気づかなかったけど……バカだなあ。それって、思いっきり、百合花さんのことじゃないか。

 僕が惹かれてたのは、兄の運命の人だったのだ。


 そりゃあ、最初は同情だったんだろう。

 子どものときにさらわれたまま、悪党に閉じこめられたお姫さま。

 助けたいと思うのが、ふつうの男なんじゃないのか。

 たぶん、その気持ちがいつのまにか、あこがれに変わってたんだ。


(兄と同じ人を好きになってしまうなんて、ほんと底なしのマヌケだよ。ライバルが猛じゃ、絶対、僕なんて、かなうわけないのに。予知と念写でつながった二人のあいだに、僕みたいな、なんの取りえもない凡人が入りこむ余地なんか、あるわけないのに)


 いや、あったとしても、兄の恋こがれる人をよこから、かっさらって、自分のものにする根性は、僕にはない。

 そんなことで、大好きな兄との仲がこじれるのはイヤだ(そんなことしたら、猛は絶対、どっか旅に出ちゃうし)。


 僕は一生、自分の気持ちにフタをして、兄たちの幸福な姿をながめながら、ガマンするほうをえらぶ。

 そのうちには、ちょっと百合花さんに似た感じの人をつかまえて、結婚するのかも。

 そう。たとえば、この香名さんみたいな……。


「薫さん、お魚、こげまよ」

「あっ、ごめん。ごめん。ぼうっとしてた」

「野菜、このくらいでいいですよね」

「うん。お皿。お皿」

「はい。どうぞ」


 受けわたしのときに、僕の手が香名さんの胸にぶつかってしまった。

 断言するがわざとじゃない。事故なんだ。

 あわてて僕が手をひっこめたので、二人のあいだで、お皿が宙に浮いた。

 あ、いや、もちろん浮くわけないので、当然、落下。


「ああッ——」


 僕はパントマイムみたいな手つきで、どうにかこうにか、古伊万里風の絵皿を受けとめた。

 セーフ。皿は守った。

 おかげで僕は土間にひざ立ちの、リンボーダンスみたいになっちゃってるけど。


 僕のカッコを見て、香名さんが、ふきだした。

 つられて僕も笑った。

 恥ずかしいなあ、もう。赤面ものだよ。


 でも、香名さんは言った。


「楽しい人ですね。薫さんって」


 え? そう?

 香名さんが喜んでるみたいだから、まあいっか。


 ちょうど二人で笑ってるところに、蘭さんが帰ってきた。


 なんだろうか。

 出てったときより、いっそう表情が暗い気がするんだけど、外で見てはいけないものでも見てしまったのか?

 やだよ。サダコとか、トミコとか。怖いこと言わないでよ?


 蘭さんは玄関先で、僕と香名さんを見て、ひるんだように見えた。

 何も言わず、板の間をあがると、そのまま奥の八畳に入っていく。


 変だなあ。

 今まで、こんなことなかったんだけど。

 小説の構想でも練っていたんだろうか。そういえば、話、書いてるときの蘭さんは別人格だった。


 だが、僕が考えたとおり、このとき蘭さんは、ある意味、見てはいけないものを見てしまっていたのだ。

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