13話 底の姫

 桜を助けに用心深く坂を下るユウと少年。

 少年が言うには水の中に引き込まれた桜の行き先に続いているという。

「まだつかんのか?」

 しびれを切らしてユウが聞いた。

「もうちょっと先……」

 少年は聞こえるか聞こえないかの声でそう言った。

「そもそもお前、何でこんな道、知っとるんや?」

「ずっと居るから……」

 相変わらず声は小さい。

「どこに続いとる?」

「危ないとこ」

「何がおる」

「お姫さんや。きれいなお姫さん」

 予想外の答えにユウが眉をひそめる。

 そもそもここは蓮足の身体の中のはずだ。なのに周囲は洞窟にしか思えないし、おまけに姫様がいるのだという。

「なんで、そのお姫さんが危ないのや? お姫さんなら大人しく座っとるくらいやろ?」

「姫さんは怖いよ。それに、まわりには怖い奴らがいるし……」

「怖い奴って?」

「すぐわかるわ。ほら、あそこ」

 ようやく目的の場所についたらしく、少年が先を指差した。

 その方向には大きな屋敷があった。


  *  *  *  *


 蓮足が湖の中に消えた後、湖畔に泳ぎ着いた白蛇や玉兎たちが途方に暮れていた。

「どうするんじゃ、白蛇。桜が呑まれてしまったぞ」

 興奮気味で玉兎が言う。

「落ち着け、玉兎。方法はある」

 白蛇はそう言って鎌首をもたげて玉兎を見下ろした。

 玉兎の横ではびしょ濡れになりながらも水城が心配そうに白蛇を見上げる。

「桜……あのタコみたいなのが蓮足に食べられちゃったのかな?」

 その水城の頭をぽん、と手を置く玉兎。

「心配するな、人の子。わしがすぐに助け出してやる」

「ありがとう、玉兎さま」

「……とはいえ、どうやって助ければよい。なあ、白蛇よ」

「やれやれ、やはり我が頼みか」

「わしはお前ほど頭が回らん」

「まあ、手がないこともない」

 そう言ってちらりと水城の足元にいる窮鼠を覗き込む。

「だ、だんな。なんでそんな目で見るんですか? 腹でも空いたんですかい?」

「お前を食おうというわけではない。少し頼みたいことがある。ひとっ走り行って土地神さんの新しい湖にいた”あやかし”どもをかき集めてくれんか?」

「呼んでくるってことですかい? それくらいでしたら……でも、あの連中、言うことなんか聞くんですかね?」

「聞かねば、我が喰ってやると言っておけ」

「おっかねえ」

「ならすぐに行け。でないと役目は玉兎に頼んで、まずはお前から喰ってしまうぞ」

「へ、へい!」

 窮鼠は、ものすごい勢いで草むらをかき分け山へ向かった。


「何をする気だ? 白蛇」

「蓮足の愚かもんは、倒せんが桜くらいは助けてやろうと思ってな」

 白蛇は、そう言うと湖に向かって這い出した。水辺までたどり着くと湖の水を飲み込み始める。

「何をしてるんですかね?」

 水城が玉兎に訊ねた。

「この水はもともと、土地神さんの湖の水。貴重な霊力がたっぷり収まっておる。それを飲めば妖力の蓄えられる。ほれ、見てみろ。白蛇の身体がもっと大きくなったぞ」

 確かに玉兎の言う通りだった。水を飲めば飲むほど白蛇の身体が大きくなっていく。

「これくらいかのう」

 胴体が百メートルは越えたくらいになった時、白蛇は水を飲むのをやめた。

「身体を慣らすのに少し休ましてもらうわ」

 そう言って白蛇は巨大な頭を水辺に寝かせた。


「ねえ……白蛇さま」

 水城が自分の身長を越えてしまった白蛇の頭に近寄って訊ねた。

「桜が祟られてるってどういうことなんですか?」

「ああ……そのことか」

 白蛇は、気だるそう言った。

「我が桜に憑いたのは、人の年月で5年前のことだ」

「異界に迷い込んだ日ってことですよね?」

「桜が逃げる時に踏みつけた足に絡みたのが我だ。ところがその時にもう桜には"何か"が桜に憑いておった」

「"何か"?」

「それを我が噛みちぎって桜から引き剥がしたのだ。ふたつの"妖"を抱えるほど氣は張ってなかったし、その"妖"が桜にとって良いものとは思えんかったのでな。それで我が噛みちぎって追い払った。そしたらそいつ、怒りまくって追いかけてきおった」

