第48話 空気が変わった

「記事送りました!!」

「OK、すぐ見るからちょっと待ってて!」

「ハイ、それ上げたら取材行ってきます!」


 3月下旬、

 半袖姿と長袖姿の人間が混在するオフィスに、元気のよい声が飛び交う。


 合田さんが指示を出し、佐藤さん、熊田さんたちがイキイキと動く。


 あの日以来、編集部の空気は一変した。


 雑誌チームの記事はことごとく当たり、WEB上での存在感をドンドン大きくしていった。その勢いに乗り、出版不況のこのご時世でありながら雑誌の売れ行きまで上昇し始め、社内で最も元気なチームとまでいわれるように。


 マンパワーの強化がそのままWEBトラフィック、雑誌部数、収益の向上に繋がると判断した経営陣は、来月からの増員を決定した。


 ほんの1か月半前、自分たちの事業は縮小する、なんとか居場所を守らなければ、と下を向いていたチームに、逆に増員のジャッジが下されるとは、まさに大逆転。


 この躍進のトリガーは言うまでもなく、名古屋からやってきた新戦力、九門大地である。


 九門は、合田さんたち雑誌チームが発信する情報に、ラノベ「異世界バスケ ZERO」を巧みに絡め、世のブームを生み出し続けた。九門の作戦が動き出して以降、彼らの媒体は急速にユーザー数を拡大する。


 カラクリはこうだった。


 九門は、雑誌チームが日々のリサーチ活動で掴んだネタ、いわばブームの種をすべて確認する。


 そのなかから幾つかをピックアップし「異世界バスケ ZERO」のなかでさりげなく披露する。たとえば主人公にその商品を買わせたり、主人公の彼女がハマっている料理として食べさせたり。


 この作品の読者は、当初は現役バスケ部員、あるいは元バスケ部員がメインだったが、のちにその外にも急速に拡がっていた。「もし自分が違う人生を歩んでいたら」という、誰もが一度は思ったことがあるだろう展開は、バスケファンの世界に留まらず多くの日本人から大きな共感と支持を得ていたのだ。


 「異世界バスケ」のファンは感度の高い若年層の割合が高く、彼らはすぐにSNSでネタを拡散してくれる。そのスピードたるや、まさに一瞬、爆発的。


 そのうえ、この作品はプロスポーツ界や芸能界にも多くのファンを持っており、彼らも好んで拡散してくれるとなれば、爆発が「大爆発」になることは必然。


 そこからは当然のようにネットニュースやテレビ番組にも拾われ、老若男女問わずさらに大きく広まることに。これが、広まる連鎖である。


 この連鎖の起点を握っている九門は、先んじて合田さんたちに要望を出しておく。「このネタとこのネタを思い切り深堀りして発信してください」と。


 そう、のちに自分が流行らせるからだ。


 あとは、合田さんたちがその情報を世に放った直後に、「異世界バスケ ZERO」から始まる必殺パターンを仕掛けるのみ。


 すべてが整っている九門の編集部は、大ブームになる手前の段階からユーザーを捕まえまくる。一方、話題が大きくなってから動く他メディアはスピードで九門達にどうしても勝てない。そのうえ取材の密度や情報の質でも、事前に準備している九門達には遥かに及ばない。これにより、九門達の媒体は圧倒的にユーザーを独占できた。


 合田さんたちが書いたネタの多くが「異世界バスケ ZERO」に登場して広まる連鎖に突入する、ということは、つまり「編集部が書いたものが流行る」ということ。まさに九門が編集部に提案した「ブームを生み出す」ということが実現されたのだ。


 また、九門が上手かった点は、この必殺パターンを自社で独り占めせず、自分たちの媒体以外にも散らしたことだ。「異世界バスケ ZERO」は、他メディアが発した情報も公平に拾っていた(ただ、他メディアの場合は事前の準備がないため、そこまで大きな爆発には至らないのだが)。


 この散らしにより、九門達の媒体と「異世界バスケ ZERO」の繋がりが勘づかれることはなかった。よって、九門が作家・鬼面ライターであることも明るみにはならなかった。


 そして、

 編集部のメンバーもこの事実には気づいていない。


 カラクリは知らず「自分たちが書いたものが流行った」という実績と自信がドンドン蓄積されていく。その効果は明らかだった。


「九門さん、会議始めるよー! 第3会議室ね」

「っす!!」


「さあ、次は何を仕掛けましょうか」

「いくつか案があるんで、お持ちしてます」

「いいねえ、さっそく見ようか」


 会議の雰囲気も以前とは全く違うものに。


 いまの彼らの会議は、あの頃の空間ではない。全員が自分のノートPCをのぞき込み、誰も顔を上げず、自分の発表時のみ喋っていた、あの無機質な空間では。


 雑誌チームのリーダーである合田さんを中心に、編集者の意見が次々に飛び交う活気あふれる場に変貌していた。WEBニュース事業の主導権は完全に雑誌チームに移り、日々の業務から会議の手法まで、彼らのやり方がメインストリームとなったのである。


 合田さんが、この会議の議長である課長に問う。

「…ということで、いかがでしょうか、課長」


 課長は、無表情で返す。

「いいよ、それで」


 合田さんは笑顔で礼を言う。

「ありがとうございます」


「では、皆さん、今週も頑張りましょう」

「はい、よろしくお願いします」 


 合田さんと同じように笑顔で会議室を出ていく編集部員たち。


 そして、すっかり抜け殻のような雰囲気の課長が、ゆっくりと立ち上がり会議室を出ようとしたそのとき、九門が動いた。


「課長、ちょっと時間いいですか?」


「……?」


 ふたりだけ会議室に残る形に。

 15~20人用の大きなテーブル、向かい合うように課長と九門が座る。



「話があります」


 切り出した九門の顔は、あのタンカを切った時の鋭い目はなく、優しい表情だった。

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