「ねじくれ屋敷」

There was a crooked man,

ねじくれ男がありまして

And he walked a crooked mile,

ねじくれ道を歩いてた

He found a crooked sixpence

ねじくれ硬貨を手に入れた

Against a crooked stile;

ねじくれ段差のその上で

He bought a crooked cat,

ねじくれ鼠を捕まえた

Which caught a crooked mouse,

ねじくれ猫を買いまして

And they all lived together

みんな揃ってねじくれて

ねじくれ屋敷に住んだとさ

In a little crooked house.


 これは「マザーグース」の古い唄だけれど、僕の叔父さんは、全くこの「ねじくれ男」みたいな人なんだ。

 ちょっとばかり背中が曲がっていて、それで人目を嫌って古い屋敷に一人暮らし。その上本当に猫を飼っているのだから、まるで叔父さんをモデルにあの唄が出来たんじゃないかってほどだ。まあ、さすがに財産は小銭ぽっちではないけれど。それどころか、小金をコツコツ貯めているんだから。


「ハーバードか。よう来てくれた。」

「叔父さんはお変わりありませんね。」


 人嫌いとはいえ、老人の一人暮らし。膝に猫を抱いているだけでは寂しくなったのだろう。同じく一人暮らしの僕を呼び寄せたというわけだ。こちらとしては大助かりさ。何たって生活費は叔父さん持ち。独り身でのらくらしている僕は、鞄ひとつで転がり込んだというわけ。

「…きゃあああぁぁぁ…」

「叔父さん、今の悲鳴は?」

 僕が玄関に入るなり響いた、鋭い音。か弱い女性の叫び声かと思ったが、叔父さんは素知らぬ顔をしている。

「気にしなさんな。古い家なんでね、軋むんだから。」

歩きながら叔父さんは、家と同じように軋む低い声で答えた。

 床を踏むたび、ドアを開けるたびに、甲高い音を立てて家鳴りがする。木造で、すでに築40年経つのだから無理もないが、それ以上に建築の基礎が問題なのだ。何せ「叔父さん好み」に改築してあるのだから。

 若い頃、中古でこの屋敷を購入した叔父さんは、気まぐれにも手入れを重ねて、部屋をあちこち造り変えた。蟻が地面を掘るように、蜘蛛が巣を張るように。10年以上かけて叔父さんの納得いくデザインが出来上がったが、素人建築で必要な基礎までいじってしまった。

 それがこの「ヴァンフィールド荘」―叔父さんの「ねじくれ屋敷」だ。


 もっとも、叔父さんだってずっと独りきりで居たわけじゃない。かつての同居人の痕跡は、日焼けした壁に残っている。色あせたダマスク模様をきっちりと仕切る長方形の跡。奥さんの肖像画が掛かっていた跡だ。この家唯一の花だったひと。

葬儀があったのは、僕がティーンエイジャーの頃だった。


「わしの時代では、妻を娶るのは男の作法みたいなものだったからな。」と、叔父さん。皺の寄った両手で茶碗を包み込みながら、背中を丸めて話すところは、巨大な老猫を思わせる。

「例外はなしだ。たとえ背中が曲がっていようとな。」

「あれはいい女房だった。」

嗄れたため息をつくと同時に、膝の上の灰色猫がひらりと床に飛び降りた。

「ダスキー。」

ダスキーはそのまま、とことことどこかへ行ってしまった。

「わしが女房の話をしたからだ。」叔父さんは呟く。階上にある奥さんの部屋に行ったのだそうだ。

「賢い猫だよ。」


 夜も更けて、僕たちが寝ようとしたときだった。壁の奥や天井あたりで、カタカタ、コツコツ、騒がしいのだ。

「あれはダスキーが働いとるんだ。」

屋敷の鼠をダスキーが獲ってくれている。なるほど、確かに目の前に鼠が出てこないわけだ。この家は見えない部分がもう隙間だらけで、鼠などわんさか入ってくるだろうに。まあ、正直夜眠る人間としては、もう少し音を控えてほしいものだが…。

