二章 不自然な魚 3—1

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 僕らを乗せた車は、豪邸の敷地のなかにすべるように入っていった。


 さっきの女の人たちが、玄関さきで待ちかまえている。龍吾の周囲に、砂糖にたかるアリみたいに集まってくる。

 なるほど。必死なんだな。

 女性にとって、アンチエイジングって、それほど重要なことなのか……。


「ああーん。龍吾くーん。遅かったよ。涼音すずね、心配しちゃった」


 そっか。ロリータの名前は涼音か。


「アベックのジャマしちゃ悪いよ。ほっとけばよかったのに。ねえ、美咲」


 と、モデルみたいなノッポさんが言ったので、ショートカットの子が美咲さん、と。


 それにしても、僕はいまだに信じられない。

 ほんとに、そんな何十年も年をとらずに若い姿のままでいられるなんてこと、あるんだろうか。


「おれんちの神社さ。不老長寿のご利益あるって、知ってた? あれ、ほんとなんだよね。不老不死の神様の力をわけてもらった巫子は、人より二倍も三倍も長生きして、しかも死ぬ直前まで、ほとんど年とらない。今の巫子なんか、二人とも百年以上、生きてるぜ」


 ええ……? ほんとにィ?


「でも、一人は最近、寿命なんで、新しい巫子を選抜中なんだ。まあ、最終的な決定権は巫子が持ってんだけど、今度の巫子はおれの嫁さんになるんで、女たち、必死におれに媚びてるってわけ」


 というのが、車内で龍吾が話してくれた彼らの現状。

 こう聞くと、神様のご利益はともかく、巫子選びそのものは、べつに怪しいところなんかない。

 ただ単に世代交代ってことでしょ。

 なんで冷徹な研究者の下北さんが、あんな忠告するんだろう。

 まあ、下北さんのさしたのが、ほんとに巫子選びだとは限らないんだけど。


 それはともかく、遠くから見たときも豪邸だと思ったが、近くで見ると、さらにスゴイ。

 敷地は遠目で見たとおり、千坪はかたい。

 きれいな日本庭園。

 玉砂利がしかれて、武家屋敷っていうか、果てなし館? 母屋だけでも百坪はある。

 母屋のほかに別棟が二つ三つ。

 白壁の蔵がいくつも見えた。

 これは、たしかに掃除だけでも家政婦さん、十人は必要だね。


「ちょっとさあ、おまえら、離れてくんない? おれ、蘭さんエスコートしなきゃ」


 龍吾が言いはなつと、女たちの目が険悪に。

 イヤだなあ。こういうの。殺伐として。


 僕らは果てなし館を、龍吾の案内で歩いていく。

 広すぎる縁側は顔が映るくらい、みがかれている。

 右折。左折。ならぶふすま

 回廊のなかの中庭。京都じゃ壺庭っていうんだけど、もうツボとかじゃない。


 あれ?

 いつのまにか屋根つきの廊下。これは、別棟に向かっているのか。


「今日はねえ、蘭さん。特別に巫子に会わせてあげるよ」


 龍吾は上機嫌だ。


「やつら、俗世間を嫌って、ふだんは人前に出てこないんだけど、君のことは、どうしても紹介しておきたいなあ。今からでも君を巫子の候補にできないか、話してみる」


 巫子ねえ。流行りの美魔女とか、そういうんじゃないの? 若返りの整形とか駆使してたりして。


 廊下づたいに歩いていくと、別棟の前に扉があった。しめなわが掛られている。

 お賽銭箱の前みたいに、ヒモ付きの鈴があって、龍吾がヒモを引いて鳴らす。


 しばらくして、扉の向こうでかすかな音がした。人が近づいてくる。

 そして、扉の向こうで止まり、何かを引きずる音。かんぬきを外したのだと、あとでわかった。


 ギイっと軋みながら、ヒノキの扉が重たくひらく。

 現れたのは、白無垢の着物姿の美青年。これは昨日、蘭さんから聞いた妖怪の特徴だ。


(出たッ!)


