五章 不在の殺人 2—4

 *


 翁の面をはずしたその人の顔を見て、蘭はため息をついた。


「あなたが御子だったんですね」


 彼は照れ笑いをうかべる。


「だますつもりじゃなかったんだ」

「まあ、いいですけど。僕を信用したから、素顔見せたってことなんでしょ?」

「うん。まあ」


 昼間、うたたねしているところをいきなり起こされ、平安貴族のコスプレをさせられたときには、なにごとかと思った。

 けど、信用を得たのなら、ゆるそう。

 これから彼は、蘭の家族の一員だ。

 水魚のことのように、きっと彼のことも、すぐ好きになる。


(祭の見物に来てた。かーくん)


 御簾みすごしで、あれだけ離れていて、どうしてひとめで気づいたのだろう。

 まるで、まわりの群衆から、薫の姿だけが浮きあがって見えた。



 ——蘭さん! 蘭さん!



 叫ぶ声が聞こえた気がした。

 それとも、そら耳だったのだろうか。

 あの歓声のなかから誰か一人の声が聞きわけられるはずがない。


(呼んでほしかったから、そう聞こえたような気がしただけ。ほんとは彼らも僕の心配をしてくれてるんだって、思いたかったから……)


 でも、きっと思いすごしだ。

 水魚だって言ってた。

 兄弟は祭見物をして、よろこんで帰っていったって。

 御子に化けたのが蘭だなんて、気づきもせずに。


 蘭の頰に涙がこぼれると、御子はとまどった。


「まだ迷ってるの?」

「いいえ。もう、いいんです」

「本当に?」

「望んでくれる人のそばにいるほうが、幸せだから」

「言葉に出さなくたって、望んでないとはかぎらないと思うけど」

「どうして、そんなこと言うの? 僕が、あなたたちといないと困るんでしょ?」

「でも、君には幸せでいてほしい」


 御子の笑顔は質朴で、ウソをついてるようには見えない。

 彼を見ていると、少し、大海を思いだす。もっとも、大海はこんなに善良な人間ではなかったが。

 屈折した都会人だった。


「これから幸せにしてくださいよ。僕をさみしくさせないで」

「君にそんなこと言われると、ドキドキするなあ」


 彼の手をにぎろうとした蘭は、ふと気づいた。


「あ、また落としちゃったんだ。指輪。せっかく見つけて、ひろっといたのに」


 彼の顔つきが、急に険しくなった。


「指輪?」

「うん。夜祭のとき、社の出口のとこで見つけて。前になくしたやつ」


 蘭の話をきいて、彼の顔色は変わった。


「探してくる」

「今から? もういいよ」

「そういうわけには……大変だ」


 彼は血相をかえて、とびだしていった。

 数時間後、手ぶらで帰ってきたが……。

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