二章 不自然な魚 2—3


 しょうがないので、僕らも立ちあがった。下北さんについてって、ロビーまで戻ってくる。

 中から出るときも、身分証が必要だった。

 僕らは建物をしめだされて、もう中へは入れない。


 ええッ。もう終わり?

 研究所の謎は?

 もっと見たかったよ。人体実験(いや、実験は見たくない。僕は蘭さんとは違うのだ)。


 下北さんは研究所のほうへ去っていった。


「なんで、蘭みたいなやつは、とくにいちゃいけないんだろうな。なんの選択だ?」と、猛。


 ふくよかな赤い唇に指さきをあてて(わざとじゃないんだろうけど、その仕草、エロいです)、蘭さんは答える。


「そういえば、昨日、落合さんが言ってましたっけ。巫子選びがどうとかって」

「巫子っていうと、あれか? 八十年に一度の神社の祭り。変……だな。なんで、神社の巫子選びが研究所の秘密に関連してるんだ」


 ごもっとも。


「まあいい。もう一回、詰所に行って、あいつから聞きだそうぜ」


 鬼だな。猛。これ以上、落合さんの純情をもてあそぶのか。


 とはいえ、情報は貴重。

 僕らが詰所に向かっていると、なんと、表門の鉄扉がひらいた。外から見おぼえのある赤いオープンカーか入ってくる。あれは神社のホウトウ息子の外車。


 ええッ、やっぱり、神社と研究所には、なんかつながりが?


