窓 love is over the cloudy window
34年も生きたら、大人になり、日常生活を送る上では困らない知識が自然と身に着く。
挨拶、簡単な計算、日本語の読み書き、掃除の仕方、料理の作り方、人付き合い、無難な服の着こなし、マナーや教養と呼ばれるもの、後はなんだろう?
当たり前の毎日を過ごす上で、意識せずに周りから浮かない方法を学んでいくのが人生なんだとあなたが繰り返し言っていた事をふと思い出す。
そんなあなたに言わなければならない事があるの、私、浮いています。物理的に。
二階建ての、決して新しいとは言い難い、機嫌を損ねないような言い方をするのならば味のある家。
その二階の南側、日当たり良好な、見る限り良好過ぎるわね、だってカーテンが付いていないもの。それに何ヶ月も掃除をしていないのでしょう。砂やらなんやらが窓に付いて明度の高い曇りガラスみたいになってる。そんな窓の中でぼんやり見えるのは天井だけを見つめるあなた。それを私はをジーっと見つめているの。
変な言い回し、でもそう言うしかないわよね。
ねえ、あなた。私ねこの数年間、あなたのことを思わない日はなかっ...あったかもしれないけどそれでもあなたを想っていたわ。
天国か地獄か、死んでしまった今では私はどちらにいるのか知る事は難しいの。
それでも、あそこは悪く無い場所よ。
大好きな色で辺りは満たされてる。その空間を気の向くままに彷徨う毎日。
不思議なことに想像したモノは全て形になるんだから。
ある日は生前好きだったバラの花で辺りをいっぱいにしてその上に寝そべってみたし。
ある日は、満点の星空を描き、思い付くまま星座を作ってみたり、最高に面白かったのはモナリ座。確かに微笑んでいたのよ。
ただね、1つ欠点があって形になるだけで香りや味はしないの。質感はとっても似てるのに、嫌な仕様よね。味気ないったらありゃしない。
それで、今日すごく久しぶりに鼻先に香りが届いたの。ゆらゆらと揺れる煙と懐かしい匂い。
私が創造した物では無いもの。それが確かにある事がたまらなく嬉しくて、何から湧き出たものか知りたくて走って紫煙を追いかけたらここにたどり着いていたって訳。
あなたが生きる世界はやっぱり暑いわね、そうそう、帰ってきてすごくびっくりしたの。
世界は余りにも音に溢れていたのね。実はね、あちらにはもう1つ無いものがあって、音がないのよ。
どう言う原理でそうなっているか分からないのだけれど、私の声帯はもう仕事をすることを放棄したみたい。
何かが擦れる音もしなくて、ただ静寂が空間にどんと居座っているの。
空気がないのかしら?まあ必要ないって言っちゃえばその通りだものね。
生きている時に気付くべきだったわ、蝉の鳴く声が、車の走る音が、通りすがる人の笑い声が、風のそよぎ木々を揺らす音が、こんなにも美しいものだったなんて気に留めもしなかった。私って本当にバカよね。勿体無いことをしたわ。
あら、笑ってよ。あなたが知らない話をこんなにしてあげてるのに。
もー、聞こえないの!?こんなに喋べ..れてないんだった。まあ、そもそも窓の外から話したところで聞こえもしないんだけどね。
幽霊自虐ネタが決まったところで、本題よ本題。
あんなにナルシストだった貴方が、なんて格好してるのよ。
髪は伸び放題、ああそのTシャツ黄ばんでるじゃない。真っ白のTシャツしか着ないあなたの為にあんなに必死に洗濯物頑張っていたのになんでざまよ。髭だって、嫌ってたじゃない。ボーボーに伸ばして...。
それにさっきから何を見てるの?そこには天井しかないわ!なに、見えない何かがあなたには見えてるの?
だとしたら、私を見てよ!私だって見えない何かよ!
天井なんかより、ずっと面白いんだから!!
何かを言ってるのかしら?口がパクパクと動いているのは分かるけど。
読唇術なんて使えないの、読心術もね。
母音はなんとか....あ.....い....あ.....?
もしかして、私の名前?アリサ...?
もう、情けのない。
わ た し は い な い の !!!!
そこに私の幻影を重ねているのだとしたらお門違いよ!ここなの、ねえ分かる?ここなの!!!