ぎいぎいと軋む壁や、小さな足音のような音の中で、僕らは眠った。


「ハーバート、数日の間だ。留守番を頼まれてくれ。」

甲高い家鳴りの中で眠るのにも慣れたころ、僕は叔父さんにこう頼まれた。ちょっとした用事が出来たとかで、少し離れた都市に行く必要があるらしい。しばらくはダスキーと2人っきりだ。


「ダスキー、お前いつも何しているんだ?」

 主人の椅子の上で灰褐色の尻尾をふさふさと揺らしながら、ダスキーは金色の目をこちらへ向けた。ようやく僕にも慣れてきたとはいえ、膝に乗ることはおろか用無しには近づきさえしない。一声鳴くと、いつものように飛び降りて階段を上がって行ってしまった。大事な見回りの時間だ、新入りの若造には構っていられない、とでも言いたげに。

 間もなくしていつも通り、見えないところでカタカタと音がし始めた。また鼠を取っているんだろうか。

「…きゃあああぁぁぁ…」

その午後は何度か家鳴りや物音が微かに続いていた。


 今日もダスキーじいさんと一緒だ。ダスキーは朝方さっさと階上に上がってしまったか、それともどこかの物陰に潜ってしまったか、姿が見えない。

「…きゃあああぁぁぁ…」

また、家鳴りだ。まあ、どこかでダスキーが「働いて」いるんだろう。


 僕がそろそろ昼食かな、と思う頃だった。シンプルにベーコンを焼いていると、背後に気配がした。足音なく忍び寄る…ダスキーだ。じゅうじゅう焼ける肉の匂いに釣られて、仕事を中断してきたんだろう。あいにくベーコンは塩気がきついのであげられないけれど、何かあったかな?冷蔵庫に顔を突っ込む。

「…きゃあああぁぁぁ…」

今日は家鳴りが多いな。それと、カタコトいう物音も。

 …ちょっと待て。

 ダスキーは足元にいるよな?

 冷蔵庫から頭を出し、後ろを振り向く。灰褐色の尻尾がゆらゆら動くのが目の端に映る。

 どういうことだ?ダスキーはここにいるのに、どうして音がするんだ。鼠だけでこんなに音が?

 ただの家鳴りや鼠なら、壁の中とか、床下とか、あちこちで音がしてもいいものだが…音はいつまでたっても直上から離れない。

 と、せっかくのベーコンが真っ黒焦げになってしまった。焦げ臭い。「腹が減っては戦はできぬ」という。とりあえず食べてから考えるか。覗いた冷蔵庫の中には、ダスキーにあげられそうなものはなかった。この間ハムのブロックを買ったばかりの気がするけれど、いつのまに減ったんだ?

「悪いけどお前にあげられそうな肉はなかったよ。」

 ダスキーに弁解すると、尻尾を揺らしながら見つめ返してきた。そして、無言でまた階上に去っていく。ダスキーは、何を知っているんだ?

 ベーコンは真っ黒焦げになってしまったし…ダスキーの後を追っていってみよう。


 2階は僕や叔父さんの寝ている寝室がある。その上にさらに階段が続いているが、僕はまだ行ったことがない。というより、「行く必要がない」と叔父さんに言われているのだ。

『上の部屋は、女房の部屋をそのまま残してある。…そろそろけじめをつけなくてはならないとは思うがね。』

長年、人が絶えて踏み入らなかったらしい。階段からすでに、随分ほこりっぽくなっていた。廊下にダスキーの通る道だけが、うっすらと線状の跡になって続いている。

「ダスキー?」

 出来ることなら、ダスキーが鼠を追いかけ回しているところを確かめたかった。上の階でただ鼠取りをしているだけだと…。でも、それは出来ない相談だった。小さな動物どころか、ダスキーさえ見当たらなかった。部屋の扉はたくさんあるが、どれもぴったりと閉まっている。ということは、ダスキーが入ったわけではないということだ。

 話は変わるけれど、子供の頃読んだ本のことを思い出したんだ。僕はこれでもけっこう本好きで、小さな頃は両親にクリスマスプレゼントとしてねだったものだ。例えば、「後ろから得体の知れない足音が聞こえてくる」だとか、「暗闇から真っ白な手が滑り出てくる」とか…。

 あれは全部お話だった。現実であるはずがなかった。そう、あり得ないはずだった。それなのに僕の脳裏には、今鮮明に浮かんでくる。もしかして後ろから、長い髪を垂らし、やせ細った骸骨のような女が、忍び寄ってくる…。

 ……!!