「どうせなら外野に聞くより、神社の息子に直接、聞くほうがいいよな」

「ええッ、あの感じ悪い感じ(ん? 変な言いまわし)の人に聞くの? 話してくれると思う?」

「蘭が聞けば、なんでも教えてくれるよ。美人に目がないみたいだったろ」


 そうだけど……。


「だから、危ないんじゃないか」


 オオカミにヒツジを差し出すのと同義だ。


「僕はかまいませんよ。いざとなれば、性別、ばらしますから」


 なんか今回、やけに蘭さんがノリ気。

 不老不死の伝説。やばそうな研究。消える妖怪。いわくありげな巫子選び。

 もう蘭さんの興味は、パンク寸前なんだろう。


 僕は心配だったが、蘭さんはまっすぐゲートに向かって歩いていく。

 オープンカーは駐車スペースへ走りだしていた。が、たしかに美人には目ざとい。車はバックで戻ってきた。


「やあ、君!」


 神社の息子は車をとびおりて、まっしぐらに蘭さんにかけていく。


「君、名前は? どこの人? すごい綺麗だね」


 いきなり手をにぎってくるので、さすがにノリ気な蘭さんでもイヤそうに、あからさまにその手をふりはらった。


「……なんですか? あなた」


 ほう。蘭さんくらいになると、むしろ媚びないんですね。

 それでも坊っちゃんは、蘭さんに夢中だ。


「ああ……とつぜん、ごめん。おれ、八頭やず龍吾りゅうご。不二神社の跡取りだよ」


 親の七光りってやつだ。

 この村のなかでは、その光は、きっと絶大なのだろう。そう言っておけば、世界中どこへ行っても通用すると思ってるみたいな口ぶりだ。


「ああ、あの山ぎわにある神社ですか」と、猛。


 蘭さんは、さりげなく猛の背中にひっついた。

 すごいね。放蕩ほうとう息子、ジェラシーむきだしだ。


「おれたち、道に迷って、この人(落合さん)に聞いていたんですよ。じゃ、そういうわけで」


 兄ちゃんも役者だなあ。

 蘭さんの肩を抱いて立ち去ろうとする。

 放蕩息子は食いさがった。


「それなら、おれが送るよ」

「いや、もう帰り道わかったから、いいですよ。じゃ、祭になったら見物に行きます」


 猛、押す、押す。

 蘭さんも嬉しそうに、猛と腕くんだりして、どっから見ても麗しのカップルだね。


「あ、待って。祭に興味あるなら、うちに来なよ。ねえ、君、祭の衣装とか見せてあげるよ。うちのはけっこうスゴイよ。君が着たら似合うだろうなあ」


 よし。かかった。


「どうする? 行ってみる?」

「まあ、おもしろそうだ。行こうぜ。蘭」


 うーん。二人とも、僕にはマネできない。


「じゃあ、おねがい」

「いいよ。いいよ。遠慮なく、どうぞ。君、蘭さんっていうのか。綺麗な人は名前もキレイだなあ」


 放蕩息子は自分が釣られたとは思いもせず、大物を釣りあげた気でいる。

 しかし、オープンカーから降りてきた三人の女の子は、ものすごい、ふくれっつらだ。


「ちょっと、龍吾。話が違う。研究所のなか見せてくれるんじゃなかったの?」


 うおッ。すごいアルトのハスキーボイス。

 背が高いから、一瞬、男かと思ったが、胸は大きいし、ウエストがキュッとしまって、圧倒されるようなナイスバディー。

 顔は外国風の大きな口と、日本風な切れ長の目元がアンバランスで、それが、かえって個性的な魅力だ。


 となりの子も可愛いぞ。

 丸顔にお人形みたいな大きな目。ややポッチャリかな、と思うけど、ゴスロリファッションが似合って、これはこれで、なかなか。


 遅れてやってきた三人めは、前の二人にくらべると、少し地味な気はしたが、それは身近な感じの普通っぽさだ。

 化粧はアッサリめで、顔立ちの美しさがよくわかる。ボーイッシュなショートカットが知的なふんいきにあっていた。このまま白衣着てたら、研究員みたい。


 それにしても……ですよ。

 それにしても、着飾って化粧した彼女たちの誰一人として、蘭さんの美貌には遠くおよばないのだった。

 ああ、蘭さん、なんで女じゃなかったんだ(もう下僕でもいい)。もったいない……。


 僕が惑わされてるあいだに、もっと惑わされてる男がいた。


「うるさいなあ。見たけりゃ勝手に見ろよ。おれは気ィ変わったの。蘭さん、行こうか。助手席、乗りなよ」


 なんて、ひどい男だ。女の子たちの目が怖いし。


「神社でしょ? あそこまでくらい歩くよね? 猛さん」


 蘭さんは猛の背中から離れない。


「そうだよな。おれたちにはお気遣いなく。そのへん、ぶらぶら歩いていきますから」


 僕らが研究所の門を出てまもなく、赤い車が追ってきた。僕らのよこで停まる。


「じゃ、こいつら送ったら、すぐ引き返してくるから。蘭さん、待っててね」


 けっきょく、女の人たちは研究所を見そこねた。

 外車はスゴイ勢いで疾走していった。

 僕はウカツなタヌキや鹿が車道に飛びださないことを願った。

 彼、絶対、ためらわずに、ひく。


「あいつ、おまえの正体、知ったら、泡ふいて失神するぞ。蘭」


 猛、笑いごとじゃないぞ。やりすぎだって。


「二人とも恨まれても知らないからね」

「そのときは、猛さんが守ってくれるから。ね?」

「おいおい。甘えるのは、あいつの前だけにしろよ」


 などと話しているあいだに、赤いやつが帰ってきた。


「さ、蘭さん」


 こりずに助手席のドアをあける。

 蘭さんは苦笑して、そこに座った。

 僕らも蘭さんがさらわれないうちに、急いで後部座席に乗りこむ。


「そういえば、君たち、昨日も見かけたなあ。遊びに来てるの?」


 もちろん、ここでいう『君たち』は、僕と猛のことだが、放蕩息子の視線は蘭さんに向いている。

 お願い。前、見て、運転して。


「ええ。まあ」

「三人は友達?」

「後ろの二人は兄弟。僕は友達」

「あ、よかった。つきあってるんじゃないんだ」


 つきあってるって言ったら、あとで性別ばれたとき、妙なことになるじゃないですか。


「あの女の人たち、すごく怒ってたけど、平気なの?」


 蘭さんが話をそらすと、放蕩息子は笑った。


「いいんだよ。あいつら、巫子になりたくて必死だから」


 不意打ちで、重要キーワードがとびだしてくる。


「巫子?」

「そう。巫子。八十年に一度、不死の神の神聖な力をわけあたえられる斎宮さ」

「要するに、祭事をとりおこなう巫子の選抜会ですか?」


 龍吾は不敵に笑った。


「ところがね。うちのは本物さ。さすがに不死はムリだけど、巫子になれば、年をとらなくなる」


 そんな……バカな。それがほんとなら、スゴイ神様だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る