七章 不条理の条理 2—3

 *


 蘭は退屈していた。

 今度こそ、とどこおりなく祭は終わるからと言われたが、待っているあいだは何もやることがない。


 別棟の床下から地下通路を使い、そのさきにあるエレベーターをあがると、社側の地下室に出る。

 井戸に見せかけた出口に続くドアが、奥にある。


 地下室には、折りたたみ式の椅子とテーブルがあるだけだ。

 ここで祭が始まるまで、ただ、じっと待つのはつらい。


「ねえ、蘭。君が来てくれる日を、私たちがどれほど待ちわびたことか」


 蘭を送りだすとき、水魚の言った言葉が思いだされる。


「君は私たちが待ち望んだ、最後の完全なる人。ひとめで気づいた。君こそ、その人だと」


 蘭の頭に手をやって、冠のゆがみをなおす水魚の目は、蘭をというより、蘭の向こうの誰かをすかし見ているかのようだ。


「でも、帰れと言った。初めて会ったとき」

「君が想像以上に魅力的だったからさ。かわいそうになったんだ。私たちの重い宿命を背負わせるのは、あわれな気がして」

「今はそうじゃないの?」

「まわり始めた運命を止める力は、私にはない」


 そう言って、水魚は蘭の背中を抱いた。


「蘭。君は家族がほしいんだろう? 永遠に君をうらぎることなく、そばに居続ける家族が。今日から君は私の弟だ。私が君の兄になる」


 水魚は、蘭の弱いところを知っている。

 蘭が実の兄に嫌われていることを、ひそかに気にしていると、どこで知ったのだろう。蘭との対話のなかで、感づいただけだろうか。

 それでも、兄になると言われれば嬉しい。水魚のことは、好きだから。


「さあ、君を待ち続けた人々に、君の姿を見せてあげてくれ。村人たちは熱狂で君をむかえてくれる」


 たしかに前回の夜祭でも、村人たちの歓呼のうずを聞いた。

 あれは蘭を代役だと知らず、さわいでいるだけだと思っていたが、ほんとは、みんな、知っていたのだろうか。

 蘭が次の御子に選ばれたのだということを。


 みんな……僕を待っていた? ほんとに?

 それなら、このまま、水魚の言うように御子になってしまおうか。


 おそらく今夜の祭で、水魚は蘭になんらかの秘術をほどこすのだろう。

 そして蘭は、蘭でなくなる。

 そう思うと、むしょうに怖い。

 だが、逃げだすこともできない。

 水魚のかけた魔法の言葉にとらわれてしまったから。


(水魚が僕の兄になって、ずっと、となりにいてくれる。それが僕の望んだこと……)


 ぼんやりしていると、背後でエレベーターのドアのひらく音がした。

 水魚だろうか。

 もう祭の手順はわかっているから、心配ないのに。


 ふりかえった蘭は絶句した。

 しばらく、言葉が出てこなかった。

 そこに立っていたのは猛だ。

 猛は蘭を見て、ほっとしたような顔でかけよってくる。


「帰ろう。蘭」


 なぜ、よりによって今なのだろう。

 いつも、そうだ。

 初めて会ったときから、猛の行動だけは読めない。

 蘭が思ってもみないときに、思ってもいないところから、ふいに蘭の心の奥にとびこんでくる。

 厚いガードの障壁など、ひょいと、とびこして。


(どうして、そんな、あたりまえみたいな顔して言えるんだ。僕がこんなに迷って、決心して、ふみだしたことなのに)


