二章 不自然な魚 3—3


 兄ちゃん……必ず、ぶじに帰ってきてね。

 変な組織の用心棒につかまって、ドラム缶にコンクリづけにされて、海の底……なんて、やだからね。

 どっちかっていうと、この村じゃ、竹やぶの下かもしれないけど。


 おかげで、そのあと、僕は気もそぞろ。


 別棟とはいえ、えらく広い邸内のあちこちを引きまわされたが、てんで目に入らなかった。


 ただ、新しい巫子のために用意されたという部屋を見て、あッと思った。

 そこは僕でさえ、ひとめでわかるほど、見おぼえのある部屋だ。

 廊下のつきあたりに、八畳ほどの一室。

 和室に似合わない洋風のドア。

 なかの窓は例のごとく、はめころし。

 ドアにカギさえかけておけば、密室になる。

 室内の調度は豪華をきわめているが、そこに十年以上も閉じこめられていた少女の心境を考えると、そこはかとなく悲しい。


 そうだ。まちがいない。

 兄の念写に幾度となく写った、あの部屋だ。

 百合花さんが、幽閉されていた部屋。


(あの日本人形は、百合花さんが子どものころ、よく抱いてたやつ。衣桁の着物にもおぼえがある)


 だが今、百合花さんはいない。

 いったい、どこに行ってしまったのか。 新しい巫子を入れるから、用心のために場所をうつしたのだろうか。


 キャアキャアさわぐ女の人たちにまじって、僕は部屋中をしらべまくった。が、百合花さんの存在を示す、こんせきは残っていなかった。


「どうかしましたか?」

 と、笑う水魚さんに、

「いえ、なんか小物までそろってて、前に誰か住んでたみたいだなって」


 さぐりを入れてみたが、水魚さんの笑顔はくずれなかった。


「そうですか? 女の子の好きそうなものを集めるのには苦労したんですよ。私の感性は昭和止まりなんでね」


 ごまかした?

 今、ごまかしたよね?

 やっぱり、この人、百合花さんのこと知ってる?

 ていうか、らち監禁してたヤツらの仲間なのか?


(猛に相談しないと)


 僕の心を読んだように、水魚さんは言った。

「おや、あなたのお兄さんは?」


 僕はあせりが顔に出ないようにするのに、ひと苦労だ。


「さっき、トイレに行きたいからって言って……迷ったのかな」

「ふうん……」


 水魚さんの顔から笑みが消える。

 まずいぞ。怪しまれたか?


「そういうときは言ってもらわないと。勝手を知らない人が、むやみに歩きまわっても、目的のものは見つけられないよ」


 ギクッ。するどい! やっぱり、ばれてるのかな。


「じゃあ、彼を見つけてあげないと。みなさんは、ここで待っていてください」


 おーい、東堂さん、猛さんと、兄の名を呼びながら、水魚さんは廊下を歩きだす。


 あれ? 僕ら、名前、言ったっけ?

 昨日、蘭さんが話したのかな——と、考えて、僕はギクリとした。


 ほんとに僕は、なんで、こんなにウカツなんだろう。

 今ごろになって、彼を見たときに感じた違和感の正体に気づいた。


 そうなんだ。包帯は?

 蘭さんの話では、水魚さんの顔は、半分ごっそり剥ぎとられたみたいな大怪我してるはずじゃなかったのか?


 今ここにいる水魚さんは包帯なんてしてないし、その顔はキレイなものだ。

 いくらなんでも、昨日の今日だ。治るのが速すぎる。

 第一、ただ、治癒したというのではなく、怪我なんて最初からしてないように、傷あとひとつ見当たらないのだ。


 この人、ほんとに人間なのか?


 僕は急に寒気がした。

 薄暗い廊下を二人きりで歩いているとき、もう一方の相手が、人ではないかもしれないと気づくのは、あまり気味のいいものではない。


「あの……昨日、神社で蘭さんと会ったんですよね?」


 やめとけばいいのに、僕は聞いてしまった。灯火に吸いよせられていく虫の気分だ。


「会ったよ。ほんとうに綺麗な人だから、おどろいた」

「ええと……そのときは、ケガしてなかったですか?」

「ああ。ちょっとね。かすり傷だよ。治りかけてたんだ」


 そうかなあ。蘭さんの話ではそんな感じじゃなかったみたいだけど。蘭さんの視力は僕と同じくらい、いいし。


 ごくんと、僕が生ツバをのんでいると、水魚さんがふりかえり、ニッと笑った。


 やだ。怖い。妖怪。


「ねえ、薫くん。君、長生きしたいよね?」

「えッ、そりゃまあ、うち的には、それは切実……」

「じゃあ、君とお兄さんに長生きのもとをあげようか」

「ほんとですか?」


 それは欲しい。ぜひ欲しい。


「そのかわり、君たちの大切なものをください」


 だよね。そうそう、うまい話がころがってるわけがない。

 見返りが必要なのか。


「大切なものって?」

「それはね」


 水魚さんが何か言おうとしたときだ。

 ガタンと大きな音がして、近くの襖がひらく。尻もちをつくみたいに後ずさりで、なかから出てきたのは、うちの兄だった。廊下が薄暗いせいか、いやに顔色が青い。


「兄ちゃん」


 猛は僕らのほうを見て、あわててかけよってきた。

 水魚さんの前もはばからず、いきなり僕を抱きしめると(ていうか、ラリアット)、そのまま廊下を走りだす。


「に、兄ちゃん? 首しまる。水魚さんが不審に思うし……」


 兄の顔を見て、僕は二の句がつげなくなった。

 こんな表情の猛、見たことない。

 兄はケンカも強いし、柔道剣道三段だし、度胸もある。

 僕みたいに、闇夜に風が吹いただけでビクビクするような、イマドキ男子ではないのだ。


 その兄が唇をかみしめ、恐怖にこわばった顔でつぶやいた。


「化け物だ。あいつら……」


 廊下の奥に立ちつくす水魚さんが、妖しく微笑んで、僕らを見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る