天井 (2
さあおはよう。
まず君の目に映るのは薄目にぼやけた天井。
起きる時間よりずっと早く目の覚めた君は、また微睡み、僕には見る事の出来ぬ夢の世界に落ちていくんだろう。
毎晩、もう二十数年。君の眠っている時間にずっと考えているんだ。
僕は何者であるか。
生まれてきた頃の君は、身体全身を震わせただ、大きな声で助けて助けてと助けを呼ぶだけのただの真っ赤な生物だった。
1つ、2つ、3つと君らの世界のルールで言うと年を取っていくごとに君が感じる事、感情?短絡的なものから、少しずつ複雑さを兼ね備えていった。
僕に理解できたのは五回、11月と言う文字を見た頃までだったな。
君が初めて事実と異なる事を言ったんだ。
「違う、蝶々がやったの」
寝ている間に、尿意を我慢できなかった君は布団で排泄をしてしまった。
朝になり、おかあさんから
「寝る前にジュースなんか飲むからでしょ」
と、少し怒気をはらんだ声を向けられた時に、咄嗟に口を継いで出た言葉。
なぜ、事実を言わないのだ?
蝶々がこのような量の尿を出すわけが無いだろう。
後に僕は知ることになる。
これが君が嘘を覚えた瞬間だった。
布の擦れる音、どうやら寝返りを打ったようだ。口をムニャムニャと..幸せそうな顔しやがって。
早く起きろ!僕は暇なんだ。
毎晩八時間×二十六年?気が狂いそうになる程、毎夜毎夜考えているさ。
僕は僕が何者であるか分からない。名前と呼ばれるものも、君に出会うまで何をしていたのかも、どこから来たのかも、自分の姿形も、自分の声だって、何も分からない。
君が居なければ僕は、自身の存在すら確認する事が出来なくなる。
明けないのでは無いかと考えるほど時間が永劫に続く。
人は八十年生きると言うのが平均の値らしい。
ならば僕は、あと五十六回1月も2月も3月も4月も、全てを見続けなければならないと言うことになる。
ああ、おかしくなりそうだ.....。
あの時の君と同じように。
十七回目の2月だった。
君は、嘘を付くのがすごく上手くなり、見ている僕ですらそう言った理由があったのかと納得する事が多くなった。
ただ、君は嘘をついた後に一人になるとノートにそれを記す。
横から滑るペンが生み出す言葉を読んでいると、ああまたかと、世界中で僕だけがそれを知る。
しょうもない嘘をつく。
今朝はパンを食べた事にした、食べていないのに。
友達が好きだと言った本を読んだと言った、ネットのレビューをそのままなぞっただけ。
レジで財布を忘れたと言った、ポケットの中にあるのに。
何の意味がある?
君はそれを書くときに、泣き出しそうな顔をする。
やめろ、やめろよ。
その日は、書く前から泣いていた。
呻くような!言葉にならない言葉。
息は上がり、何度もえづいていた。
ノートが破れるのも構わずにめくる、めくる。
ペンを拳で持ち、震えている線。
読めないのだ、文字になり損ねたインク。滲み玉になり、また、震え、ただの醜い線になり。
その日何があったのか、僕には分からなかった。
僕が見たものは、君がいつも通り下校の用意をして鞄を肩にかけたという事。
クラスメイト声が強付いた音に成り果てていたという事。
君が顔を真っ赤にして震えだしたという事。
走りだし、家まで一度も止まらなかったという事。
何度も胃の中のものを吐き出し、それは固形から黄色の液体に変わったという事。
書き終えた後、君は何日もかぞくとも口をきかずただ横たわる肉塊に成ったという事。
それだけ。
人に近づく君をずっと見ていたのに、這い、立ち、言葉を覚え、歩き、転び、笑い、怒り...。
全てを忘れ赤子に戻った君は言葉にならない鳴き声をあげ、時々涙を流し、また眠った。
助けて、助けてと、形にならない言葉を吐き捨てながら。
僕も、ああなる日が来るのかもしれないと思うとそれはとても怖い事のように思う。
あの時の君は壊れた。
僕も、何かのタイミングでああなるかもしれない。
それはとても怖いんだ。
数日経ち君は、ノートを捨てた。
そして、事実と異なることしか言わなくなった。
美味しいと食べた、食事を便器に吐き出す。
楽しいと言った後、電車に乗ると泣き出す。
楽しい人は泣くのかい?僕の目に映る人間たちはそうはしていない。
欲しいと言ったものを、手に入れたことはない。
やりたいと言った、やった試しがあったか?
馬鹿だ、そう。
馬鹿だよ。何をしているんだ。
君はどこに行ってしまったんだ?
ゴミで埋め付けされた部屋に帰ると、安堵したみたいに溜息をつく。
その瞬間まで、君は表情を変えない。
無になるまで。
僕に冗談を言える声があれば、君を撫でてやれる手があれば。
そうすれば君は、何かを目に映してくれる?
布団に横たわり、眠るまで、君は、君は君は、何をしているのか分からない。
ただ、天井を見つめ、そして、いつのまにか寝息をたてる。
あ、目を覚ましたね。
おはよう。イラつくなよ、君が毎朝忌々しそうに黙らせるアラームは君が数年前にかけた日から欠かさず君の眠りを妨げている。
そろそろ、諦めるか捨ててしまえよ。
部屋を出る時まで無の君が、扉を開けた瞬間に口角を歪ませる。
朗らかに、かぞくにおはようと挨拶?をしているのを聞くと僕という空間は痛い?痛み?を感じるんだ。
僕は、君の側から離れられない。
何度も逃げ出そうと試みて、君としか移動ができないという事実を学んだ。
僕が何者であるか?今日も考える。
出来ることならば、叶うことならば、僕が君の友人と呼べるものである事を願わずには居られない。
何も出来ぬ、何も知らぬ、けれど、けど、けれど君の真実。本当になりたいと思う。
パンをかじり、美味しいと言い、吐き出すその前に、もう食べたくないと言う。
声が欲しい。
君が欲しがるものを、手に取る、取る、手が欲しいとも思う。
泣き出すほど嫌ならば、そこに行かずに済む足に。
笑いたくないのならば、そのままでいい。
何者でもない僕は、何に成れてもいいと思う。
君は顔を洗い、頬を一度、両手で思い切り叩く。
鏡に映る君と無いはずの目が合う、合ったような気がした。
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