第三章

11話 架空の町 人影だけの住人

 水のなくなった湖の中央には小さな石の山が積み上げてあった。

「ここだ。ここだ」

 旧鼠きゅうそは足早で石の山に駆け寄ると、その周りに小石を置き始める。

「何をしてるの?」

 不思議そうに尋ねる桜。

「湖を移動したのには理由があるですよ。実はこの辺りのは、蓮足様に好ましくないのでございます。けれど湖に溜まっていた霊力は欲しい。そこでこの"仮家かりいえの呪陣"を使って蓮足様に合った邪気の満ちた場所に移動させたんです。移動した先にも同じ様な石山が積み上げて"仮家かりいえの呪陣"が敷いてあるはずです」

「……ってことは、それを使って私達も移動するということなのね」

 桜がそう言いながら石山に近づいた。

「ああ、駄目です、姐さん。この術はとても繊細なんですから迂闊に触って崩してしまったら台無しだ」

「ああ……ごめん」

 言われた桜は、石山から数歩ほど下がった

「どれどれ、こんなもんかな。それじゃ、姐さん。行きますよ」

 旧鼠は、石山の上に登り、何かを唱えながら忙しなく動き始めた。

 その様子を見守っていた桜の後ろから水城が興奮気味に飛びついた。

「すごいね、桜! これって【スタートレック】の転送装置とおんなじじゃん」

 どうやら水城はオカルトだけではなくSFも好きらしい。

「しっかし、異界の呪術とはいえ、湖の大量の水を別の場所に移動させちゃうんだから不思議だわ」

「確かにね。この広さの湖なら水もかなりの量に……」

 その時、桜はある事に気がついた。

「ちょっと待って! 湖をまるごと移動させたってことは、これから行く先も……」

 旧鼠の呪文を止めようとしたが"仮家かりいえの呪陣"が発動してしまう。

 石山を中心に眩い光の渦巻が起きていく。

「水城さん! 大きく息を吸って!」

「え? なんで」

「とにかく息吸って!」

 光の渦は、桜や水城、玉兎も白蛇を巻き込んで飲み込んだ。



 気がつくと桜は、暗い水の底にいた。

 桜の思った通り、移動先は水のある湖の中だったのだ。

 水中は薄暗く、上下の位置もわからなくなっていたが、なんとか水面を見つけて泳ぎ始める。少し離れところには水城も同じように泳いでいる。やがて水面に出た二人は、大きく息を吸い込んだ。