「そりゃ、住んでいた場所から急に追い出されればそうなりますよね……」

「桜の左腕に噛みつき、元に戻ろうとしたが我がそうさせなかった。その隙きに桜は人の世界に戻れたというわけだ。その"妖"は、こっちに残って"あれ"になった」

 そう言って白蛇は頭を湖に向けた。

「その"妖"って蓮足? じゃあ、あいつが桜を祟っているの? 追い出されたのを恨みに思って?」

「追い出される前から蓮足は憑いていた。人の世界にいた時から憑いたということだろうさ。何処で憑いたかは知らんがな」

「でも、妖怪ってこっちの世界の生き物でしょ?」

「そんなことはないわ。確かにこっちで生まれる"妖"もおるが、大概の"妖"はお前らの世界で生まれるもんじゃ。それこそ"念"にまみれてな。ほれ、あのユウとかいう小僧のまとっていた付喪神は人の使っていった武具が時を経て生まれた"妖"だぞ」

「言われてみれば……そうだけど」

「妖怪の生まれるきっかけは、人の"念"が元ということよ。無念、執念、残念、雑念……"念"は様々だ。恐らくだが、蓮足という祟をもたらしたのは桜の……」


  *  *  *  *


 桜が目を開けると天井が見えた。

 ぼんやりと記憶をたどってみると確か自分は、小さな池のような場所を覗き込んだ時、何かに引きずり込まれたはず……。

 身体を起こして周囲を見渡すと畳のある部屋のだった。

 そばには古めかしい灯籠の明かりが床や壁に影を照らし出している。

 その影の中に潜んでいる何かが時折、瞬きをする。

 その目は床に寝かされた桜を見つめていた。

「気がついたか?」

 声の方を向くといつの間にか十二単衣のような着物を着た少女が座っていた。

「あなたが助けてくれたの?」

「少し違う。我が下の者に命じてそなたを連れてこさせた」

 少女がちらりと見やると目のある黒い影が背後に下がっていった。

「少しお前に興味があったのでな」

「誰?」

「ここに住まうておる者じゃ。そなたこそ誰なのじゃ?」

 振り向いたその顔は、桜と同じ顔だった。

「なぜ、お前は我と同じ顔をしている。いったい何者か?」

「そういうあなたは?」

「私は"蓮足の姫"」

「蓮足の?」

「もう長い間、ここに住まうておる」

 灯籠の明かり作り出した姫の影が何故か揺らめき始めた。それは人の形から触手だらけの怪物の影に変わっていた。

 驚く桜だったが、姫は何も起きていないかのように振る舞っている。

「わ、私は桜といいます」

「桜……? はて?」

 蓮足の姫は小首をかしげた。

「聞き覚えがある。何故かのう……聞き覚えがあるが」

 桜と同じ顔を持つ"蓮足の姫"は、ぐっと顔を近づけた。その瞳には光はなく暗い。

「いや、確かに聞き覚えがあるぞ」

 さらに顔を近づける尋常ではない行動に桜は恐怖を感じる。

 顔は自分と同じなのにこの醜悪な感じは何なのだ?