 ふいに足元に触った、柔らかな感触に僕は飛び上がった。見ると足首を掴まれて…

…なんてことはなく、

「ダスキー。君か…。」

彼のふわふわした灰色のしっぽが、僕の足を撫でていた。どっと力が抜ける。珍しくすり寄ってきたダスキーを連れて、もう下へ戻ろうとしたその時だった。

「…ダスキー、今お前どっちから来たんだ?」

 そうだ。僕が見ていた方向のドアは、全部閉まっていた。つまり、ダスキーは前や横からではなく…

 後ろから来た、ということだ…。

 胸がどきどきと脈打ち、口が渇く。お腹に冷たいものを感じながら、ゆっくりと振り返った。

 振り向いた視線の先、肩越しに、斜め後ろの部屋が見える。部屋が見える…。そう、部屋の中が見えるのだ。ごくわずかにドアが開いて、隙間ができている。当たり前だ、ドアが開いていなければダスキーが入ることが出来ない。

 でも、

 この、誰もいない階で、

 一体だれが?

 ドアを開けたのは誰なんだ?

 恐ろしいのに目を離すことが出来ず、冷や汗が額を伝うのを感じながらドアの隙間を見つめ続けた。

 ダスキーは…、

 どうしてダスキーは、あの部屋に入ったんだ?

 そう、そもそも入ることがなければ、出ることもないはずだ。鼠がいないのなら、なぜ?

 先ほどの「だれが」は分からなくとも、「なぜ」の方は分かりそうだ。それは、

「ダスキー、ちょっとおいで。」

ダスキーに聞けばいい。なんせ、「賢い猫」なのだから。僕はかがんで、ダスキーの顔を観察した。口の端に、下にいるときにはなかったものがくっついている。これは…

−ハムだ。

 ハムの切れ端が、ヒゲの根元に。

 僕の知る限り、この家でハムを手に入れられるのは、僕じゃなければ、もう一人しかいない−叔父さんだ。

 これまでのことをつなげるに、「叔父さんがあの部屋にハムを置いた」ことになる。そして、これはダスキーに食べさせるためのものではなかったことも分かる。もしダスキーに与えたいなら、下のキッチンで一切れ切り分けてやりさえすればいいからだ。つまりは、わざわざ上に上がってきて、あの部屋に置く必要があったということだ。

 叔父さんは何かを知っている。本当はダスキーがこの階に上がっていくのは鼠取りのためではなく、ハムや他のおこぼれに預かるためだということ。そして、そのことを知っていながら、それを僕には隠して「鼠だ」と言っていること。少し開いたドアの先には、ハムを食べる何者かが息づいているということ。

 

今にも、あのドアが全開になって、得体のしれない化け物が現れるのではないか。そいつはハムだけでは飽き足らず、ダスキーを、そして僕を貪り食うつもりなんじゃないか。

 ドアの隙間に僕の目は釘付けになった。


 しかし、期待に反して、というべきかどうか、何もなかった。何も、そう、僕の子供の頃愛読した怪談のようなことは何も。ダスキーが先に階段の方へ歩むのをみてやっと、僕の足も動き出した。

 階段を下りながら、僕の網膜に焼きついた「ドアの隙間」を思い返した。真っ暗な部屋の中よりも、その位置のことだ。僕は建築の専門家ではないけれど、想像した間取りが正しければ…正しければ、1階のキッチンの真上が僕らの寝室で、そして、そのさらに真上は…。


「…きゃあああぁぁぁ…」


ふいに、毎夜聞いてきた家鳴りの音が耳に蘇る。その音の出所を、もう考えたくなかった。

 もう、考えるのはやめよう。

 音のことも、ダスキーが鼠でなく何を食べていたのかも、何もかも。


 翌日、帰ってきたおじさんは、とある「手土産」を持って帰ってきた。それはそれは大きな油絵の額縁が、玄関に飾られた。取ってつけたような新品の油絵は、色あせたダマスク模様に浮かび上がる奥さんの肖像画の痕跡を、すっかりと覆い尽くして見えなくしてしまった。

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