12話 蓮足の腹の中

 罪は人の心を多い包み

 穢れは人の気を枯らしてゆく

 これを称して罪穢れという

 罪穢れは根の国に流れ着く

 根の国ねのくにすなち黄泉比良坂よもつひらさかなり




 桜が気がつくと暗い洞窟の中にいた。

 生暖かい風が肌に当たる気を失う前のことを思い出した。

 たしか蓮足に飲み込まれたはずだ。


「気がついたか?」

 ユウが心配そうに覗き込んでいる

「ここは?」

「どうやら蓮足の腹の中らしいわ」

 岩場に寝かされていた桜が身体を起こして周囲を見渡す。

 薄暗いがなんとか様子はわかる。

「洞窟みたいね」

「そうなんやけと、呑み込まれたのは覚えとるし、やっぱ、蓮足の腹の中や」

 そう言うとユウは周囲を注意深く見渡した。

 桜たちを照らすわずかな光は、岩にこびりつく苔のようものから発せられていた。光は微弱だったが足元もユウの姿もかろうじて見ることができた。

「ちょっと待って! ユウ君、なんでここにいるの?」

「なんでって、そりゃ、桜ねえちゃんを追っかけたからに決まっててるやろ。おかげで俺も呑まれてしもうたけどな」

「もう無茶しないで!」

「え? 俺、土地神さんの護衛やっとるんやで? これくらいのこと」

「お願いだから……」

 いつの間にか桜は泣いていた。その泣き顔にユウは動揺する。

「わ、わかった。わかったから、もう泣かんでくれるか? 桜ねえちゃん」

 泣きながらうつむく桜の顔を覗き込むユウ。

「なっ?」

桜はようやく自分が泣いていることに気がついた。

急に恥ずかしさが込み上げ慌てて顔を隠す。

「飲みな」

 ユウが竹の筒でこさえられた水筒を差し出した。

「ユウが飲みなよ」

「気にせんでええよ。僕は、あっちで飲んできたから」

 そう言ってユウが指差す方に小さな泉が見えた。

 泉は透き通ってきれいそうだが怪物の身体の中と思うと本当に水なのか疑わしいところだ。

「大丈夫?」

「はあ? なんで?」

「だって、蓮足の身体の中なんでしょ?」

「そうやけど、ただの水やってで。ああ、水筒の水は外で汲んだものやから」

 桜は水筒の水で喉を潤した。

「しっかし、けったいなところに紛れ込んだわ」

「私、気持ちの悪い触手で湖に引きずり込まれたはずなんだけど」

「そうやで。僕もねえちゃん追いかけたらこの様や」

「ごめん、ユウくん」

「気にすることないわ。こんなのいつもの事やし」

 そう言ってユウは、横に座った。

「なあ、おねえちゃん? 何で僕の事と連れ戻すなんて言うの? 僕、ずっとここに住んでるんやで?」

「覚えていないかもしれないけど、君は、もっと小さいころ私の世界で暮らしたいたのよ。こっちに来たのは間違いなの。だから私はそれを正したいの」

「……と言われてもなあ、おねえちゃんの住んでるとこって知らんもん。そんなとこ、行っても僕、難儀なだけやと思うわ」

 確かに記憶のないユウは、この異界の方が現実であって、むしろ桜の世界はファンタジーだ。このまま戻ってもユウにとっては異世界での冒険にしかならないだろう。でも5年前以前の記憶を取り戻せばなんとかなるだろう。