 急にイラだって、蘭は叫んだ。


「今さら、まどわせないでくださいよ! 僕はもう、水魚と生きると決めたんだ」

「おれが傷つけたんなら、あやまるよ。帰ってきてくれ」


「僕のことなんて気にせず、恋人をさがしに行けばいいだろ?」

「なんで、そうなるんだ。百合花は関係ない」


「ある。目の前で僕とその女が死にかけてたら、猛さんは迷わず女を助ける。だって……だって……」


 ああ、なんで、こんな幼稚な言いあいをしてるんだ。

 こんなの、ちっともスマートじゃない。

 おれらしくない。

 こんな子どもが、だだをこねるような、みっともないマネしたくない。


 なのに、なぜか自分でも止められない。


「だって、おれは家族じゃないから!」


 言ってしまった。

 自分の一番、もろいところを、まともにさらけだしてしまった。

 悔しさで涙があふれてくる。


 すると、猛は一瞬、ぼうぜんとした。そののち、とつぜん、笑いだした。

 蘭が恥も外聞もプライドもなげすてて、本心を吐露したというのに、どういう神経をしているのか。


 やっぱり、ダメだ。

 彼とはわかりあえない。

 心と心のあいだに、なにがしかの橋をかけ、友情をわかちあえたと思ったのも幻影だったのだ。


 蘭があきらめかけたとき、猛は言った。


「わかってないよ、おまえ。家族でないってことが、どれだけ重要なことか」


 猛がかがんで、蘭の目をのぞきこんでくる。その瞳には、ぬぐっても、ぬぐっても、じわじわ、にじみだす、血のあとのような深い孤独が、ほのかにかいまみえた。


「家族になったら、死んじまうじゃないか」


 たぶん蘭はそのとき初めて、猛が内に秘めた痛みを知った。

 悟りきったような顔して、平気なそぶりをしてるから、もっと達観しているのだと思っていた。

 家族が次々、死んでいく運命が、重くないわけないのに。


(そうか。僕が彼らといて心地よかったのは、同じだったから……)


 それは鏡像のようなもの。

 猛の姿は鏡に映る蘭で、蘭の姿は鏡に映る猛だ。

 他者には絶対、理解できない、埋まらない心のすきま。

 その形が、とてもよく似ていたから、そばにいるとあたたかかった。

 同じ姿が二つかさなれば、少しでも、すきまが埋まる気がして。


「猛さん……」

「蘭。おまえはおれが死んでも、ずっと生きるんだ。きっと、かーくんは泣くから、そばにいて励ましてやってくれ」


「……遺されるのは、猛さんかもしれないじゃないですか」

「そのときは、おれを励ましてくれよ」


「……僕に、帰ってきてほしいですか?」

「だから、頼んでるんだろ? おれだって、いっしょに暮らすとなれば、誰でもいいってわけじゃないよ。おまえとは、なんでか、すごくスンナリとけこめた」


「でも、友情は恋愛の前では、もろいんですよ?」

「百合花のことなら、おれは百合花とは相愛にならないよ。助けだしたら、すぐに家族のもとに帰す」


「どうして?」

「好きな人だから」


 好きな人だからこそ、自分の運命に巻きこんで、死なせたくないということか。猛らしい。


「だから、言ってるんだ。家族でもなく、恋人でもなく、友達だってことが重要なんだって。おまえと暮らすようになって、初めて気づいたよ。友達なら、どんだけそばにいても、死なないんだって」


 そういう意味だったのか。

 家族じゃないというのは。

 決して、大切な人じゃないという意味じゃなかった。

 むしろ、反比例。


「……しょうがないなあ。僕がいないと、猛さんのかせぎだけじゃ、二人とも生きていけないし」

「ありがたい」


 猛が蘭の肩に腕をまわしてくる。

 素直に嬉しかった。


(なんだ。おれって、バカみたい。必死になって迎えにきてほしかったんだ)


 くすりと自分を笑って、蘭が指のさきで涙をぬぐったときだ。

 ふたたび、エレベーターのドアがひらいた。


「行かせませんよ。蘭。あなたはもう我々のものだ」


 水魚が立っていた。

 その腕に薫をかかえている。

 薫は失神しているようだ。


「スタンガンっていうのは便利ですね。蘭、あなたのポケットから拝借しておいて、とても役立った」

「僕の護身用のやつか」

「でも今は、もっと実用的な武器がいい」


 水魚がとりだしたのは、大ぶりのナイフだ。


「ねえ、蘭。君と私は兄弟になるんだろう? だったら、こんなことさせないでくれ。君の返答しだいでは、君の友達が痛い思いをするよ」


 薫の喉に、冷たく光るナイフが押しあてられた。

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