第72話 責任を感じた

 熊田さんの部屋のドアが開いた。


「スミマセン、お待たせして」

 申し訳なさそうに、熊田さんがアタマを下げる。


「謝らなくていいのよ、全然。こっちこそゴメンね、お部屋まで来ちゃって」

 佐藤さんは、熊田さんの肩にそっと手を置いた。


「いえ……、すみません、ホントに……」

 顔を上げた熊田さんの目は、腫れていた。どういう状態にあったかひと目でわかる顔だった。


「あ、入ってください。コーヒーくらいしかないですけど」

「うん、ごめんね、お邪魔します」


 わりと広めのリビングにベッドとソファ、中央には少し小さなテーブルと座布団。そして、いかにもセンスの良さを感じる白で統一された家具類。


 サクラが住んでた部屋にちょっと似てるかも、と思いつつ、九門はテーブルの前に座る。なぜか正座で。佐藤さんは九門の隣に座った。熊田さんはテーブルの手前側に座った。3人でLの字を描くような配置に。


「九門さんにスッピン見られちゃった。恥ずかしいな…」

 熊田さんは、やっと少し笑った。


「え? いや、全然。ていうか、分かんないし」

「ホントね。ノーメイクでそんなにカワイイなんて、ちょっと悔しいくらい」

 精一杯の笑顔で話してくれた熊田さんに、どうにか返事をした九門。流れで少しジョーダンを交えた佐藤さん。


 が、逆効果だった。


「いえ……、ブスですから、私」


「……!?」


「私…、何かしましたか…」

 熊田さんの声が震えている。


「……。」

 九門も佐藤さんも声が出ない。


「あんな風になるなんて…」


 佐藤さんが少し身を乗り出すような格好で声をかける。

「みんな一時的に面白がってやってるだけよ。あんなの、すぐおさまるから。気にしないで、ね。そうよね、九門さん」


 九門が頷く。

「うん、どうせすぐ飽きるよ。だから……」


 熊田さんは、遮るように自分の言葉を続けた。

「でも、外に出るとみんなが私を見て笑うの。ヒソヒソ喋るの。アレ絶対私のこと言ってるんです。もう、外に出るのが怖いんです……」


「熊田さん……」


 熊田、うつむく。

「こんなことになるなら、タピオカのハナシなんてしなきゃよかった…。テレビなんて出なきゃよかった…」


「……。」

 もうかける言葉がなかった。


 九門と佐藤さんは、熊田さんに「少し休んで、また元気になったら一緒に仕事をしよう」と告げて、部屋を出た。


 駅への道を歩くふたり。


「ちょっとしんどそうね……。しばらく会社には戻ってこれないかも」

「はい……」


 会社に戻ったふたりは、熊田さんの様子を上司に告げた。ダメージは相当に大きいこと。もしかしたら復帰は難しいかもしれないこと。


 合田さんはガックリと肩を落とした。部長はフォロー体制を考え始めた。

「そうか……」

「まずは人事に問い合わせて産業医の面談をセッティングしてやれ」

「はい、そうしましょう」

「並行して彼女がいない運用体制を組んでおいてくれ。いまはしょうがない」

「分かりました」


 佐藤、タメ息。

「はぁ……、凄い世の中ね。ちょっと目立ったらこんなになっちゃうなんて」


「……。」


 いつものラウンジ。

 九門は、コーヒーを飲みつつ、ボーっと天井を眺めていた。


 こう考えていた。

 自分のせいなんじゃないか、と。


 彼女が世の中であんな存在になったのは、タピオカブームによるものだ。

 そして、そのタピオカブームを作ったのは、鬼面砲。

 つまり、自分だ。

 自分がタピオカを取り上げなきゃ、熊田さんはこんなことにはならなかった。

 もしかして、熊田さんを傷つけたのは自分なんじゃないか。

 そういえば、こんな風にひとりでコーヒーを飲んでいると、いつも声をかけてくるのが、熊田さんだったな。

 いつも俺のことを心配してくれて。

 部署に戻った時は涙まで流してくれて。

 そんな人を、俺は。


 この日、九門はいつもより早く帰宅した。どうにも仕事をする気になれなかった。


「今日は何も書かんの?」

 ソファに寝転ぶ九門に、サクラが声をかけた。


「ん?」

「更新まだかー、ってコメントいっぱい来とるで。また大きい大会があるんじゃろ? みんな楽しみにしとるみたいよ」

「うん、知ってるよ。まあいいよ、ちょっとくらいサボっても」

「ふ~ん」


「だから、今日はいいや」

「……。」


 仲間が傷ついたことで、自分のブログとラノベについて改めて考え始めた九門。


 このラノベって、何なんだろう。

 自分は思い通りに世界を動かせるようになってしまった。

 いまの世の中のブームのほとんどが自分のラノベから生まれていると考えると、確かに凄いことをやっていると思う。

 それで会社を救ったこともあった。

 芸能人やスポーツ選手が自分のラノベによって光を浴びた例もある。

 幸せになった人は確かにいるのだろう。

 でも、いま大事な仲間が傷ついている。

 立ち直れないほどのショックを受けている。

 自分のせいで。


 何なんだろう。

 好きなように世の中を動かして、人の人生にまで影響を与えて、こんなこと自分がやってもいいんだろうか、本当に。


 ラウンジの時と同様、ボーっとしながら天井を見つめる九門。自分がやっていることが、いいことなのか悪いことなのか、分からなくなってきた。


 かつて、すべてを手に入れたと有頂天になり、その後すべてを失ったと自暴自棄になった。そこからなんとか自分を取り戻すことができたが、また再び考え込む時間が到来してしまった。


 ラノベを書き始めて以来、まるでジェットコースターのように上がって下がってを繰り返し続ける九門。


 そんななか、翌週、またもや事件が起きる。

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