 恐ろしさと同時に懐かしさを感じる。

 そう私はこの人を知っている……。


  *  *  *  *


 湖は不気味な程、静かだった。

 水面は穏やかだったが淀んでいて下は見えない。

 時折、巨大なタコの触手のようなものが影がうごめいているのが見えた。

「我こそは門を守護する月の玉兎なり! いざ、尋常に勝負しろ!」

 玉兎は槌を振り回しながら湖畔から湖に向かって名乗りを上げていた。だが湖の主である蓮足からの返事はない。

「で、桜を呪って"蓮足"を憑けたのは誰なんだ? 身内か? 友か?」

 湖の水辺から戻ってきた玉兎が訊ねた。どうやら白蛇と水城の話を聞いていたようだ。

 水城も白蛇の答えを待つ。

 白蛇はといえば観念したとばかりに話し始めた。

「恐らく……桜を祟ったのは、桜自身だろうよ」

「はあ?」

 白蛇の答えに水城が小首をかしげる。

「自分で自分を呪うの? そんなこと……」

「いやいや、人の子よ。呪いは、他人や神からもらうだけではない。気がついていないと思うが自ら自身を呪うことは当たり前に多いことだなのだぞ」

 後悔とか自責とか……いうことなのかしら?

 水城は自分なりの解釈を思い浮かべた。

「でも、なんで桜は自分を……?」

「それは桜本人にしかわからん。もっとも目を開けている間は気がついていないのだろうがな」


  *  *  *  *



 それはいつもの夏……

「桜ねえちゃん」

 まとわりついてくる小さな近所の子供。

 私はやりたいことがあるのにこの子は気にしない。

 親の手前面倒見ているけど本当はいっしょにいたくない。

 ああ、どこかに消えてしまえばいいのに

 いなくなってしまえばいい

 そしたら夏休みはもっと自由にすごせるのに……



「ああ、思い出した。そういうことか」

 蓮足の姫は思い出す。

 笑っているはずの、その顔は次第に歪んでいった。

「そうだった……あの時だ。あの時。私は生まれた」

 急変していく姫に桜は次第に恐怖を感じ始めていた。

「そうだ。おまえは母であり姉なのだ」

「何を一体……?」

 姫の手が桜の顔に触れた。

 その手は冷たくとても人の手とは思えない。

何故、なにゆえ私を捨てたのか?」

「別に捨てたわけじゃないわ。だいたい、初めて会ったのに」

「違う!」

 姫は声を荒げた。

「ならば、何故、なにゆえ私はここにおる。それはお前のせいではないのか? 何故、私はこんな薄暗く冷たい地におる。何故、私は苦しい。何故、悲しいのだ」

 姫の手が桜の顔を引き寄せた。その形相は、怒りと悲しみが入り混じっていた。


「お前が、私を切り捨てた。見捨てたのだ!」

 その時、姫の腕が一刀両断された。

 何が起こったかわからず呆然とする桜。

 それは姫も同じだった。

 桜は腕を引き寄せられ、姫から引き離された。

 目の前には刀を構えたユウがいた。

「大丈夫か? 桜ねえちゃん」

 ユウは桜を自分の後ろへ下がらせると刀を姫に突きつける。

「お前が蓮足か!」

 姫は、切られた腕を庇いながら下がっていく。

「赤武者だな。聞いておるぞ。土地神の下っ端だな」

「し、下っ端?」

「その女を渡せ!」

「渡すか! ねえちゃんは大事な人だ!」

「ユウ……」

「と、とにかく、ねえちゃん、早く逃げよう!」

「うん」

 ユウは桜の手をにぎると洞窟の奥に向かって走り出した。

 その横を子供がついてくる。

「ああ、ねえちゃん、こいつが連れて来てくれたんや」

 桜は子供の姿を見てハッとした。

「ユウ?」

 それは5年前のユウの姿だった。

 子供のユウは二人を追い抜いて先に行く。

「おのれ! 逃さぬぞ!」

 姫が手を挙げると影から鬼たちが姿を現した。その数は次々と増え、大群となって桜たちを追いかけてくる。

「ねえちゃん、先に行ってろ!」

「でも……ユウくんは?」

「こいつら止める! 行くぞ! 赤彗丸!」

「応っ!」

 赤い兜に面がかぶさった。動きは赤彗丸の力なのか、熟練した武術が身につい動きだった。追いついてきた鬼を居合の一太刀で切り倒していく。

「ほら! 早く行け!」

「でも……」

 桜の手を子供のユウがひっぱる。

 その手とユウの言葉に促されて桜は再び坂を登り始めた。

「先には行かせねえ! 通して欲しけりゃ、僕を倒してからにしろ!」

 赤彗丸に身を包んだユウは刀を構えた。

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