飛躍

第35話 東京に引っ越した

 1月下旬、

 あと1週間ほどで、九門は名古屋の地を離れる。


 出社してもほとんど仕事はない。やっていることは片付けと挨拶回り。夜は、送別会、あるいは壮行会の名のもと、毎日宴が繰り返される。


「九門君、東京でも頑張ってね!!!」

「出世しろよ、次期編集長!!!」

「九門がいないとつまんねえよ。いつか帰ってきてくれよ」


 これまであまり実感のなかった九門も、これだけお別れのイベントがあると、少しセンチな気持ちになってくる。もう少しココにいたいとも、ちょびっと思ってしまう。


 あと1週間 ――


 異動の話が出てから、ここまであっという間だった気がする。

 その間に、結婚の話、プロ契約といろいろなことがあった。

 これからは東京で、そしてサクラとふたりで、新しい生活を始める。

 なんとなくここからが自分の人生の第2章のような気分だ。


 最後の日は、大勢の仲間に囲まれ、大きな花束と拍手とともに編集部を後にした。引っ越し当日の朝は、店長がそばを差し入れしてくれた。


「引っ越し蕎麦ってやつよ。茹でるだけだから向こうで食いな」

「うん、ありがとう、店長」

「サクラちゃん、九門のこと頼むぜ」

「はい」


 奥さんも見送りに来てくれた。

「元気でね、こっち来たらウチに遊びに来るのよ」


「はい、ありがとうございます」


 さて、と。

 九門とサクラ、荷物を持つ。


 ふたりで深々とお辞儀をし、踵を返し、蕎麦屋から駅へと歩き出す。


 そのとき


「九門!!」


「……?」


 背後から店長の声。


 振り向くと、いつものニヤリ顔の店長。といいつつ、心なしか目には光るものが見えるような。


「迷わず行けよ、行けばわかるさ!!!」

 店長、ちょびっと顎を突き出し、ガッツポーズ。


「はははっ」


 同じように九門も顎を突き出し、両手を挙げた。

「ありがとーーーーー!!!!!」


 九門の目も潤んでいた。


 ふたりは手を振りながら振り返り、再び駅へ。


「大地君……」


「行こうか」


 ガラガラガラガラ…。


 キャリーバッグのタイヤが、一定のリズムでアスファルトを鳴らす。土曜日の天気の良い朝、乾いた空気にタイヤの音はよく響いた。


「東京かあ……」


「大地君、これからもよろしくね」

「うん」


 名古屋駅から1時間と40分ほど、ふたりを乗せた新幹線は東京駅へ。


 ふたりがこれから暮らすのは、郊外の街。都会のど真ん中には住みたくない、と意見が一致し、通勤時間には目を瞑って選んだ街だった(といっても、通勤時間は1時間弱と東京では普通だが)。


 約50平米、2LDKの賃貸マンション。ふたりで住むには十分な広さだろう。これで家賃が約10万円とくれば、申し分ない。自家用車は名古屋の実家に置いてきた。いつか余裕ができたらこっちに持ってこよう。ラッキーなことにこの周辺は駐車場も高くないみたいだし。


 マンションについて40分ほど経ったころ、大きなトラックがやってきた。ふたりの荷物を載せた引っ越し屋が来たのだ。


「おはようございます、よろしくお願いします」


 次々に荷物が運び込まれる。何度か見たことがあるが、やはり手際が良い。これはプロだな、といつも感心する。


 時折こんな風に声をかけられた。


「ご主人、これはどこに置きますか?」


―― ご主人


 そうか、そう見えるよな。

 

 いや違います、とか言うのもアレだし、と特に否定はせず引っ越し作業の時間の間、九門は「ご主人」として対応した。


 九門がご主人と呼ばれるたびに、サクラは少し笑った。サクラが奥様と呼ばれると、九門も少し笑った。



 週明けの月曜日は有給休暇を取得していた。


 この日から3日間、引っ越し作業三昧だ。カーテンを取り付け、食器棚に皿を並べ、タンスに衣類をしまい、ふたりの家を作っていく。そして、役所や銀行などを回り、東京都民になるための手続きを進めていく。


 ひと通りの作業が終わった月曜の夜、


「ああああぁぁぁぁーーーーーーーー」

 九門はソファで大きな伸び。


 キッチンでは、店長からもらった蕎麦をサクラが茹でている(ちなみに期限的には今日がギリギリ)。


「もうちょいじゃけん、ちょっと待っとってよ」

「はいよ」


 ツユは店長からもらっているので、本当に茹でるだけ。いわれた通り、ふたり分にしては大きすぎるように見えるくらいの鍋にたっぷりのお湯で茹でる。


「お待たせ~」

 新しく買ったダイニングテーブルに、ふたり分の蕎麦が運ばれた。4人用のテーブルにふたり向かい合って座る。


 ズズズーーーーーーーー。


 大きな音を立ててすするふたり。こうしたほうが空気が入って美味しいとかいう噂を聞いたことがある。でも店長はそんなこと言ってなかったな。あ、でも店長もいつも大きな音を立ててるから、やっぱりこれでいいや。


 と、その時、九門は思い出した。


「あ……!」


「ん?」


「そうだ、言わなきゃいけないことがあった」

「ん?」


 蕎麦を口にくわえたまま、キョトンとした目で九門を見るサクラ。


 九門は自分のラノベの話を始めた。

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