第28話 結婚の条件を聞いた

 モグモグ。ゴクゴク。


 今回の実家訪問の最大のミッションを終え、寿司とビールを楽しむ九門とサクラの家族。九門の汗は止まっていた。リビングに温かい時間が流れている。


 そして、そろそろ腹が膨れてきた、という頃、


「あ…」

 思い出したように、サクラ父が九門に顔を向けた。


「……?」


「大地くん、ひとつだけお願いがある」

「は、はい」


 サクラ父は箸をおき、ちょっと姿勢を正した。あわせて、九門も姿勢を正した。


 サクラ父は、九門に告げた。

「サクラは家で大地くんを待つ子にしてやってくれんか」


「え……?」

 九門は、言葉の意味がすぐには分からない。


 サクラ父は続けた。

「わしは古風な男でな。男が働いて女が家を守る家庭が好きなんよ。ウチもそうやってきた。大地くんもそうしてやってくれんか」


 「古風な人」の答えが、いま出た。


 そうか、そういうことだったのか。推測の必要もない、サクラ父自ら「ワシは古風な男」と言って、この話をしている。


 横を見ると、サクラは下を向いていた。


 そこにサクラ母が入った。

「お父さん、そんなの押し付けちゃいけんよ。まだふたりとも若いんじゃし、東京なんてお金かかるんじゃから」


「お母ちゃん…」


 しかしサクラ父は構わず、九門に聞いた。 

「大地くん、無理にとは言わんが、考えてくれんか」


 九門、3秒ほどの沈黙のあと、真っ直ぐな目で答える。


「大丈夫です。僕がしっかり働きます」


「まあ…」

 サクラ母、口に手を当てる。


「そうか、ありがとう」

 サクラ父は、今日一番の笑顔を見せた。



 1時間後、

 九門とサクラは、2階にあるサクラの部屋にいた。


「ふぅ~」

 寝巻のジャージに着替え、全ての緊張から解放された九門は大きなため息。自分の家ではないのだが、この8畳の空間がオアシスのように感じる。


「疲れたなあ、ホンマ」

「うん、疲れた」


「大地くん、カッコよかったで」

「ん?」


「ふふふ」


 ベッドの上に荷物を置き、床に布団を2枚並べる。


 ふたり天井を眺めながらの会話が始まった。


「大丈夫なん?」

「ん?」


「アタシも働かんと、お金キツイと思うよ」

「あ~、それか…」

「大地くん、貯金ナンボあるん?」

「あんまりない。100万あるかないか……」

「アタシ、もっとないよ…」


 九門は、大手出版社の正社員なので、いまはある程度の収入を得られているが、それは今年の4月からのこと。日々の生活には特に困っていないものの、蓄えは決して多くはなかった。


「東京の家って、家賃どのくらいなんじゃろ…」

「ちょっと調べた感じだと、ケッコー高いよな、やっぱり」

「引っ越しもお金かかるし」

「そうだな、考えなきゃ」


 九門は、天井を見つめつつ、頭の後ろで両手を組んだ。


 あのときは、大丈夫ですと言ったものの、冷静に考えるとなかなか大変な気がしてきた。でも今さら「スミマセン、やっぱり…」とは言えない。


「はぁ…」

 小さなため息が出た。


 それを聴いたサクラが、九門の方に顔を向けた。

「どうしよう、明日お父ちゃんともう1回話す?」


「いや…、それはいい。考えるよ」

「考えても、お金は増えんよ」


「分かってるよ」


 サクラは話すのをやめた。いまの九門の「分かってるよ」は、ちょっとイラッとしたときの喋り方だった。


 せっかくのオアシスだったが、またソワソワし始めた九門。いまいる場所が名古屋の部屋ならば、ソッコー蕎麦屋だろう。

 

 宝くじでも当たればラクなのに…。


 さっそく都合のいい妄想をしてしまっている。


 そのとき、


「あ!!」

 九門、2分ぶりに声を出す。


「ん?」

「いや、なんでもない、ゴメン」


 九門は思い出した。


 いつぞやの「プロ契約」の話を。

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