あした天気になあれ

@sizimi0625

1.ミッドナイト・ロイヤルミルクティー

深夜2時。


嫌な夢で目を覚ました。

夢の内容は覚えていない、でも「嫌な夢を見た」という感覚だけは残っている。背中に滲む汗、少しだけ浅い呼吸、悪寒。きゅっと冷たい手で心臓を掴まれたような、そんな感覚。

どんな夢だったんだろう。自分が死ぬ夢?飛行機が墜落する?それとも自然災害?考えているうちに吐き気までこみ上げてきて思わずトイレに駆け込んだ。嘔吐くけれど胃液は出ない。

「…ユイ?」

隣の部屋で作業をしていたハルが様子を見に来た。バタバタとトイレに駆け込んだ足音に気がついたのだろう。恐らく青い顔で便座の前に座り込んでいるわたしを見てさっとその顔から血の気が引いた。

「え、ちょっと、大丈夫!?吐いちゃった!?」

「ううん……吐いてはない、ごめんね」

摩擦熱で熱くなるくらいの勢いでわたしの背中を摩るハル。熱い、このままじゃヒノアラシになる。でも何故か体が楽になる。胃の不快感が少しづつ収まる。汗が引く。

そうすると、涙が溢れた。ぽたぽたと白い床を濡らす。

今になって思い出した。わたしが見た夢は、ハルを喪う夢だった。

ブルーシートを掛けられたハルの体。血の気のない肌。もう笑うことのない顔に、光を反射しないビー玉になった瞳。わたしはそれを感情のないまま見下ろしていた。夢にしてはあまりにも生々しく、恐ろしい。

「ユイ、大丈夫……?お腹痛い?」

ハルの鈴を転がすような声で我に返る。ここは現実だ。ハルは生きている。

「ううん……ちょっと、ね」

この歳になって悪夢で泣いているなんて恥ずかしくてわざと濁す。

するとハルがわたしを後ろから抱きしめた。とくとくと打つ鼓動、じんわり伝わる体温。シャンプーの甘い香り。紛れもなく、ハルが生きている証だった。

「大丈夫」

そのひと言で、また涙が溢れた。



「こういう時はね、温かくて甘いものを飲むといいんだよ。ママが言ってた」

ダイニングテーブルに座らされ、わたしはハルの話を聞く。ハルは小鍋を手に持って、冷蔵庫から牛乳を取り出した。

「ミルクティーでいい?」

「……うん」

答えるとハルはにっこりと笑う。小さなえくぼが愛らしいと何度思ったか分からない。

「わたしもね、小さいころ夜中に目が覚めることが結構あったの。外の物音をおばけだと思って、すぐ怖い〜ってぴいぴい泣いてた。おかげでママは寝不足だったみたい」

「可愛いね」

「もう、本気で怖かったんだよ!……それでね、ママがこうしてわたしにミルクティーを作ってくれたの。夜だからお砂糖少なめ、代わりにミルクたっぷりのやつ。それを飲むと怖いのがすっと無くなって、朝までぐっすり眠れたんだ」

くつくつと鍋の中で牛乳の沸く音が心地よく響く。木べらを片手に柔らかく微笑むハルの横顔は、いつになく優しくて暖かい。

そういえば、ハルがわたしに「何があったの」と聞いてこないことに気がついた。彼女なりの優しさなのかもしれない。説明を求めることで、嫌なことを再び思い出すことになるかもしれないと考えたのだろう。小さな優しさだけれど、今のわたしにはありがたかった。ハルのこういうところが好きだ。わたしはきっと、ハルの優しさにどうしようもなく惹かれたんだろう。

「はい、ハルちゃん特製ロイヤルミルクティーです」

おそろいのマグカップ、三毛猫の方がわたしの前に差し出される。甘く香ばしい香りの湯気がほわりと漂っている。

「ありがとう」

伝えるとハルはまた柔らかく微笑んで茶トラの猫があしらわれたマグカップに口をつける。わたしもゆっくりと口に運ぶ。ハルの言う通り砂糖の甘さではなく、ミルクのこっくりとした甘さが口に広がる。紅茶の香りも鼻に抜けて、ほのかにはちみつの味もする。……これは美味しい。そこら辺のカフェも顔負けの美味しさだ。それを伝えるとハルは大げさだよ、と照れたように手を顔の前でひらひら揺らした。

「これでユイが安心して眠れるならお易い御用だよ」

ユイの丸い手がわたしの頬に触れる。きゅっと胸が詰まった。幸せで怖い、なんてよく言うけれどまさにこういう感情を指すんだろう。絶対にユイを手離したくない、と強く感じる。

ミルクティーの甘さはいつまでも口の中に残っていた。






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