「蓮足に食べられたユウの記憶を取り戻せばきっと戻りたくなるよ」

「知らんところへなんて行きたくないんやけどなあ」

「だけど……」

 桜が言いかけた時、何かが聞こえてきた。

「聞こえるか? ねえちゃん」

「うん……なんか人のうめき声みたい」

「奥の方からのようやね。ねえちゃんはここにいて。僕、ちょっと様子を見てくるわ」

 ユウはそう言うと刀を抜いた。切れ味の良さそうな刃先が光る苔に照らされる。

「気をつけて、ユウくん」

「うん」

 赤彗丸に身を包んだユウは、うめき声のする奥へ向かった。

 一人残された桜は、もう一、岩場に座り込んだ。

「ユウ君、桜ねえちゃんって言ってたなぁ……」

桜は、懐かしい気持ちになっていた。

不思議なことに薄暗い洞窟も何故だか心地よい場所に思えてくる。

もしかしたらユウは、僅かに記憶を残しているのかもしれない。

そう考えると少し気が楽になる桜だった。

 何気なく泉の方に視線を向けると誰かがいるのが見えた。

「ユウくん?」

 一瞬、奥から戻ってきたユウが泉のそばに立っていると思った桜は声をかけてみたが返事はなかった。

 目を凝らして見ると女性のようだった。桜と同じくらいの背丈だったが暗いために顔までは見えない。

 しばらく見つめていると、その誰かは泉の中へ飛び込んだ。

「えっ! うそっ?」

 桜は立ち上がると思わず泉のそばに駆け寄ると慌てて中を覗き込む。

 水の中は透き通ってはいるものの泉に飛び込んだであろう女の姿は見えない。

 桜は深く沈んでしまったのだろうかと思い身を乗り出した。

 水面は大きく揺れていた。やはり何かが水の中に入ったのだ。桜の顔が映り込み、揺れる水面のせいか笑っているように見える。

 やがて揺れはおさまったが水面に映る桜の顔は笑ったままだ。

 おかしい。私、笑っていない。

 桜は自分の頬に思わず手をやって確かめてみた。やはり笑っていない。

 水面に映る桜は別のことをしているのだ。

 桜は気味が悪くなり、泉から離れようとした。その時、泉の中から手が伸びて来てに桜を引きずり込んだ。

 一瞬のことで何の抵抗もできずに水中に引き込まれていく桜。

 誰もいなくなった泉の水面は大きく波打っていた。

 そこへ奥からユウが戻って来た。

「誰もいなかったわ。おねえちゃん。あれ? おねえちゃんどこ?」

 桜がいたはずの岩場には誰もいない。

 ユウは桜の姿を探した。

「ここにいてって言うたのに……」

 その時、背後に気配を感じだユウは、抜刀して振り向いた。

「誰や、お前!」

 そこにいたのは子供だった。歳は7、8歳くらいだろうか。

「にいちゃんこそ誰?」

「俺は、土地神さまにお仕えする者や」

「土地神さまって何?」

 少年は意味がわからずきょとんとした。

「説明するのめんどいなぁ。まあ、ええわ」

 ユウは刀を鞘におさめた。

「おまえ、こんなとこで何しとる?」

「知らない。誰かに連れてこられた」

「誰かって誰なん?」

「よくわからん。なんかキモいやつや」

 曖昧な返答下戻ってこない相手にユウはため息をついた。

「いろいろめんどいなぁ」

 少年は不思議そうにユウを見上げている。

「お前、さっきからここにいたいんか?」

「うん」

「なら、ここにねえちゃんいたの知らんか? さっきまでいたはずなんやけど」

「髪の長いおねえちゃん?」

「おう! そうや。知っとるのか?」

 少年は泉を指差した。

「そのおねえちゃんならそこに入ってた」

「なんやと!」

 ユウが慌てて泉を覗き込んだ。

「おーい、おねえちゃん! どこや!」

 返事はない。

「なあ、赤彗丸。なんかわかるか?」

 ユウは身につけている付喪神に訊ねた。

「いかんな、ユウ。黄泉國よもつくにへの入り口だ。あの女は黄泉國よもつくにへ落ちたのだ」

黄泉國よもつくに? あかんやん」

 泉に飛び込もうとしたユウだったが身体が動かない。

「あん? なんでや?」

 手足に力を込めたがビクともしない。

「赤彗丸! おまえか?」

 ユウの動きを止めていたのは甲冑である赤彗丸だった。

「止めんなや、赤彗」

「無茶だ。黄泉國よもつくには勝手が違うのだ。下手をすると戻ってこれんぞ」

「ねえちゃんを放っておけるか!」

 それでも無理に泉に入ろうとするユウだったが子供もユウを引き止めた

「兄ちゃん、そこって、キモいやつがおるよ。よした方がええと思うよ」

「アホ抜かせ! 俺の友達が中に落ちたんや。ほっとけるか!」

「友達?」

「そや! お前にも友達ぐらいおるやろ」

「うん……」

「なら。気持ちわかれや! 赤彗丸いくで! お前も素直に言うこと聞け!」

「やれやれ、お前には敵わんな」

 赤彗丸は、ユウが動けるようにした。

「よし、ええぞ」

「お兄ちゃん、そんなにあっちへ行きたいの?」

「たっりまえや!」

「なら、こっちから行く方がええよ。僕が案内するから」

「はあ? なんやと?」

「こっちからも行けるんやで。おいで」

 そう言うと少年は幾つかある洞窟の中のひとつに向かって走り出した。

「お、おう……」

 ユウは少年の後についていくと長い坂道が見えてきた。

「こっからでも行けるで」

「おう、そうか。すまんな」

 だが、ユウは坂の上で立ち止まった。

「兄ちゃん、どうした?」

「いや、なんかな。ここ見たことある気がすんねん」

「もしかしたら前に来たことあるんかもしれんな。でも早くせんと、鬼どもくるで」

「鬼?」

「そうや、坂の見回りしてる鬼たちや。大勢いる」

「そうか。厄介やな。わかった。すぐ降りるわ」

 ユウは意を決して少年の後について坂を下っていった。


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