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遊馬。久しぶりだね。
私ね、今千葉にいるの。
今度、東京に戻ろうと思う。
遊馬は今、どこに住んでるの?
そろそろ誕生日だよね。
ちゃんと、迎えに行くよ。
わずか六行の、短い内容だった。
僕は瞬間、自分の指が動かなくなっていることを理解して、怖くなった。
待ち望んでいたメール。
待ち望んでいた約束。
舞香さんに会える。
会える――のに。
何を恐れているのかわからない。
装飾もない。普通の文面なのに、ただ、ひたすらに、僕は、怖くなった。
たぶん、舞香さんの代わりではなく、純粋に、舞香さんのいたところに、今は薫さんがいるからだ。
自分の中の保たれ始めた均衡が、舞香さんに会うことで崩れてしまうことへの、恐怖。それが、はっきりと身中を満たしていく感覚が、確かに、あった。
薫さんにその話をできないまま、でも結局今の住所を教えてしまったあとで、誕生日が来た。
彼女の最寄り駅まで迎えに行って、一緒にスーパーに行った。チキンラーメンのアレンジレシピを振舞ってあげよう、と笑う彼女を、あまりまっすぐに見れなかった。
大きなビニール二袋をわきに携え、お手洗いに行った薫さんをベンチに座って待っているとき、電話が鳴った。
舞香さん。
取ることはできなかった。
留守電が残っているのだけがわかったけれど、たぶん、聞くことはない。
お手洗いから戻った薫さんに、
「今日は外で食べよう。それからうちに泊まって、明日、料理を食べさせて」
彼女は深く聞かないまま、それに従ってくれた。
家に帰りついたとき、違和感があった。
鍵を差したのに、空転する。
後ろで薫さんがこちらを見ているのがわかった。
僕はそのまま、扉を開ける。
薄闇の中。
ぶら下がった彼女を見て、
——ああ、僕の想像通りだ。
と思った。
世界がひっくり返っても。
地に根を張ってしまった。
舞香さん。
「——舞香さん!」
落としたビニール袋から、チキンラーメンの包装が落ちる。玉ねぎが転がる。
声が聞こえる。僕のか? わからない。
遠くで、なにかが、はじけるような錯覚。
ノクターンが。
薫さん。
ああ。
「——駄目!」
と声が聞こえた時に、自分の声が出ないことに気付いた。
「え?」
と聞き返したかったのに、コーラの炭酸があふれるように、泡が口から洩れていくのがわかる。
赤い赤い泡。
駄目。
駄目だったのは、いつから?
初めから、僕は呪われた子どもだったんだよ、薫さん。
そういう、素質があった。
だから、そんな、悲しそうな顔をしないで——。
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