二章 不自然な魚 3—2


「うん。そうだ。ここには俗世の人間は入れないんじゃなかったのか?」

「巫子候補だから、特別に。ミコが誰を選ぶのか、あなたも知りたいはずだ」

「ミコ? 巫子は、あなたでは?」


 僕が口をはさむと、水魚さんはふりかえって優しい笑みを見せた。

 うーむ。どうも、妖怪には見えない。


「あてる字が違うんだ。私はシャーマンのほうの巫子。ミコはお子様をていねいに書いたときの御子」


 お子ちゃまですか。


「神聖な人の意味です。その昔はミコトと呼んでいたらしいが、いつのまにか、なまったのだろう」

「御子に会えるのは、巫子だけなんだ」と、龍吾が言った。


 つまり、この神社の祭神のことですか。そりゃ一般人には会えるわけない。

 たぶん、古代のまんまのやりかたで、巫子がトランス状態になって、よりましになるんだろうな。

 だから、こんなに生活空間を暗くして、人との交渉を断ち、俗事にかかわらないようにしてるんだ。

 清澄な精神を乱さないために。


 どのくらい歩いたのか、てきとうなところで、水魚さんは襖をあけた。

 なかは十畳間。

 二条城とまでは言わないが、華麗な襖絵に欄間らんま。調度品も美しい。


「お茶を入れてきます。しばらく、お待ちください」


 優雅な立ち居ふるまいで、水魚さんが去っていく。

 グラドル風の派手な二人は、そくざに足をくずした。


「ああッ、緊張した(ノッポさん)」

「きれい男子だったよぉ。あの人、何さい? 何さい?(ロリータ)」

「ええと、大正元年生まれだから……(龍吾)」

「百さい?(僕)」

「百一さいだよ。誕生月にもよるけど。じいちゃんが明治四十四年だったろ(猛)」

「すごーい。じゃあ、ほんとなんだ。ずっと若いんだ(もうわかるであろう。この口調)」


 龍吾が自慢する。

「あたりまえだろ。水魚は、おれが園児のころから年とってないよ」


 女子三人のあいだに、期待と緊張が張りつめた。たがいの顔を見くらべて、競争心を燃やしている。


 でも、どうなのかな。

 僕は疑問だ。

 今の人は見ためがキレイだから、巫子役に選ばれて、最近、つれてこられた人なんじゃないの? 実年齢は二十七とか。


 ほどなく水魚さんは戻ってきた。

 ひとつも欠けてないセットの湯のみ(うちのは、ほぼ欠けてる……)に、すごく、いい香りの煎茶……いや、これは、玉露だ。

 これは、お高いやつですよ。う、うまい。

 こんなにオイシイんだから、早く飲めばいいのに、女の人たちはそれどころではないらしい。


「わたしたち、いつ、御子に会えるんですか?」

「今日、選ばれるんですか?」

「巫子に選ばれるのは、やっぱり一人ですか?」


 水魚さんをかこんで質問責めだ。

 今いくつですか、ほんとに百さいですかと、ワイワイやってるかたわらで、蘭さんは眠そうだ。

 さっきからアクビを連発して、しまいに僕の肩によりかかってきた。


「蘭さん?」


 声をかけたときには、もう寝ていた。そういえば、貫徹明けなんだっけ。


「おや、蘭さんはお疲れですね」

「昨日、徹夜だから」

「しばらく寝かせてあげましょう」


 水魚さんは座布団をならべて、即席の寝床を作った。その上に横たえた蘭さんの体に、自分の羽織をぬいで、かけてあげる。


「そのあいだ、なかを案内してあげましょう。新しい巫子のために用意した部屋や衣装がある。もちろん、今度の巫子は龍吾の花嫁だから、ここと母屋の二重生活になるわけだが」


 巫子って、世俗から離れてなきゃいけないんじゃないのか?

 なんで今度の巫子は神主の嫁なんだろう。


 水魚さんが立ちあがって、奥に続く襖をあける。

 すると、とたんに、猛が膝立ちになった。


「どうしたの?」


 たずねると、猛は耳打ちしてくる。

「百合花だ。ここ、百合花が監禁されてた場所だ」


 えッ? 百合花さん?


 さあ、ここで、僕は兄の運命の相手について説明しなければならない。そう。最初のほうで書いてた、『わけ』ってやつだ。


 知ってのとおり、兄は念写ができる。

 その念写を初めて、おこなったのが、小学四年のとき。僕は小一だった。

 オモチャのカメラで遊んでいたら、パチンと光って、変なものが撮れたわけだ。


 そこに写ってたのが、百合花さん。

 百合花さんは、だいたい、僕か兄と同年ぐらい。

 兄の最初の念写に写っていたとき、百合花さんは今まさに誘拐されていくところだった。なにしろ、イモ虫みたいに、グルグル巻きにされてたからね。

 以来、百合花さんは今も日本のどこかで監禁されている。


 兄と百合花さんのあいだには、引きあうものがあるらしく、その後も何度も念写に写る。

 百合花さんには、他人にはない不思議な力があるらしい。

 そう。予知……のような?


 猛に念写の力があることを知っていて、猛が念写する日時にあわせて、手紙を胸の前で広げたり、持ち物で暗示したりして、意思の疎通をはかってきた。


 彼女の名前も、それでわかった。

 やりとりをするうちに、二人のあいだには、特別な感情が芽ばえているようだ。


 兄は百合花さんを救いだすことを、自分の使命だと考えている。

 探偵になったのも、そのためだ。

 探偵の技能や人脈が、百合花さんを捜すのに役立つと思ったからだ。

 浮気みたいな煩雑はんざつな依頼を受けないのも、手がかりが見つかったとき、いつでも彼女を捜索するために動きだせるようにだ。

 決して、生来がナマケモノだからではない。いや、ほんと……。


 これまで念写でわかっていたのは、これだけ。

 百合花さんが豪華な日本家屋に閉じこめられていること。

 虐待はされていないこと。

 むしろ、高価な着物を着せられ、大切にされていること。

 しかし、学校にも通えず、十数年間、ずっと幽閉されていること。


 その場所が、どこなのか、誰がなんのために彼女をさらったのか、かんじんなことは何もわかっていなかった。

 今、その百合花さんがいる場所に、ぐうぜん、来あわせたというのだ。


「ほんとなの? 兄ちゃん」

「まちがいない。あの香炉、襖絵。前に念写に写った」


 じゃあ、いよいよなのか。

 この屋敷のどこかに、兄の運命の相手が閉じこめられている。


「薫、おれ、タイミングを見て捜しに行くからな。もしものときは、おまえと蘭で帰れ。おれのことは心配ない」


 心配ないって……ふつう、心配するでしょ。

 女の子をゆうかいして、十数年も監禁してる連中だよ。

 完全に犯罪者のそうくつ。

 水魚さんや龍吾が、どこまで関与してるんだか知らないが、ここといい、研究所といい、この村、ヤバイって。


 だからといって、僕がやめろと言って、やめるような兄ではない。

 僕は案じながらも、水魚さんのあとについていった。

 最後尾から歩いていくと、そのうち兄は僕にウィンクして、一人、別方向に行ってしまった。

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