まるで動物園みたい、ガラスの檻の中から食べる所を鑑賞されるのね。

ふらっと立ち寄ったお洒落なイタリアンの店。コンクリートは剥き出し、薄暗い照明に、たった一枚だけセンスの良いワインボトルの絵がある。

それ以外の絵や写真、置物に至るまで 無理やりここに居なさいと縛り付けられてるみたい。

若い男の店員はにこやかに、本日のオススメの説明をつっかえながら一生懸命に説明をしている。

「ええ、ありがとう。じゃあそれを頂けますか?」

聞いていなかったので、何が私の胃に入るのか分からない。

テーブルに小指をつけて、優しく置かれた水を一口。喉から胃に抜けて冷たい物が流れるのを感じる。


一体どうしてしまったのだろう。思いつきで動く事は良くあるのだけど、飲食店に入るなんて事はしないのに。

少々、人より捻くれてるのは自覚している。自分で、自分の行動や制御し切れない所も。

だからこそ、今この私に似合わない店で頬杖をつきながら他の客の声を聞いてる理由は分からない。


斜め前の席に座る、若い女の子達が在り来たりな恋の話をしている。

その声に耳を傾けながら、考える。

ああ、そうか さっきまで君と話していたんだ。当たり障りしかない乱暴な皮肉の言い合い。

誰が聞いたって不機嫌で気怠げで、そう、もしかしたら喧嘩にも聞こえるやり取り。

楽しいとは、少し違う。

この感情に名前を付けるとしたら、何がいいかしら。色ならすぐに浮かぶのに。

春先の浮き足立った人々が見上げるのを忘れる、雲の少ない白いような薄いブルー。

右側の子が呑んでいるカクテルなんてちょっと似てるわ。

左側の彼女は、日頃の彼女を知らない私にでも分かるくらいとろっとろにとろけた笑顔で 私までふふっと笑ってしまった。

お幸せにね、貴女はきっと明日もその彼の心を温める事が出来るよ。


その隣の席のご婦人二人組の会話にピントを合わせる。

眉が歪んで、小さな声で 悪口かしら?時々、耳あたりの悪い笑い声が漏れている。

嫌ね、ああはなりたくないわ...でも彼女達にもきっと日常があるのよね。

例えば、反抗期の息子にご飯を食べるか聞いても返事が返ってこないなんていう日常。

私にだって日常はあるもの。会社で嫌なお小言を聞かされて、王様みたいに踏ん反り返るお客様の笑顔をどうにか引き出そうとする。

帰りに必ずコンビニに寄り、夕飯と煙草と酎ハイを買う、そんな下らない日常が。

「あんな人死んじゃえばいいのよ」

あら、それだけはしっかり拾うのね私の耳は。

私に向けられた言葉のようにしっかりと届くのね。ご安心して下さい、いつかキチンとその時に死にますから。あんな人の代わりに心の中で答える。それと同時に、無性に..無性に?

錆びた鉄の、黒の混じった赤?目に痛いほど主張する蛍光色のピンク..ああ、分かったわ。血液の色!そうね、そんな感じ。私を憂鬱にさせるあの色だわ。

今この瞬間、ご婦人達が私のこの不快な気持ちと引き換えに眉間の皺を1つでも増やさない努力をしてくれたらいいのに。

そうやって美しさは埋もれていくのになんて勿体無いのだろう。


隣の六人がけのテーブルに、顔を真っ赤にしたサラリーマンと、対照的に涼しい顔をした若い事務員さん?が案内されて、座った。

上司と部下かしら、女の子達は仕切りに汗を拭く男に貼り付けたような笑顔でおべっかを使っている。

ああ、こっちも嫌ね。

声が笑ってる。オクターブ高めの音を口から吐き出しメニューをああだこうだ説明している男の声。

噛み合ってないのに気づいていないのね。彼女達は少しだけ上の空でタイミングの合わない相槌を打っているのに。

まるで指揮者の居ない演奏みたい。それぞれが勝手に好き勝手にそれぞれそこで自分が弾くべき譜面をなぞってるの。

あら、この曲知ってる。気持ちの悪いズレを聞くよりずっと心地がいいわ。

BGMはずっと流れていたのね。

懐かしいな、あの人があまり好きではないと言ってから一度も聞いていなかったjazzのスタンダードナンバー。

そんな物を聞くのはもう人生を下りかけてる老人だけだよ。なんて最もらしく言っていたな。

私はこれが好きなのって言えなかった若い頃の私。否定するより、合わせる方がずっと楽だもの。

あの時、煩いわね私は好きなの文句ある?って言ってやれば良かったわ。

あらいつの間にかこんな事を伝えたい人になったのね。気がつかなかったわ。

ぶつかる事を厭わない言葉が浮かぶようになったのね。

差し当たってはテレパシーでも使ってあの人に届けよう。

私はこういうのが好きなの、文句ある?

私は、貴方が思うような人間じゃないの だから隣も歩けなかった、仕方ないでしょう?

レモンみたいに酸っぱく苦い黄色のこの言葉が届いたらメールでも寄越してきて謝ってくれるでしょう。

彼女達は無遠慮に一番高いメニューを頼む事を決めたみたい。

ええ、そうね。お互い強く生きましょう。


囁くみたいに、頼むパスタの量が自分に適切か相談しているご年配のご夫婦。

右隣から時折、聞こえる幸福そうなクスクスとした笑い声。

奥様が両方食べたいと言えば、ご主人は じゃあ僕は君が頼まない方を頼むよ。

それじゃああなたが食べたい物が食べれないじゃないと言うと、君が美味しいものは僕も美味しいから大丈夫。

こちらが幸福に包まれるみたいな優しい時間。薄いピンク、桜の色かな。世界で一番美しいと今は思うこの時間を勝手に共有している事が誇らしい。

それと同時に襲ってきた後悔。

こんな事なら本気でメニューを熟考すれば良かった。若い男の子の話もちゃんと聞けば良かった。

そうね、ガーリックのしっかり聞いたペペロンチーノが食べたいわ。

パンもつけようかしら、サラダと甘いミルクティーなんて最高!

ああ、そうか。なんでお店に入ったのかやっと分かったわ。

お腹が空いていたのね。ふてぶてしく文句だけ言いながら自分の感覚すら感じられなかったのね。

食べることに嫌悪すら抱く事があるの。

身体はこんなに真っ直ぐに向かってくれていたのに、私は聞きも、見もしなかったのね。

ごめんなさいね、私。

もう少しだけ貴女の声を聞いてみるわ。

今の気持ちは色なんかじゃ当てはめれない、きっとね少しだけ泣きたい様なそんな感じ。

切ない?違う苦しい?違う、そうね..ええっと..

暖かい!そうだ、暖かい。

真冬のよく晴れた日、溶ける雪と流れる水。耳を済まさなければ聞こえない小さく、それでも確かに状態が変わる音と一緒に感じる暖かさ。

いいのね、食べて。

身体が欲しているのだもの、それを与えない訳にはいかないじゃない。

大盛りでも頼めば良かったかしら?

不意に、君にこの楽しい感覚を伝えたくなった。

上手く話せもしないのに、それでも君なら聞いてくれるでしょう。

面倒臭そうに、興味もなさそうに。

ふふっと声が漏れる。なんて嫌な日!


「お待たせ致しました」


目の前に運ばれて来たのは、濃厚そうなクリームスパで、その事があまりに愉快で若い男の店員さんに ありがとうございますと、いつもより熱の入った御礼を言ってしまった。

この事だけは、君には言わないことしよう。

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