三章 不協和音の連鎖 3—2

 *


 蘭さんがいなくなってることを知った僕らは、急いで心当たりをさがした。

 心当たりって言ったって、僕には、てんで見当もつかないんだけど、なぜか猛は断言した。


「神社だ。あいつ、水魚に会いに行ったんだ」

「えっ、なんで?」

「なんでかなんて、おれが知るかよ。あいつの考えることは、ときどき、わからん」


 ときどきかぁ。僕はしょっちゅうだけどね。ミステリアス蘭さん。


 で、僕らは神社へ行ってみた。

 そこには誰もいなかった。

 けれど、境内に入ってすぐ、強烈な血の匂いがした。

 大部分、土が吸ったみたいだけど、敷石された参道にも赤いしみができている。


「猛……」


 それが蘭さんの血だという証拠はなかった。でも、不安でたまらなかった。

 蘭さんのストーカー遭遇率は並やたいていではない。


 猛は無言のまま、あたりの調査を始める。凶器らしきものは見つからなかった。

 もちろん、蘭さん本人も。

 でも、かなりの量の出血だ。このケガなら、すぐに手あてしないと、やばいんじゃないか。


「蘭さん! 蘭さん、いないのッ? いたら返事して!」


 呼びかけるが、応答なし。

 神社の静寂が耳に痛い。


「薫、おまえ、社のまわり調べてみろ。おれは床下を見る」


 猛に言われて、僕はまわりの林に入っていった。

 林のなかは、さきが崖になってたり、木が密生しすぎて進めなくなったりして、とても人間の行き来には使えない。

 でも、社から少し離れたところに、ぽつりと建つ石碑を見つけた。こけむした古い石碑だ。誰かが供養のために、そなえた花が風にゆれている。


 やだなあ。怖いなあ。

 そう思いながら、いちおう近づいてみると、石碑には多くの人名がきざまれていた。最初のほうは風化して読めない。一番、新しい名前だけが、くっきりしていた。


 水田魚波


 水田にお魚が波をたてるのか。ドジョウかな。

 いや、そんなジョークで気をまぎらわせている場合ではない。

 水田は『すいでん』ではなく姓名だ。ということは『みずた』と読むのが正しい。

 そう。香名さんと同じ名字。


 おかしい。墓か?

 墓にしては、かろうじて読める他の名字がバラバラの気がするが。無縁仏の石碑だろうか……。


 僕はジョークでまぎらわせる余地がなくなってきたので、その場を逃げだした。

 むりだ。ふんいきありすぎる。

 あとで猛といっしょに見に来よう。


 社のところへ帰ってきたとき、ちょうど猛の声がした。


「薫。来てみろ」


 はいはい。行きますよ。よろこんで行きますとも。一人にならなくていいんなら、どこでも行きます。


 猛がいるはずの床下へ入っていくと、思っていた以上に暗い。


「猛。どこ?」

「こっち。こっち」


 どこだ。見えないぞ。


「猛ぅ」


 薄暗いなかに太い柱が何本もあって、けっこう視界をさえぎる。


「ちょっと、猛。どこだよ」


 頭の上の床が何段階かで低くなってくる。奥に行くにしたがって、腰をかがめたり、しゃがみこまないと進めなくなった。


「たけるぅ」


 ずいぶん奥まで来た気がするけど、まさか、猛まで消えてしまったのか?


 神隠し!

 そうか。ここは神社だ。

 しかも、まつられてるのは、今も、この世に生き続けているという生き神様。

 神隠しなんだな。

 二人とも、つれていかれちゃったんだな。とすると、さっきの猛の声は幻聴?


 僕が本気で、そう考え始めたころ、ようやく柱のかげに猛の姿が見えた。

 猛は何かの前で、しゃがみこんで、僕に手招きしている。ちゃんと声で答えてよ。


「暗いなあ。ここ、上のどのへん?」

「たぶん、入口の階段の裏あたりだろ。見ろよ」


 両側を太い柱に挟まれて、ちょっと見ただけではわからないが、そこに格子戸があった。頑丈な太い木の格子は、人間の力では折ることはできそうにない。

 しかも、格子戸には、なかから大きな南京錠がぶらさがっている。


「なかからって……これ、内部はどうなってるんだろ。人が入れるってこと?」

「ああ。けっこう広いみたいだぜ。それより、見ろよ」


 兄は、じいちゃんの形見のジッポをポケットから出して、格子のすきまから、なかへ入れた。

 猛がライターに火をつけると、くらがりが、ほのかに明るみ、薄ぼんやりとだが内部が見えた。


 なんか井戸みたいな石組みがあるゥっ。

 封印された古井戸!

 ますます怪談チックで怖いじゃないか。

 バカ。猛のバカ。

 なんで、こんなもの見つけるんだよ!(半泣き)


「かーくん、ちゃんと見ろよ。あれ」


 猛の見せたいものは、しかし、古井戸ではなかった。

 そのそばに落ちた、ある物だ。

 それを見て僕は血の気が失せていく気がした。今度こそ、冗談なんて言ってる場合じゃない。


 落ちていたのは指輪だ。

 二十四金製の太めのリングで、蛇がかたどられている。

 蛇の目はエメラルド。頭にクラウンをのせ、しっぽでオパールの卵をだいている。


 薄暗いなかで、そんなに細々したところまで見えたわけじゃない。

 すぐに判別できたのは、もともと、そのデザインを知ってたからだ。

 それは蘭さんの指輪だった。

 神秘的な古代エジプトスタイルをやりだしたころに買ったものだ。

 ちょっとサイズが大きいので、油断すると、指からぬけてしまう。


「あれ、蘭さんの……」

「ああ。この格子戸のなかへ、蘭が入った……ってことだろ? 蘭がわざと指から外して、ここへ投げこんだでなけりゃ」

「でも、今、誰もいないよ」


 なかは無人だ。

 誰かが隠れていられるとしたら、あの井戸だけ……。


「まさか、蘭さん、あそこに投げこまれちゃったり……?」

「………」


 猛は答えない。

 お願い。なんか言ってよ。

 よけい心配になるよ。

 違うって言って。


 僕はしばらく、蘭さんを呼んでみたが、応答はなかった。


 なげこまれたわけではないのか?

 それとも、なかで失神してるのか……まさか、もう、こ……殺されちゃったり……?

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