第55話 メディアを超えた
間もなく世間が夏休み期間に入る7月中旬、
ついにその日が来た。
「鬼面砲」なる言葉が流行りだし、いつかは来ると思っていたことだった。
鬼面ライターにこんなメールが届いたのだ。
「某社の商品を貴方の作品の中に登場させてほしい」
送り主は広告代理店。どうやらその某社の商品のプロモーションを引き受けているようだ。
このハナシ、九門にとっては「想定内」。これだけ鬼面砲が話題となれば、企業のメディアを経由せずに直接鬼面ライターに相談する例は出てくるだろう、と。
広告の話は初めてじゃない。これまでも「ネットワーク広告のバナーを導入しませんか」の類のメールは何十通も来ている。
まあ、既にプロ契約を結んでいるから、そういうのは全部スルーしているんだけど。
ともあれ、このハナシは「想定内」。
ただ、そこに記された数字は「想定外」だった。
「800万円の広告費をご用意しております」
800万円……!?
なんだこれ?
ラノベの中に商品を登場させたら800万円?
ぶっちゃけ1日で終わる作業だぞ、これ。
日給800万?
てことは、時給に直したらええーっと……。
気持ち悪い汗が九門の腋を伝った。
「どしたん、大地君? 顔がソワソワしとるで」
「……!!!」
突然のサクラの声に、九門はビクッと肩をこわばらせた。
「なんか変なメールでも来たん?」
「いや、この世界じゃよくあるPR系の問い合わせなんだけど」
「ふーん」
「なんかさ、書いたら800万円くれるって言ってんだよ」
「ええええーーーー!!??」
さすがのサクラも大きな声を上げる。
とんでもないところに来てしまった。つい半年前は、お金をどうするかふたりで悩んでいたのに、いま一筆800万の話が目の前にあるのだ。
既に大きな月収を手にしている九門だったが、毎日のPVで積み上げていくネットワーク広告売上とは全く感覚が違う。半自動的に毎月振り込まれるものではなく、ハッキリと相手から「アナタにこれだけ払う」と告げられている。
それよりなにより、一発で800万円である。九門の年齢では年収でもたどり着けない人間が大多数という数字。面食らうのも無理はない。
ヘンな汗が止まらないが、とりあえず返事はしてみよう。
どれだけのことを要求しているのかもよく分からないし、こんな大きなハナシ、放置するほうが気持ち悪い。
九門は簡単な返事と共に、もう少し詳細な情報を求めた。
「どういった露出を希望されますか。いつ頃の展開を希望されますか」
夜10時を回った時間だというのに、すぐに返事が来た。
「『異世界バスケ』本編の中で登場させていただきたいです。9月の新商品ですので、8月下旬あたりに露出ができるとありがたいです」
やはり先方の望みは、スーパー鬼面砲だ。こんな時間でもすぐに返事が来るということは、相当入れ込んでいるのだろう。
しかし、800万円ってウチの会社の媒体だとかなりの施策じゃないと預かれない金額だぞ。
それがこれだけで出てくるってのか。
そう、九門のポジションは、いよいよメディアを超えるレベルに突入していたのだ。
一旦、大枠は分かった。
次の会話は明日以降にしよう。
「あああああ~~~」
九門は大きく伸びをした。ただメールをしただけなのに、やけに疲れた。
「どうするん? そのハナシ」
「いや、まあちょっと考えてみるよ」
「なんか詐欺とかじゃない? 大丈夫なん?」
九門、腕組み。
「うーん、分かんないな。個人じゃなくて会社への問い合わせなら、そういうことはまずないんだけど。これは俺も初めてだから…」
一旦、後回しだ、この話は。
九門は話題を変えた。
「そういや料理教室はどうなの? 順調?」
「しっしっし」
あ、ヘンな笑い方が出た。
「今度から大地君にお弁当作ろうか」
「弁当?」
「そう、いろいろ出来るようになったんよ、あたし」
「そっか。んじゃ、やってもらおうかな」
「じゃあ、今度お弁当箱買いに行こ」
「分かった」
楽しそうだな、サクラ。
聞けば友人もたくさん出来たらしい。
同年代の人も多いようで、専業主婦の友人とは日中もちょくちょく会っているようだ。
「もっと色々やってみたい」とサクラは言う。
よっぽどこれまでの生活が暇だったのだろう。やっと楽しい趣味が出来たことが、嬉しくて仕方がないようだ。友達をたくさん作りたい、他の習い事も見てみたい、クルマの免許も欲しい、希望は盛りだくさん。ニコニコしながら九門に話してくる。
ボソッと「もう暇なのはイヤじゃけん」と加えつつ。
「……。」
翌日、
なんというタイミングだろうか、編集部の会議で件の「某社の新商品」の話題が出た。自分たちのメディアでそれを取り上げようという意見が挙がったのだ。
「これ、流行らせたら面白いんじゃないかと思って」
「まだ浸透してないから、先に喰いつけば有利だよね」
「鬼面砲を狙って、いろいろ仕掛けたいですね」
頷く合田さん。
「なるほど、面白いかもしれない」
腕組みの課長。
「まだ商品名が浸透してないから、検索でも優位になりそうだな」
「……。」
実はこのとき、九門は選択を迫られていた。
会社のメディアが件の某社に取材を申し込むと、九門に金が入らなくなる可能性があるのだ。
それはなぜか。
件の某社は鬼面砲にあやかりたい。だから代理店を通じて鬼面ライターに広告費を投じようとしていた。金で鬼面砲を買おうとしていた。
一方、メディアに取材された場合は広告費は不要。そのうえで鬼面砲にも乗る可能性がある。取材を依頼してきているのが、いま「日本一鬼面砲を上手く活用しているメディア」となれば。
広告費を使わずに鬼面砲での爆発が見込めるかもしれないとなれば、某社からしたら、鬼面ライターに金を払う必要はない、あるいは支払う金額を落としてもいいという考えが出てくるだろう。
実は、こういうハナシはメディアの世界ではよくあるパターンだ。
たとえば、メーカー企業から広告費を獲得したい営業チームが、編集部に対して「あの商品は取材しないでくれ。編集部に無料で掲載されると、自分たちが大きな広告費を獲りに行けなくなる」と依頼する例。
営業陣営はメーカーに対して「掲載されたいなら、お金をください」というハナシがしたいのだ。だから編集部が無料で掲載しようとすると、それは邪魔な動きとなるのだ。
まさにいま、九門はこの営業マンの立ち位置である。
編集部が取材依頼を出すということは、イコール、自分が金をもらえなくなる、あるいはもらえる金が少なくなる、ということ。
果たして、二択を迫られた。
取材して掲載すれば、会社のサイトに大きなヒットが。
掲載を見送れば、自身に大金が。
合田さんが問う。
「九門さん、どうする?」
「うーん、これは見送りましょうか」
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