第71話 人が傷ついた

 週明けの朝、

 悩み続けるサクラを横目にサクサクと買い込んだシャツにさっそく袖を通し、いつもよりパリッとした顔で電車に乗った九門は、そこで開いたtwitterを見て、言葉を失った。


 ちょっと待て、何だよこれ。

 あれ、こんなことになってんのかよ。


 九門が見ているのは、熊田さんのアカウントページ。フォロワーは5万人を超え、すっかり有名人の仲間入りを果たした模様。さすがはタピオカブームの仕掛け人である。が、そこに寄せられたコメントは、まったくポジティブなものではなかった。


「アンタ最近調子乗りすぎ」

「瀬能クンの冗談を真に受けて、馬鹿じゃないの?」

「ブスのくせにテレビ出てんじゃねーよ」


 いわゆる炎上である。


 おいおいおい、ちょっとテレビに出ただけじゃんかよ、なんでこうなるんだよ。

 アンタら熊田さんのこと何も知らねえだろ。

 それがよってたかって、なんなんだよ、これ…。

 あと、全然ブスじゃねえよ。いや、むしろ…。


 気持ちの悪いソワソワ感を抱きつつ、駅から会社へ歩く九門。


 そこに、


「九門君」


 振り返る九門。 

「……?」


 合田さんだった。

「おはよう、九門君」


「あ、おはようございます」

「あのさ、朝から明るくないハナシなんだけどさ、ちょっと大変なんだよ……」

「あ……、熊田さんのこと、ですか?」

「あ、見た? twitter」

「はい、それに実は昨日も……」


 九門は、アウトレットモールで遭遇した会話を合田さんに伝えた。自分の彼女からチラッと言われた言葉も伝えた。どうやら熊田さんは、世の女性の敵のようになってしまっているらしいのである。


「そうかあ、そんなことも……」

「何も悪いことなんかしてないんですけどね、熊田さん」

「そう、ホントそうなんだよ。なんでこうなるかなあ……」

「熊田さん、大丈夫ですかね……」

「いやあ、心配だよ、ホント……」


 オフィスにつくと、合田さんから(予想はしていたが)残念なお知らせが。

「熊田さん、今日は休むって……。メールが来てる」


「そうですか……」


 佐藤さんも部長も困った表情。

「はぁ……」

「ちょっとダメージがデカそうだな、彼女」


 腕組みの部長、PC画面を前に頭を抱える合田さん、タメ息をつく佐藤さん、他のメンバーもみな同じような表情。重苦しい雰囲気に包まれたオフィス。みんな何が起きているかは知っている。


 居ても立っても居られない佐藤さん。

「あ、あの……、私、熊田さんの家に行ってきてもいいですか?」


 合田さんが頷く。

「うん、さすがにちょっと心配だよ。行ってあげて」


「はい」


「九門さんも、来て」

「え?」

「いいから」

「いや、でもふたりも抜けちゃったら、今日の配信が……」


 九門の弁を、合田さんが制止する。

「いいよ、そんなコトどうでもいいよ。数字なんていつだって巻き返せるんだから。それよりいまは熊田さんのほうが心配だ」


「はい……」


「そうですよね、部長?」


 部長、腕組み。

「いや、数字は大事だ。どうでもよくはない。が、まあ、彼女がいるといないじゃその数字にも結局大きな影響が生じるだろうから、優先度としてはそれで正しいな」


「分かりました」

「ちょっと行ってきます」

 九門と佐藤さんは、カバンを取り、オフィスを出ていった。


 ちょっと笑顔の合田さん。

「なんだか不器用な許可の出し方でしたね、部長」

 

 表情を変えない部長。

「俺は上長として優先度を考えて正しいことを言っただけだ」


「そうですね、じゃあふたりの穴を埋めるシフトを組みましょうか」

「ああ、そうしよう」


 それから1時間後、

 九門と佐藤さんは、熊田さんの住むマンションの前にいた。


「出てきてくれるかしら……」

「……。」

「うーん、LINEは全然既読にならない。電話も出てくれない…」


 そりゃそうだろうさ。

 いまはスマホの画面を見るのもイヤなはずだ。

 ここまで来たはいいが、果たして会うことは出来るのか…。


 佐藤さん、意を決した顔。

「もう行くしかないわ。行くわよ」


「へ?」


 佐藤さんは九門の手を引っ張り、熊田さんの部屋の前へ。あいかわらず行動に移るときは強引な人だ。


 インターフォンを押す。

 出てこない。

 どうやらモニタを見ている反応もない。


 部屋にいないか、いるけど出てこないかの二択だが、どうにも後者だとしか思えない。いまの状態で外に出ていると考えるほうが不自然だ。


「どうしよう……」

「中にはいると思うんですよね」

「うん、私もそう思う」


 コン、コン、コン。佐藤さんは、ドアを3度叩いた。


 この時代、この呼び出し方は、かなり最後の手段に近い。そもそもエントランスがオートロックになっているマンションだと出来ない手法。だが、もうこれしかない。


「熊田さん」

 佐藤さんが声を掛ける。


 出てこない。


「九門さん、呼んでみて」

「え?」

「アンタが呼べば、出てくるかもしれないでしょ」


 アンタ…?


 喋り方が変わった佐藤さんに少しビックリしつつ、「なぜ?」と質問するシチュエーションでもないので、九門はドアを軽く叩き、熊田さんを呼んだ。


 コン、コン。


「熊田さん、九門です」


「……。」

「……。」


 出てこない。やっぱりダメか。


 と、そのとき、佐藤さんのスマホが鳴った。


「あ!」


 九門、(普通は見ちゃダメなのだが)画面を覗き見る。


 熊田さんからLINEが届いていた。


「5分ほどください。ドア開けますから」


「はぁ……」

 佐藤さんは大きく息を吐いた。安堵の表情でLINEを閉じる。そしてもう一度大きく息を吐く。


 九門もひと安心。

「よかった……、出てくれたよ」


「アンタ、人の画面見たの?」

「え……!?」


 いやいやいや、見るでしょ、この場合は。

 見ちゃダメなのは分かってるけど。

 ていうか、シリアスなシーンだったのに、なにそれ。


 そして、


 ガチャ。


 熊田さんの部屋のドアが開いた。

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