五章 不在の殺人 2—3


 そんなの気のせいだよ、と言ってほしかったのに、猛は顔をひきしめた。


「急いで格子戸の外へ」


 僕に命じると、モップをおいて、猛も穴へおりてくる。

 クツを片手に、くつしたのままだ。


 なんなんだ。いったい。

 あずささんの霊が追ってくるのか?


 せかされるままに、僕は格子戸を這いでた。続いて、猛も。

 僕らが柱のかげに入るかどうかだ。

 古井戸が、ぱっと明るくなった。


 ぎゃあーッ、出た! もう出た!

 やっぱり霊が……れ——って、あれ……?


 古井戸から人間の頭。

 それも、水魚さん。

 水魚さんは頭の次に、片手を井戸から出して、懐中電灯の光を周囲に向ける。


「格子戸をあけたままですよ。ダメじゃありませんか」

「あわててたから」

「気をつけてください。まあ、こんなところへ入りこむ村人はありませんが」


 水魚さんは井戸から這いでてきて、格子戸のほうへ近づいてくる。


 猛が無言で、僕に指の矢印をしめすので、僕らは音をたてないよう細心の注意をはらいながら、あとずさった。

 じりじりと後退し、幕の外へ出る。

 背後で格子戸のしまる音がした。

 カチャカチャと金属のふれあう音。

 カギをかけられたのだ。


(今のは水魚さんと……誰だろう? 若い男の声)


 でも、蘭さんじゃなかった。

 ともかく、それが誰にしろ、彼らに見つかれば、ただではすまない。

 まさか、殺されたりしないよね?

 または、あずささんを殺したのが、僕らだって言われたり……。


 僕らは足音をたてないよう、そうっと境内をあとにする。

 長い石段を、一心不乱にかけおりた。


「び……びっくりしたね。あの井戸って、どこでもドア?」

「それ言うなら、かくし通路だろ」

「あ、そうか」

「ある場所につながってるんだよ」


 ある場所って、どこだろう。

 聞きたいけど、必死に走ったんで、息が苦しい。

 石段の下まで逃げたところで、僕らが、ハアハア呼吸をととのえていたときだ。


「やあ、あんたたちも祭見物?」


 声をかけられて、僕はとびあがるほど、おどろいた。

 ここまで見つからずに逃げてきたのに、最後の最後でアウトか!

 いや、まだ、あきらめるのは早い。僕ら、なんにも見てませんよ、と言いわけすれば、あんがい、信じてもらえるかも?


 と考えて(なんにも見てませんよ、なんて言ったら、見たと言ったも同然だとは、そのとき僕は気づいてなかった)、声のしたほうを見ると……ん?

 なんか、おぼえはあるんだけど、この人、誰だっけ。予想してた(龍吾とか、八頭さんとか、村の上役とか)人物ではないなあ。


 すると、猛が言った。


「ああ、落合さん」


 そうそう。落合さんだ。

 研究所のゲートのガードマンさん。

 制服きてないから、わからなかった。


「なんで、こんなところに落合さんがいるの?」


 僕の心からの疑問をきいて、ほがらかに落合さんは笑った。

 ちょっと、大声ださないでくれる?

 水魚さんたちに聞こえたら、どうするんだよ。捕まっちゃうゥ。


「何って、決まってるだろ。祭見物だよ。君らといっしょ。けど、せっかく見に来たのに、なんなの? これ。なんもしてないし、誰もいないし、オバケでも出そう」


 さては職権乱用して、ゲートぬけだしてきたんだな。

 そういえば思いだしたけど、この人、夕方の夜祭のときも見物に来てた。

 ちょこっと遠くから見ただけだけど、見間違いじゃないはずだ。


 このまま立ち話はマズイと思ったのか、さりげなく落合さんの肩を押して、猛は歩きだした。

 とりあえず、研究所の方角へ。


「今夜は飾りつけだけみたいですね。おれたちも見にきたんだけど、てんで期待ハズレ」

「なんだ。やっぱり、そうか。あれ? あんた、クツは?」

「ああ、これ。さっき、ミゾに足つっこんじゃって。ぬれたから」

「意外とドンクサイんだな」


 失礼な。

 猛はそんなカッコ悪いヤツじゃないぞ。


「そっか。宵宮だって聞いたから、もっとハデなことするんだと思った」

「夕方の儀式だけですよ。落合さんも見てたでしょ?」


 と、僕が言うと、落合さんはズルく笑った。


「ナイショ。ナイショ。八十年に一度なんだろ? どうしても見たくって」


 あ、やっぱり。


「そっか。そっか。今日、あれだけか。どおりで、さっき神社、行ってみたけど、シンとしてたよ」


 さっきって、いつだろう。

 僕らが社のなかに潜入してたときだろうか。

 それとも、もっと前?


「残念でしたね。せめてオバケくらいは見れたら、よかったのに」


 猛のさぐりに、まんまと落合さんはひっかかった。

 この人って、乗せやすいなあ……。


「姿は見れなかったけど、あれ、もしかして霊なんじゃないかな」


 思わせぶりに小声になって、落合さんは、すごんでみせる。

 ふだんなら、僕、ドキドキのとこだけど、今回はなんとなくオチがわかってる。


「なんか、あったんですか?」

 問うと、

「声が聞こえたんだよ」という答え。


 やっぱりね。

 でも、それって、あずささんと犯人の声なんじゃ? あるいは僕と猛。

 落合さんは僕と猛が緊張するのを見て、満足げに続ける。


「なんかね、男女の言いあらそう声だった。社のなかから聞こえてきたんだ。女の声で『このウソつき女!』とか言ってた」


 それは確実に、犯人たちの声だ。

 あずささんと犯人がケンカしてたんだろう。

 となると、ほんとに蘭さんが、あずささんを……。

 だって今夜、あそこにこもってたのは、あずささんと蘭さんだ。


 不安になる僕の顔を見て、落合さんは笑いだした。


「そんなに怖かった? やだなあ。ま、ウソじゃないけどね」


 そうこうするうちに、僕らは水田家に通じる、あぜ道のとこに来た。


「じゃ、おれら、こっちなんで」


 猛が手をふって、別れを告げる。

 と、あわてて落合さんが呼びとめた。


「蘭さんは元気?」


 あれ、この人。蘭さんが行方不明だってこと知らないのか。

 ま、そうだよね。

 研究所のなかじゃ、村のことなんか、ちくいち、わかんないか。


「蘭のこと、気になるんですか?」


 猛は説明がメンドウだったのか、消息不明のことは濁した。


「えっ、だって、そりゃ気になるよ。あんだけキレイな人だ。気にならない男、いる?」


 おやおや? まだ気づいてなかったんだ。


「そうか。落合さんにはネタばらし、してなかったっけ」と言って、残酷にも、猛は真実をあかした。

「あいつ、男ですよ」


 あっ、落合さんのハート、くだける音がした。かわいそッ!


「えっ……うっ、ウソだよね?」

「すいません。あんときは、あなたの協力が得たくて。あんな手段を……」

「………」


 僕らは、かたまってる落合さんを残して、その場を去った。


「あーあ、あの人、立ち直れるかな。世の中には知らないほうがいいことだって、絶対、あるって」

「でも、これで、あきらめ、ついたろ」

「まあ、そうだけど……」


 こんなノンキな話してる場合じゃなかった。

 きっと、落合さんの呪いだ。

 このとき、僕らは猛のおかした、とんでもないウッカリミスに、まだ気づいてなかった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る