第74話 おかゆを食べた

 サッカー日本代表の元監督が自殺未遂というショッキングなニュースが日本を駆け巡った翌日、九門はベッドのうえで何もせずただ寝転がっていた。


 朝、会社に「体調不良で休む」とメールを送ると、スマホをポイっと投げ、布団に潜り込み、そして動かなくなっていたのだった。


「大地君、なんか食べる? おかゆでも作ろうか?」

「いや、いいよ。今日は写真教室だろ?」

「でも……」

「いいよ、俺ひとりになりたいし。行ってきなよ」


「……。」


 サクラは、家を出た。九門のことは心配だが、いま自分が横にいたところで何もできない。かける言葉もない。ひとりになりたいという九門の言葉を尊重した。


 ひとりになった九門は、昨夜サクラが残したモナ王をかじり、また寝た。サクラがかじってその面積の30%ほどが消滅していたモナ王すら食べきれなかった。ひどく食欲を失っていた。


 夕方、九門は会社のメールを開いた。熊田さんが来週から復帰するという連絡が入っていた。


 ああ、よかった。たぶん佐藤さん泣いてるだろうな。

 もしかしたら合田さんも泣いてるかも。

 部長は泣かないか。

 逆にちょっと笑ってるかも。

 そういや部長が笑うところって滅多に見られないよな。

 もったいないモンを見逃しちゃったな。


「ただいま」


 しばらくすると、サクラが帰ってきた。


 サクラは冷凍庫のモナ王を見た。その大きさを確認し、どうやら九門は今日ほとんど何も食べていないことが分かった。


 サクラはおかゆを作り、リビングテーブルに置いた。

「お腹空いたら食べて。冷めたら温めたらええけん」

「うん、ありがとう」


 サクラの手元のスマホ画面には、例の元監督の記事。サクラは画面に向かって祈った。お願いだから死なないで、と。


 九門は少しおかゆを食べたが、すぐにベッドに戻った。サクラが帰ってきてから九門が床に就くまでの約5時間、ほとんど会話らしい会話はなかった。


 翌朝、

 風呂場から聴こえるシャワーの音で、サクラは目を覚ました。


 ソファには着替えとカバンが置いてある。ダイニングテーブルには、おかゆを食べたあとと思われる茶碗も。どうやら今日は会社に行くようだ。サクラはホッと胸をなでおろした。でも出社するかどうかは聞くまいと決めた。いまはヘタに声をかけないほうがいいと思った。


 九門は「行ってきます」とだけ告げ、家を出た。サクラは「行ってらっしゃい」とだけ返した。


 九門が家を出るのを見届けたサクラは、ひととおり家を掃除し、料理教室に出かけた。九門のことはまだ心配だが、今日はベッドから出て朝ご飯を食べ、そして会社に行った。もっとも厳しい状態は脱したように見える。よかった。ひとまず、よかった。


 だが、


 終わりではなかった。

 事態はさらに、最悪の方向に向かうことになる。


 通勤の電車で、九門がスマホを取り出し会社のメールを確認しようとしたそのとき、ニュースアプリのポップアップ通知が立ち上がった。


「……!!」


 ワイドショーの元司会者が倒れ緊急入院、というニュース速報だった。先日の元監督同様、危険な状態だという。


 九門は言葉を失った。その司会者もまた、かつて鬼面ライターの記事をキッカケに世間から猛バッシングを受けた人物だったからだ。


 九門は、次の駅で降りた。

 反対側のホームに移動した。

 最初に来た電車に乗った。

 電車が自宅の最寄り駅に着いた。

 九門は電車を降りた。

 ホームのベンチに腰掛けた。


 アタマを両手で抱え、しばしそこに留まる。2日前と同じだ、全身にじっとりとイヤな汗をかいている。そして呼吸が乱れ始める。


 また俺のせいか、また人が死ぬのか。

 なんでこうなるんだ。

 ちょっとブログに書いただけじゃないか。


 そしてまた思った。もう嫌だ、もう勘弁してくれ。


 10分ほど経つと、またへんな笑いが込み上げてきた。


 昨日は殺人犯になったんだったな。

 で、今日のこれで連続殺人犯に格上げってか。

 とんでもない大犯罪者になっちまったな、俺。

 どうなるんだ、これ。

 死刑か? 俺は死刑か?


 この元司会者が倒れた原因はまだ分かっていない。以前起きた降板劇が関係しているのかどうかも定かではない。だが、九門はもうすべてが自分のせいだと思っている。


 ジェットコースターのように上下し続ける九門のバイオリズム。これまで何度落ちても九門はなんとか這い上がってきたが、今度の落下距離はこれまでの比ではなかった。


 今度こそ、もう立ち直れなかった。


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