第3話
非通知の番号から電話がかかってきたのは、その夜だった。
僕は5日後に控えた面接に備えて、座椅子に深く腰掛けて準備をしている最中だった。
いままでなら絶対に取らなかったが、きのう友達が、たまに企業から非通知でかかってくることがある、と聞いていたため、僕は電話に出た。
3日前に筆記試験を受けた会社だと思って、急いで体を起こした。緊張した気持ちで、努めてかしこまった声で言った。いま思えば、お盆期間中に企業から電話があるなんてあり得ないことなのに。
「はいっ。もしもし」
電話の相手が、ぷっと吹き出したのがわかった。僕は、いたずらか、と嫌な気持ちになって、電話を切ろうとした。
「啓介だよね?なんかすごく固い声出してたから、一瞬誰だかわからなかったよ~」
僕は、違う意味で緊張した。体がこわばる。
「菜々子?」
「そうそう。この間啓介と再会してから、懐かしくなっちゃってさ。番号、変わってなかったんだね。よかった」
安心したように菜々子は言った。声に元気がないように思えた、わこの間会ったときより、というか昔の記憶を呼び戻しても、ここまでしおらしい声を聞くのは初めてだった。
「どうしたの?何かあった?」
僕は、思わず訊いていた。菜々子はとぼけたように、「え?なんのこと?」とまじめに応えてくれなかった。
「いや、なんでもないよ。きょうは仕事だったの?菜々子、いまどこにいるの?」
「仕事は、してないよ。わたしは、いま東京に住んでいるの。びっくりした?」
声に、いつもの調子が戻っていた。僕は、また座椅子に深く寄りかかる。
「菜々子、僕にうその就職先を教えていただろう?どうしてうそをついたの?」
「うそはついてないよ」菜々子は薄く笑った。「そこで働きたいと思っていたのは本当なの。ただ、履歴書を出さなかっただけ」
「意味がわからない。菜々子、地元に残ったんだよな?働かずにいたってこと?」
「違うわよ。啓介が東京へ行ってすぐに、わたしも東京に来ていたのよ」
僕は、ますます頭が混乱した。
菜々子もずっと東京にいた?
信じていいのかわからず、僕は黙り込んでしまった。
沈黙が生まれた。電話の奥で、男の声が聞こえた。
「菜々子、いま家にいるの?」
「そうよ。彼氏の家に住んでいるの」
「仕事は?していないの?」
「しているわよ。わたしのこと、ニートだとでも思った?ごめん、啓介。彼氏がわたしの電話を気にしているから、もう切らなきゃ。また、かけるね」
菜々子は、僕の返事を待たずに電話を切った。年末にかけてカレンダーをめくるのが早くなるような、慌ただしい終わり方だった。
僕は結局、菜々子に関する情報を何も得られなかった。
お盆を過ぎると、8月は下り坂を転がるようにあっという間に終わって、9月になった。その間、菜々子からは一度も連絡はなかった。
僕から電話をかけようにも、電話番号がわからず、着信があれば期待をしてしまい、何とももどかしい日々を送っていた。
8月下旬、かねてより志望していた電機メーカーの会社の内定を貰って、僕の就職活動は終わった。いまは、第2の関門である卒業論文に取り組んでいる。しかし、身が入らないでいた。
「啓介?なに、ぼーっとしてるの?」
美穂が、パソコンから顔を上げて顔を傾けた。いま、啓介の家で一緒に卒論を書いていた。
僕は悟られないように「なんでもないよ。就活が終わって、気が抜けてさ」と取り繕った。本当は油断して菜々子のことを考えていた。電話で元気がなかったことがどうしても気になって、日が経てば経つほどその気持ちは強くなっていた。しかし、美穂の勘の鋭さを警戒して、美穂の前では考えないようにしていたのに。
「わかるよ。わたしも、就職決まって、すべてのやる気なくしちゃったもん。でも、卒論おわんなかったら、卒業できないんだからね?がんばろうよ」
美穂は、キャビンアテンダントに内定を貰っていた。昨日連絡をもらったばかりで、まだ気持ちが浮ついているのかもしれない。どちらにせよ、バレずに済んで僕は安堵の吐息を漏らした。
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