第76話 更新が止まった

 8月、

 各局のニュース番組が流す帰省ラッシュの報道を、サクラは岡山県の実家のリビングルームで眺めていた。


 いわゆる「夏休み」の時期、多くの国民が、故郷で行楽や旅行を楽しんでいるなか、全くそういった類ではない理由でサクラは実家にいた。


「サクラ、お昼ご飯どうする?」

「うーん、なんでもええ」

「お父さんは?」

「ワシもなんでもええわ」


「もう……」


 サクラ父とサクラ母とサクラ、かつてこの家で毎日を過ごした3人。この夏休みのなか、どこにも出かけず、特に何もない日々を送っている。


 サクラはテレビを眺めている。

 サクラ父は新聞を読んでいる。

 サクラ母はため息とともにキッチンに立っている。


 普通過ぎて逆にドラマのワンシーンに使いづらいくらいの、いたって普通な光景である。


 サクラがこの家に戻って3週間ほどがたった。しばらくのあいだ毎晩泣いていたサクラも随分と落ち着いた。かける言葉が見つからなかった両親も、やっとひとり娘と普段通りの会話ができるようになっていた。


 1か月前、九門が姿を消した。


「いつかちゃんと帰る」の言葉を信じ、サクラは警察に届けなかった。コトを大きくするようなことはせず、「いつか」のその日、何事もなく九門を迎えるんだと。


 そして、店長のサポートのもと、互いの両親にすべてを話した。


 九門がいなくなったことを。そして、その理由、つまり鬼面ライターという作家の正体が九門大地であること、も。


 九門父は「あのバカ息子が」と怒り狂い、

 九門母はしばらく食事をとれなくなり、

 サクラ父はかつて自分が出した条件を悔い、

 サクラ母は呆然と涙を流していたが、


 時が経つにつれ、それらもすべて落ち着いた。九門がいない、ということ以外は、これまで通りの毎日に戻りつつあった。


 同様に店長のサポートのもと、会社に休職の処理をしてもらった。サクラは当初、退職処理で構わないと伝えたが、会社側は休職でよいと言ってくれた。いま九門大地は「体調不良による1年の休職」という扱いとなっている。


 両親への説明とは違い、会社にはすべてを話してはいない。サクラは何度も頭を下げたが、編集部のメンバーもまた、自分たちが九門に何もかもを頼り過ぎたせいだと、頭を下げた。特に熊田さんは大声で泣いて謝った。


 九門がいまどこにいるのかは分からない。だが、どこかで生きている。確実に生きている。


 毎日「おはよう」と「おやすみ」のLINEだけは互いに送りあっていた。


 この合計8文字のメッセージだけがふたりのコミュニケーションのすべてなのだが、「待つ」と決めたサクラにとっては、これで十分だった。


 そして、ラノベ「異世界バスケ」は勿論更新されないままである。


 間もなく全国大会に挑むという、まさに物語の山場を迎えんとする場面で、1か月も止まっている。


 だが、アクセス数は伸びていた。


 元代表監督の自殺未遂騒動の際多くのメディアが、その理由の一部分とされるかつての解任運動を取り上げたのだが、そこで大きくクローズアップされたのが、鬼面ライターなる人間によるブログ「雲の筆」と、そのブログの中で連載されているラノベ「異世界バスケ」だった。


 さらに、この鬼面ライターがタピオカをはじめとした幾つものブームを生み出していたことも報じられ、瞬く間にその存在は日本中に広まった。


 鬼面ライターのtwitterアカウントは当然のように大炎上となった。「人殺し」「表に出てこい」「謝罪しろ」「卑怯者」などのコメントが何千、何万と寄せられた。


 まったくポジティブな理由ではないが、これによりブログのアクセス、とりわけラノベの閲覧数はさらに伸びていた。爆発的に伸びていた。


 既に大手漫画雑誌の人気作と肩を並べるレベルにあった同作品だったが、この騒動により(まったくポジティブな理由ではないにせよ)知名度において一歩抜きんでることになった。


 おそらくは、「異世界バスケ」はいま日本一有名なエンタメ作品であろう。


 その「異世界バスケ」の更新がパタリと止まっている。twitterも、うんともすんとも言わない状態。


 ポツポツとSNS上にこんなコメントが飛び交い始めた。


―― 鬼面ライターは死んだ


 8月の岡山の空も、憎らしいほどに青く澄んでいた。

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