第08話 ふたりでニヤけた
「大地くん、今日は書かんの?」
週末の九門の部屋。
今日は、いつもの「カタカタ……」の音がない。代わりにテレビから「シュート」だの「ナイスアシスト」だのという、実況&解説の声が聴こえてくる。
サクラはソファでアイス(ジャイアントコーン)を食べ、九門はテレビでNBAの試合を見ていた。
画面に映っているのは、マイケル・ジョーダン全盛期のシカゴ・ブルズのゲーム。もう何度見たか分からない。ビデオテープ時代ならば、まさに「擦り切れるほど見た」と表現していいレベル。
九門はこの時代のNBAが大好きだった。暇さえあればこれを見ている。おかげでサクラも少し選手名を覚えたほど。
ソファの上でムクッと上体を起こしたサクラ。
「これ、ピッペンが怪我する試合じゃろ」
「よく知ってんな」
「何回も見たモン」
「そうか」
こればかり見ている九門へのイヤミのようにもとれたが、なにか言うと面倒くさそうだったので、九門は黙っていた。
そして九門は、キーボードを叩いていない。毎度おなじみの音が、いまはない。
あの旅行の日から、「雲の筆」の更新頻度は一気に落ちた。3泊4日の間まったく更新しなかった。あの日、それまで毎日更新していたのが途切れた。一度途切れたら、義務感がなくなった。
サクラが、九門の背中に声をかける。
「もうやめたん? ブログ」
九門は振り返った。
「いや、やめたわけじゃないけど」
サクラはアイスの最後のコーンの部分を九門に差し出した。
「ふーん」
九門はそれをボリボリと食べた。
「はひはほ(ありがと)」
「ふふふ」
「はんはよ(なんだよ)」
「リスみたい」
「はんはそひゃ(なんだそりゃ)」
九門は、再びテレビのほうに顔を向けた。
その背中を見ながら、飽きたのだ、とサクラは分かった。
が、ここで「やっぱり飽きると思った」なんてことは言わない。それを言えば九門がムキになってまた始めると思ったからだ。いまは九門が自分の顔を見てくれる。あのカタカタ音ではなく会話がある。もうブログの話題には触れないほうがいい。「もう書かないの?」は、さっきのが最後。
交際開始から1年半が過ぎた。旅行は楽しかった。そして、お互いもうすぐ27歳。九門は今年正社員になっている。となれば、色々考える時かもしれない。
「ふふふ」
思わずサクラはまたちょっとニヤけた。
九門はテレビのほうを向いていたが、サクラのそのニヤケ顔に気づいた。画面がちょうど暗くなっていたせいで、サクラの顔がそこに映りこんでいたのだ。
やけに嬉しそうな笑顔で「ふふ」。ちょっと気持ち悪いな、とも思ったが、つられて九門もニヤけた。妄想している時のニヤけ顔とは違う顔だった。
この日も更新はしなかった。
風は止んだままだった。
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