ドンッ
あら、イライラして物に当たって見るものね。窓には触れるみたい。
ドンッドンッ。
結構な音を立てて窓を殴っているのに、あなたはこちらを見もしない。
あなたには音がまだ聞こえるでしょう!!
なにをやっているのよ。
本当に。
ドンッドンッドンッ。
ハラハラと砂埃が舞う。
あら綺麗、埃ですらキラキラしていたのね。
もしかして...思った通り。やったわ。
指で窓をなぞると、そこだけ透明な本来のガラスが現れた。
これを使えば、そんなに多くは無理だけどあなたに言葉が伝えられそうね。
まあ左右逆だけど、そんなこと今はどうだっていいわ。
なるべく大きく、短く、端的に。
お願い、ちゃんと私のいない毎日をあなたらしく生きてよ。
長いわね。
しっかりしなさい。
私だって事が伝わるかどうか怪しいわ。
あなたの事が好きよ。
駄目駄目、私にさらに縛られちゃう。
何をしてるの、仕事は?
答えが聞ける気がしないの、疑問文はモヤモヤしちゃうわ。
かっこ悪いよ。
ただの悪口だしなぁ。
ほら、起きて、朝よ!
...笑ってくれないわよね。
どうしようかしら、たった一言。
あなたに伝わって、尚且つあなたを、私の愛したあなたに戻すような一言。
....あ、あら、ふふ。
あれがいいわ。あなたがいつも茶化してきた私のトレードマーク。
共働きで、時間的にすれ違う事が多かったから、せめてとホワイトボードを冷蔵庫に貼って交換日記みたいに毎日、言葉を交わしたのよね。
そこに必ず書いていたニコちゃんマーク。
絵が下手な私が書くと、なぜか人が書くニコちゃんより笑いすぎてしまうみたいで
今日もえらい笑ってるな、はっはっはー。元気が出るんだよ、これを見ると。
なんて言ってたわね、あなた。
私の願いはたった1つなの、あなたが笑って生きている事。
私に出会う前は私なんか居なくたって生きていたじゃない。真面目に堅実に。誰にも気を使わせない心遣いが出来るあなたが好きだったのよ、私。
優しすぎて、いっぱい損してたみたいだけど、それでもあなたは人に好かれる人だったじゃないの。
なに、私に気を遣わせてんのよ。
私だってね、私だって...悔しいよ。
今だってあなたを起こして頭でも叩いてやりたいわ。
いつまで寝てんのよって怒ったふりしたいよ。
あんまり上手くは無いけど、お味噌汁作って、よそって飲ませたいわ。
ずっと....ずっとあなたの隣で生きていたかった。
1分でも1秒でも長くあなたの手に触れていたかったなぁ。
こんなうっすい窓1つ開けれない私になんで、こんな事させるのよ、ばか。
ほら、これみて笑って元気出しなさいよ。
せっかくいつもよりも上手に描けたのに、窓を叩いたら変な風な跡がついちゃうじゃない。
タタッタタタッタタタタタ タタッタタタタッタッタタ タタッタタタタタタタタッタタッタタッタタタッタタッタタッタタ
これならどう?ほら、あなたが好きって言ってた曲のリズムだよ。
ねえ、気づい...こっち見た。あら、もー。ほら、泣かないで。
大丈夫よ。あなたなら大丈夫。
あ..そんなに急いだら..もう、コケた。痛くないの?大丈夫?
ねえもしかして私が見えてるの!?
ねえ、あなた。
ああ、見えてないのね。ふふ、残念。
泣かないの。不細工な顔が更に見れたものじゃなくなるから。
ずっと見守っては上げれないけど、来年も夏には帰省できる気がするの。きっとお盆だと思うから。
でも来年、また同じ調子だったら二度と帰らないんだからね。
そんなに愛しそうに窓に触れないで。
ああ、窓越しのあなたの体温を感じちゃったらきっと私は動けなくなっちゃう。そうしたいのに、できないよ。
....泣き止むまで待っててあげたいけど、疲れちゃったから私戻るね。
あなた、愛してるわ。またね、また、またね。
瞬間、辺りは濃紺に包まれた。
音も温度も、あの香りだって全てが消え失せ見慣れた景色が私を包む。
あなたを創造しようと試みたけど、そこに広がるのは目を覆いたくなるほどの空間だけだ。
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