 僕が蘭さんを見ると、蘭さんは美しい白皙を、さッと青ざめさせている。


「水魚……」


 やっぱり、そうか。

 だが、なんとなく僕は違和感も感じた。それがなんなのか、すぐにはわからなかったけど。


 白無垢のオバケは予想以上に美形だった。 ほんとに浮世絵からぬけだしてきたみたいだ。

 肺を病んでサナトリウムで療養中の文学青年みたい。

 大正時代の……大正——って、ウソだ!

 どう見ても二十代じゃないか。

 これで百さいって、そんなの信じないぞ。


「やあ、龍吾さん。何かご用ですか?」

「紹介したい人がいるんだよ。ほら、蘭さん。とびきりの美人だろ。おれ、もう絶対、この子がいいよ。今からでも巫子になれないかな?」


 儚げなオバケは、さみしげな笑みを見せた。


「残念ながら、今回の巫子は茜の代わりだから、女でないと」

「そんなのわかってるよ。だから、つれてきたんだろ」

「わかってないね。女性じゃないと、ダメなんだよ」


 龍吾、けげんな顔。


「意味わかんねえ。おまえ、いつのまに、日本語、通じなくなったの?」


 水魚さんが苦笑するので、蘭さん、ネタばらし。


「ごめんなさい。勘違いしてるみたいだから、いつ言おうかと思ってたんだけど、僕、男です」


 龍吾は、ぽかんと口をあけた。

 あーあ、マトモにしてれば、ちょびっと、舘ひろし似なのに。


「蘭さん?」


 なに言ってんのって顔だ。


「ですからね。話せば長いんですけど、このカッコは仮装の一種というか。べつにあなたを騙すつもりじゃなかったんですよ」


 蘭さんは豊満な胸からブラをはずした。するするっと、なれた手つきで。心臓に悪い。

 なんで、こんなにドキドキするんだ。

 でも、三枚重ねをはずしたあとの蘭さんは、ペッタンコ。

 ああ……やっぱり、男なんだよね。うん……(泣)


「えっ……でも、蘭って……」

「蘭は本名です。残念ながら、母の希望にそえず、男でしたけど」

「………」


 かわいそうな人を見るのは、今日はこれで二人め。

 龍吾は、なんか放心してしまった。

 白無垢の妖怪が、くすくす笑う。


「罪作りなことをしますね。こう見えて、龍吾はピュアなんですよ。からかわないであげてください」


 ピュアねえ。そんなふうには見えないけど……。


「さあ、みなさん。せっかく来ていただいたのだから、なかでお茶でもいかがですか? ご招待しましょう」


 妖怪さんが背後の暗がりを示すので、僕は尻込みした。

 が、女の子たちは(強力なライバルが消えたし)欣喜雀躍きんきじゃくやく

 猛や蘭さんも、ためらわない。


 妖怪は放心している龍吾の手をひっぱった。


「しっかりするんだよ。龍吾。いくつになっても子どもみたいなんだから」

「水魚、胸が張り裂けるって、こういう気持ちなんだな」

「ざせつを乗りこえて人は強くなるんです。いい薬ですよ」


 僕らは水魚さんを先頭に、ダンゴになって暗い廊下を進んでいった。

 暗いのは雨戸が全部しまってるからだ。外からの光が乏しいうえ、電球は消えている。

 僕、よく迷路みたいな日本家屋に閉じこめられて、出られなくなる夢、見るんだけど、まるで、あれみたいだなあ……。


「ここに人をお招きするのは何年ぶりだろう。龍吾が子どものときが最後だから、数十年ぶりかな」


 とうの龍吾は、まだ立ち直れないで、片手で胸をおさえている。

 ほんとに張り裂けたんだな。目には見えないけど。

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