七章 不条理の条理 2—2

 *


 LEDの白い光があたりをてらしている。

 周囲は病院のような白壁。

 井戸からハシゴをおりたさきに広がっていたのは、猛が予想していた以上に、しっかりした地下施設だ。

 以前、見た滝つぼの人工洞くつみたいなのを想像していた猛は、完全に意表をつかれた。


 これでは、まるでシェルターだ。

 通路のさきには、いくつも部屋があり、ほとんどカギがかかっている。

 カギ穴からのぞくと、なかには整然とダンボールがつまれていた。


 まるで、ではないのだ。

 おそらく、ここは本当にシェルターだ。

 ならぶドアの向こうは水や食料、薬品や日用品の備蓄庫だ。量から言えば、八頭家のためだけにしては多すぎる。村じゅうの人間が、数年はことたりる備えだ。


 いや、このシェルターだけではない。

 村営の牧場や果樹園。

 各家庭で、必ず飼育しているニワトリ。自給用の畑。

 あれは村が外界との接触を断たれても、自活していける準備をしているとしか思えない。


 なんのために、これだけの備えが必要だというのか。

 米ソの冷戦時代なら、本気で核戦争を懸念する人間もいたろうが、今はそういう時代ではない。北のミサイル攻撃は外交上のパフォーマンスだ。今のところ、まだ現実的ではない。


 天変地異の対策か?

 でも、この村は津波の恐れはないし、そもそも出雲地方は地震そのものがきわめて少ない。

 土砂くずれの心配はゼロではないが、それにしても、数年以上のたくわえは異常の域だ。


(でも、やつらの手には百合花がある。百合花の口から未来を知ったのだとすれば……)


 それは、どんな未来なのだろう。

 さっき、母屋で聞いた会話から、猛が想像したような未来なのだろうか……?


(とんでもないことを聞いてしまった)


 茜を見たときから、もしや、そうではないかと疑っていた。

 御子のエニシという茜。

 思えば、iPS細胞と聞いたときに、ピンときていなければいけなかったのだ。

 だが、いったい誰が、そんなこと、まともに信じるというのだろう。

 古来より、この村に伝わる古くさい伝説が、まさか『真実』だなんて。


 ES細胞という単語のほのめかすさきにあるのは、不老不死。


 ES細胞は、受精卵だけが持つ万能細胞だ。あらゆる人体のパーツに化けることができる。

 受精卵の細胞の分化が完了すると(つまり、胎児の体が完成すると)消えてしまう。それ以降、人間の体内で作られることはない。

 だから、人間は年をとり、いずれは死にゆく。


 だがもし、生まれつき、このES細胞を、母の胎内を出たあとも、ずっと作り続けることのできる人間がいたら、どうなるだろう。


 その人は、たとえ手足がちぎれても、トカゲの尻尾のように何度でも生えてくる。

 古い細胞のかわりに若い細胞を、全身のあらゆる場所で作ることができる。

 たとえば、顔のシワ。骨粗しょう症。視力や聴力のおとろえ。

 すべての老いの原因は、古い細胞が死ぬことによって起こる細胞の不足のせいだ。それをおぎない続けることができる。


 つまり、不老不死だ。


 不老不死——この人類の永遠の夢を、かなえた人物が、この村に存在するらしい。

 たぶん、その男は、遺伝子に突然変異をおこした個体なのだろう。

 その存在の神秘性を思えば、八つの頭、八つの尾をもつ大蛇の肉を食べたという伝説も、まんざらウソじゃないと思いたくなる。あるいは遠い昔、手足がちぎれても、復活する彼の特徴が、この地に語りつがれるうち、ヤマタノオロチの神話になったのかもしれない。


 古来には夢物語でしかなかった、不老不死。

 現代はそれを科学で立証できる時代だ。研究所が調べているのは、この男の不老不死のメカニズムなのだ。


(不老不死。もし、そのナゾが解明され、ほかの人間にも応用できるようになれば、世界は変わる。もちろん、天文学的な数字の金が動く。でも、それだけじゃない。人間そのものが変わってしまう。殺しても、殺しても、死なない兵士を造ることだって……。

 それ以前に、一部の権力者だけが、この研究の成果を独占してしまうかもしれない。そうなれば、そいつらは『神』だ。命にかぎりある人間が、不老不死の『神』に支配される世界。そんなものが実現してしまうかもしれない)


 その可能性は、かなり高い。

 厳重に秘密を保持する、あの研究所の姿勢は、一企業や個人の投資家のできることではない。すでに国家がかかわっているとみたほうがいい。


(なんてことだ……)


 恐ろしい時代が来る。

 日本はナチスのえがいた妄想国家より、もっと、とんでもない国になる。

 大多数の一般人は、兵士やドレイとして使役され、一部の選ばれし者だけが、『神』として君臨する世界。


 ダメだ。

 この研究が完成されてはならない。

 人間はまだ、不老不死を有益に利用できるほど、精神が熟成していない。

 一人の例外もなく、平等に『神』になれる、そんな時代が来るまでは、誰一人『神』になってはならない。


 なんだか、こまったことになった。

 蘭さえとりもどせば、京都に帰るつもりでいたのに、このまま、ほうっておいていいのだろうか。


 しかし、個人の力でどうにかできる内容ではない。

 以前、下北が忠告してきたとおりだ。

 秘密保持のためなら、研究所やその裏にある組織は、一般人の一人や二人、平気で始末するだろう。

 それだけの価値のある研究なのだ。


(百合花は手紙に、変革のときがすぐそこまで来ていると書いていた。この研究の成果がどうであれ、なんらかの変化を世の中にもたらすってことか。それはもう、さけられない事態なんだな。きっと……)


 ならばもう、それについてはクヨクヨ考えまい。

 さきのことは、さきのことだ。

 未来を知った水魚たちが、どんな思惑で動いているのか知らないが(想像はできるが)、蘭を自由にはさせておけない。

 蘭が手遅れになる前にとりもどさなければ。


(でも、前に水魚は、すでに蘭に何かしたようなことを言ってなかったか?)


 不安が胸にひろがる。

 猛はひたすら、地下に続く廊下を走った。

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