第62話 また新しい年が始まった

「あけましておめでとうございまーす」

「今年もよろしくお願いしまーす」


「あれ? ちょっと太ったんじゃない?」

「いやあ、正月食べ過ぎちゃいまして」

「ハハハハ」


「ああ~、俺から出してないのに、あそこの課長さんから年賀状来ちゃったよ」

「マジっすか? すぐ返事書かないと」

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」


 年が明けて最初の出社日、

 職場では「年始あるある」のテンプレのような会話がアチコチで繰り広げられている。メールを開けば新年の挨拶メールが盛りだくさん。各々、年末年始の数字の確認、今日からの記事配信の手配、挨拶回りや来客対応などなど、新年早々慌ただしい。


 カタカタカタカタ……。


 職場のテンプレトークをBGMに、黙々とキーボードを叩く九門。


「九門さん、あけましておめでとうございます」


 背後から声がかかった。振り向くと、笑顔の熊田さんが立っていた。

「今年もよろしくお願いします」


「あ、明けましておめでとうございます」

「お正月はどこか行ってたんですか?」

「うん、普通に実家に帰ってましたよ」

「そうなんですね」

「熊田さんは?」

「うーーーん、内緒です」

「なんだそりゃ」

「ふふふ」


 なんだか久々に会社の人と仕事以外の会話をした気がする。

 いつからか雰囲気変わっちゃったんだよなあ。


 九門は自分で分かっていない。人を遠ざけているのが、自分のほうだということを。あまりにも強くなりすぎた自分が、距離を生んでしまっていることに。


 新年一発目の会議でも、その「今の九門」のオーラが炸裂した。


「いや、そんな感覚だけで喋るのやめましょうよ」


「……?」


 鋭い目つきで九門がWEBチームに物言いをつける。

「WEBチームはもっと数字で言ってくれないと。個人の感想で喋られても編集の企画の肉付けにならないですよ」


「……。」


 出席者は言葉を失っている。とりわけWEBメンバーは全くのダンマリ。昨年春からの活気溢れる会議の雰囲気はそこにはなく、無機質なニオイが会議室を覆い始める。


 まるで去年と立場が逆転したようだ。いまのWEBチームは、あのとき何も発言できなかった雑誌チームのよう。そして九門は、当時の課長のよう。


 その後、いつものラウンジスペース。


「九門さん」


 ソファに腰掛ける九門に声をかけてきたのは、やはり熊田さんだった。


「あ、熊田さん、お疲れ様です」

「お疲れ様です」

「どうしました?」

「九門さん、疲れてます?」

「え? なんで? 全然大丈夫ですよ、冬休みちゃんと取ったし」

「そうですか、ならいいけど。あ、今度ご飯いきません?」

「ご飯?」

「お魚が美味しいって評判のお店が出来たんです。行ってみたくて」

「うん、いいですよ。行きましょう」


 メシに誘われるのなんて、しばらくなかったな。

 ほかは誰がいるんだろう。

 合田さんとかも来るのかな。

 あの新加入チームは呑むと若干ウザいから、来てくれないほうがいいな。


 熊田さんが去り、またひとりになった九門は、グビッとコーヒーを呑む。


 そのとき、

 九門の背後、どうやら少し離れた場所から、こんな会話が聴こえてきた。


「滑川、例の件どうなってる?」


 滑川…!?


 九門、振り返る。


 九門なんていう珍しい苗字の自分が言うのもアレだが、滑川だってそうそう多い名前じゃない。

 骨川にニアピン賞の滑川。

 そう、あの滑川さんに違いない。

 

 なるほど、髪型はさすがに違うが、細身で小柄で釣り目で、スネ夫っぽい。

 いや、そこまで一致してもらう必要はないのだが。


 が、ヘンに凝視するわけにもいかないので、九門はまた体勢を直し、背後の会話に聞き耳を立てた。


「もう少ししたらまた声かけようと思ってるんですけど」

「そうだな、他にツバつけられないように連絡はマメにな」


 おそらくは、鬼面ライターの話だ。

 以前、書籍展開の話を断ったが、やはりまだ諦めてはいないらしい。


「分かってます。でも、どうなんですかね、あの件もあるし」

「うーん、確かにウチが火傷する可能性もあるんだよな」


 あの件?

 何かあったか?


「俺、他が声かけてないのも、アレのせいだと思うんだよね」

「そうかもしれないですね、そこは本人にも一度聞いてみますよ」


 ん? 

 他の版元とはお見合いだったんじゃないのか? 

 何か別の理由があるのか? 

 いや、確かにお見合いなんて不自然だとは思っていたけど。


 滑川さんからまた連絡が来るであろうことは分かった。だが、「あの件」「アレ」と呼んでいるものが何なのかが全然分からない。


 それが分かったのは3日後だった。


 いつぞやの広告代理店から、鬼面ライターにメールが来た。また新しい案件の話だろうか、とメールを開いた九門。だが、そこに書かれている内容は予想とは全く違うものだった。


―― ステルスマーケティング


 少し前からWEBメディア業界を中心に議論が拡がり始めたこの問題に、九門は片足を突っ込んでいたことを、このメールで知ることとなる。


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