一章 不死伝説の村 2—1

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 そんなわけで、その夜は遅くまで酒をすすめる健一おじさんをふりきるようにして、早めに寝かせてもらった。


 翌朝。


「香名さんちまで、あたしが車で送ってあげる。あそこはすごい山ん中だけんねえ。バスだと朝晩に一本ずつしかないし」


 うわあ……予想以上の山奥か。

 僕、怖いの苦手なんだけど。なんか心配になるよ。夜、一人で歩けるだろうか……。


 しかし、アイちゃんの好意は、ありがたい。


 美保関(読みは、みほのせきねえ)は、言っても、ひらけた漁港だ。

 のどかな田舎町とはいえ、人もいるし、人家もあるし、活気がある。


 でも、可愛い小型車に詰めこまれて、国道九号線へ出たあと、あれよあれよというまに、僕らは山中へ入っていった。

 山道を揺られること二時間ばかり。

 これは……ほんとに人間より、熊とか猿のほうが多いんではなかろうか。


「はあ……景観はキレイだねえ。前、旅行したときは、出雲大社とか、日御碕灯台とか、荒神谷遺跡とか見たよ。石見銀山に、松江城でしょ。玉造で温泉入って、勾玉の携帯ストラップ(今時、ガラケー)買って、シロイルカのいる水族館……は、浜田だったっけ?」


「ああ。あの白戸家の『おじさん』ね。育児休暇で、輪っこ作る子は見れなかったんですよね」


 言いながら、蘭さんは感慨にふけっている。

「なんだか思いだしますね。あの事件」


 蘭さんと出会ったときの、あれね。

 あの事件も山中だったしねえ。

 山陰と山陽の違いはあるけど、山深い景色は日本全国、一律、似ている。

 あのとき、蘭さんは大海ひろみくんと死別してるし、よけい思いだすのかな。


 それにしても、どんどん山また山のその奥に進んでいくけど……ほんとに大丈夫なのか?

 こんなところに人間が集団生活してる村が存在してるのか?


「ずいぶん遠いんだねえ」


 僕が恐る恐るアイちゃんに声をかけると、アイちゃんは運転席から、一瞬、チラリと助手席の僕に目を向けた。

 なんとなく含んだ目つき。

 な、なんだ? ちょっと妙な感じだったぞ。


「こっちから頼んだことだけん、やっぱし言っとかんとね」


 アイちゃんが前置きしたので、僕らは彼女に注目した。

 声の感じから言って、彼女は大切なことを打ち明けようとしている。


「じつは今から行く藤村は、昔からちょっと変わったとこだに(変わったところだよ)。閉鎖的っていうか」


 頼むから、あんま変なことは言わないでねえ……。


 僕はすでに、および腰。


「よそ者が入ってくることをものすごく嫌うんですよね。うちは、おばあちゃんが村の出身だけん、お祭のときや、お正月とか、遊びに行ったもんだけど、それでも、なんとなく一歩置いた感じっていうか。そのぶん、村人どうしの結束は固いんだけどね。あすこは、あの村独特の古い信仰があるけん」


 うっ……それか。昨日の、あの磯辺家の変な沈黙は。新興じゃなく、古いほうの宗教だったわけね。


「それが研究所と関係あるの?」


 昨日の会話の流れから言って、そうなのかなと思ったけど、アイちゃんは首をふった。


「それはないよ。ほんとによくある昔からの土着の宗教だけん。かーくんたちは、ヤマタノオロチの話は知っとる?」


 ヤマタノオロチか。その話なら、じいちゃんから聞いている。

 じいちゃんは若いころ、各地を放浪してたんだけど、出雲で雪絵さんに出会って、しばらく、この地に定住していた。

 だから、出雲には愛着があったらしくって、いろいろ話してくれた。いなばの白ウサギはともかく、小泉八雲はねえ……夜中、トイレに行けなくなったっけ。


「出雲神話のなかの話だよね。たかまがはらを追放されて、放浪中のスサノオノミコトが斐伊川に来ると、はしが流れてきた。

 人が住んでると思い、上流へ向かったスサノオは、そこで泣いている老夫婦と美女を見つける。八つの頭と八つの尾を持つ、ヤマタノオロチという大蛇が、娘をいけにえに求めたのだという。

 娘の名はクシナダヒメ。哀れに思ったスサノオは、オロチを退治すると約束する。八つのカメに酒を仕込んで待ち伏せていると、地響きがとどろき、山よりも巨大な大蛇が、木々をなぎ倒しながら現れた。

 オロチは酒の匂いをかぎつけ、八つの頭をカメにつっこみ、酒を飲みだした。酔ったオロチが、まんまと眠りこんだ、そのすきに、スサノオは次々にオロチの首を切り落とし、みごと、やっつけたのでした——って、お話だよね? スサノオノミコトはクシナダヒメと結ばれて、めでたし、めでたし」


「よう知っちょるんだねえ」

「じいちゃんに飽きるほど聞かされたからね」


 放浪中の男が地元の美人と結ばれるって、きっと、じいちゃんは自分と雪絵さんをかさねてたんだろうな。

 それで、この話が好きだったんだ。


「まあ、このオロチっていうのが、当時、しょっちゅう氾濫して被害をもたらしていた斐伊川をさしてるんだろうとか、そんなふうに解釈されるんだよね。ところで、この話が、その村となんか関係が?」


 スサノオノミコトは、そののち、出雲の王になり、今や全国各地で祀られてる超有名な神様だ。

 だから、藤村に残る土着宗教というのも、そういう関連なのだろうと思った。なんてことはない。怪しい宗教などではなく、古い神話を今も大切に守る人々なのだ、と。


 ところが、食い入るように前方を見つめて、ぐねぐねと続いていく蛇腹の道(こういうときは羊の腸か)に、自動車を進めていくアイちゃんは、さらに、おかしなことを言いだす。


「じゃあ、八百比丘尼やおびくにの話は知っちょる?」

「昔話のオンパレードだねえ。人魚の肉を食べて、八百年間、年をとらずに生き続けた女の人の話だよね」


 こっちは、じいちゃんに聞かされたわけじゃないので、よく知らない。


「うん。人魚の肉を食べて、不老長寿……」


 なんか……ちょっとオカルトづいてませんか?

 イヤな流れになってきた。

 ホラーは苦手。


 僕がチラッとふりかえると、思ったとおりだ。蘭さんの目が輝いてる。


「その村に人魚の肉を食べた人の伝説でもあるんですか?」


 アイちゃんは蘭さんに話しかけられて、頬を染める。

 ……だよね。やっぱり、アイちゃんも蘭さん狙いか。

 普通、そうだよね。一度見たら、忘れられない美貌だもんね。


「人魚じゃないんです。わたしも聞いた話ですけど(口調まで僕のときとは大違い)」


 前置きしてから、アイちゃんは語る。


「あの村の伝説では、ヤマタノオロチの肉を食べたんだそうです。スサノオノミコトが退治したあとの、その肉ですよね。だから、もし本当のことなら、古代から語り継がれてるってことになるんですけど。オロチの肉を食べた人は、ずっと年をとらないで、今も生きているんですって」


 そんなバカな……。


「それで、その人を祀った神社が村にあって、不二ふじ神社って言います。花じゃなくて、二つとないってほうの字で。たぶん、最初は不死神社だったんだろうって話です。きっと村の名前も、もともとは不死村だったんでしょうね」

「いいね。断然、僕好み」


 だよねえ。よかったね。蘭さん。僕らが調査してるあいだも退屈しないですむね。

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