第73話 ダンゴムシになった
「そうか、今日も休みか。なかなか立ち直れないようだな」
会議室、部長の暗い声。
あれから1週間、熊田さんは会社に来られないでいる。佐藤さんがこまめに連絡を取っており、いわゆる生存確認はできているが、しかしあのいつもの笑顔は、いまこの会議室にはない。
佐藤さんと合田さんはも明らかに元気がない。
「私、また今度家に行ってきます……」
「産業医の面談も用意は出来てるんだけど、本人が来ないことには……」
腕組みの部長。
「社員の顔が世の中に大きく露出されることは、宣伝効果としては大きな意味を持つが、一方でこういうリスクもあるということか。SNS時代のメディアの在り方を俺たちはまだまだ分かってなかった」
「すみませんでした」
「……?」
アタマを下げている九門。
合田さんが手を横に振る。
「いや、九門君が謝ることじゃないよ、部署全体のミスだよこれは」
「はい、でも……、すみませんでした」
「……。」
朝の会議が終わり、各々席に戻る。これから取材へ向かう者、記事の執筆に入る者、編集部が動き出す。貴重な戦力が1名離脱したなかで、慌ただしい1日が今日もまた始まる。
「ふぅ~~」
鼻から大きく息を吐き、やや覇気のない顔でPCを開く九門。
そのとき、
「ええ……!!?」
編集部員の大きな声が、オフィスに響いた。
「……!?」
振り返る九門。声の主は、テレビの前に立っていた。
九門が「新加入組」と呼ぶ、あの一派のひとりである。彼の声につられ、ゾロゾロと編集部員がテレビの前に集まる。昼の情報番組の途中に、ニュース速報が差し込まれていた。九門もその輪に加わる。少し背伸びをし、後方から画面を覗く。
「……!!!!」
言葉を失った。
元サッカー日本代表監督が危篤、というニュースだった。かつて鬼面ライターがその采配に異を唱えたことから解任運動にまで発展し、そして実際に更迭された、あの監督である。
「うわあ~、マジかよ…」
「自殺未遂の可能性もあるってよ」
「たしかに日本中にボロクソ叩かれてたもんな、あの人」
傍観者たちが次々に感想を述べる。
「……。」
自分の顔が青ざめるのが分かった。
なんだよ、それ。なんなんだよ。
イヤな汗が腋を伝った。少し体が震え始めた。呼吸が乱れ始めた。立っているのも辛くなってきた。
九門はトイレへ向かった。
バタン!!
個室のドアを閉め、床に座り込む。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
さらに呼吸が乱れ始める。体中の毛穴から汗が吹き出し始める。
ちょっと待て、危篤? 自殺未遂?
これもか、これも俺のせいか。
俺のせいで人が死ぬのか?
「うぷっ…」
急に吐き気を催した。便座を抱えるように座りなおす。
ザザーーーーー!!!
ザザーーーーー!!!!
繰り返し水を流しながら、息を切らし、うめき声のような音を発する九門。
涙が出てきた。
もう嫌だ、もう勘弁してくれ。
九門は、部長と合田さんにメールで早退する旨を告げ、カバンを取り、逃げるようにオフィスを出た。どうしたのかと問うメールが来たが、返信する気力はなかった。駅まで歩くのもイヤになり、ビルを出てすぐタクシーを拾った。
熊田さん不在のなか自分が抜けるのは大きな打撃になる、なんてことは考えられなかった。とにかく早くひとりになりたかった。
帰宅すると一目散にベッドに駆け込んだ。サクラが習い事で不在だったのは、九門にとっては幸いだった。とにかく早くひとりになりたかった。
布団の中で、また涙が出た。頼むから死なないでくれ。何度も祈った。ガタガタ震える体をダンゴムシのように丸め、布団の中で何度も祈った。
そしてまた思った。もう嫌だ、もう勘弁してくれ。
3時間後、
ガチャ。
玄関のドアが開く音が聴こえた。そして、サクラの声が聴こえた。
「あれ? もう帰ってきとったん?」
九門は、ベッドに横になり、ボーっとスマホを眺めていた。
「どしたん? 体調でも悪いん?」
「うん、ちょっと」
「ふ~ん。薬は飲んだ?」
「いや、いい。ちょっと寝れば大丈夫」
「ふ~ん」
サクラは冷凍庫からアイス(モナ王)を取り出し、モグモグと食べながらテレビをつけた。
「わっ……」
画面に映されたのは、件の元監督のニュースだった。キャスターが深刻な顔で情報を伝える。どうやらまだ昏睡状態が続いているらしい。
「……。」
この元監督の顔に見覚えがあった。そう、3月のあの日、九門の記事を機に大バッシングを受け更迭されたあの人だ。
「俺のせいだよ」
「……!?」
ベッドのうえの九門がボソッとつぶやいた。
「俺のせいでこの人こうなったんだ」
「大地君……」
九門は乾いた声で笑った。
「これで死んじゃったら、犯人は俺ってか。俺、人殺しになっちゃうのかな」
「……。」
サクラはテレビを切ると、ひと口だけかじったモナ王を冷凍庫に戻した。そしてベッドルームに向かい、ダンゴムシのように丸まっている九門に声をかけた。
「大地君のせいじゃないよ」
「いいよ、どう考えても俺のせいだよ」
「だって、この人監督じゃし、こういうことってよくあるし……」
「日本の監督が自殺未遂なんか聞いたことねえよ」
「……。」
ダンゴムシの九門はボソボソと続けた。
「熊田さんもさ、俺のせいでヘンに有名になっちゃってさ。みんなに叩かれて会社来なくなっちゃったよ。俺のせいでみんな不幸になってる」
その日、九門は夕食をとらずに寝た。
翌朝もダンゴムシだった。
そして、会社を休んだ。
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