「助かった。大丈夫? 水城さん」

「ぷはっ! まったく、何なのよ! 私のメガネがどっかいっちゃったよ」

 すると横からメガネを頭に乗せた旧鼠が浮かんできた。慌ててメガネを旧鼠の頭から取り上げるとかけ直した。しかしレンズについた水滴のせいであまり前は見えない。

「うまくいきましたね。桜の姐さん」

 この状況でも、うまくいったとしたり顔をしている旧鼠に怒る気にもなれない桜だった。

「水城さん。とにかく岸まで泳ぎましょう」

「う、うん」

 しばらく泳いでいると下から何か巨大なものが浮かんできた。

「なにかしら? もしかして蓮足?」

 浮かんできたのは巨大化した白蛇だった。桜と水城をうまく上に乗せるようなかたちで浮上した。

「白蛇!」

「またせたな、桜。無事で良かったわい」

「玉兎とユウは?」

「あれらなら、このくらい平気だろう。それより、お前らを先に岸へ連れて行かねば」

 そう言うと白蛇は岸に向かって泳ぎ始めた。


*  *  *  *


「ここが土地神が住まうていた湖の水を根こそぎ吸い上げて作った蓮足はすた様の新しい住処ですよ」

 ちゃっかり白蛇の背中に便乗した旧鼠が自慢気に言った。

「なにやら岸には集落があるようだな」

「あれですかい? あれは蛇の旦那たちが戦った人影どもの集落です」

「人影が集落を作るなぞ聞いたことがない」

「いえいえ、連中は真似てるだけです。特に意味はないですよ」

 旧鼠が濡れた服を乾かしながらそう説明した。

「まったく哀れな連中ですよ」

「ねえ、旧鼠さん」

 旧鼠の言葉に引っかかりを感じた桜が尋ねる。

「何故、人影が哀れなの?」。

「だって、やっていることにすべて何の意味もないいだから。ただ過去の自分を真似ているだけ。人影ひとかげとはよく言ったものですよ」


 桜たちが岸にたどり着くと、間を置かずに玉兎とユウが湖から上がってきた。

「小ネズミ! お前、また謀りおったな!」

 玉兎がえらい剣幕で怒鳴り上げた。

「へ? 何をおっしゃっているんで? 玉兎の旦那」

 キョトンとする旧鼠を玉兎が掴み上げる。今にも握りつぶしそうな勢いだ。

「まって! 玉兎さん!」

「止めるな、桜。今度という今度は、この小ネズミを喰ってしまわねば気が収まらん」

「気持ちはわかるけど、旧鼠にはまだ訊ねたいことがあるし、食べないで欲しいの」

「そうじゃぞ、玉兎。その小ネズミ、少々知恵が足らぬだけの事だ。そなたの様な大モノが本気になるほどの輩ではないぞ」

 白蛇も玉兎をなだめだ。そのかいあってか、玉兎の怒りは次第に収まる。

「しかたがない。今回は収めてやる。まったく、酷い目にあったわい」

 そう言うと玉兎は旧鼠を放り出し、そばにあった大岩にどっしりと座り込んだ。

 放り投げられた旧鼠は、桜が危なげなくキャッチする。

「姐さん、どうやらまた助けられたみたいですね。でも、なんで玉兎の旦那はあんなに怒ってるんでしょうかね」

 旧鼠の天然ぶりに呆れる桜だったが何も言わずにおいた。。

 

 湖畔から見る人影の集落は、水上にいたときよりはっきり見ることができた。

 人影たちが懸命に耕している畑は黒く薄汚れ、何も育つ感じはしない。

 それでも人影たちは黙々と作業を続けている。

 その光景を見ていた桜は、何か見覚えのあるような気がしてならなかった。

「どうしたの? 桜」

 様子に気づいた水城が声をかけてきた。

「私、なんだかおかしい。なんだか、この風景見たことある気がする」

 白蛇が顔を上げた。

「気にするな。桜」

「何か知ってるの? 白蛇」

「お前は何も思い出すことはない」

「知ってるのね」

 白蛇は口を閉ざした。

「やっぱり、見覚えがある……そうだ! 夢で見ている風景だ。何度も、何度も」

 桜の様子が変わった。

「落ち着け! 桜」

 白蛇が桜の体全体にからみつく。

 異変に気づいたユウが駆け寄る。

「おい! 何してるんだよ! 姉ちゃんが苦しがっているじゃねえか!」

「邪魔するな! 小僧」

「赤彗!」

 赤い鎧がユウに覆いかぶさると武者になった。

「こいつめ! 引き剥がしてやる」

「やめろ! 大変なことになるぞ」

「うるさい!」

 紅武者が白蛇を桜から引き剥がした。

 すると桜は夢遊病者のようにどこかへ歩きだした。

「桜!」

 水城が駆け寄ると見えない力で弾き飛ばされてしまい岩場に身体をしたたかに打ちつけた。

 玉兎は気を失っている水城を助け抱えた。

「大丈夫か? 人の子」

 水城は目を覚まさない。

 玉兎は歩いていく桜を睨みつけた。

「おのれ、どこぞの妖怪に憑かれたな」

 水城をそっと寝かせると槌を抱えて殴りかかろうとした。

 それを白蛇が止める。

「だめだ、だめだ。玉兎。捕まえるだけにしといてくれ!」

 玉兎は、不服そうに唸ると槌を放り出して桜に掴みかかった。

 だが、桜が手をかざすとまたもや見えない力が働いた。玉兎の巨体が吹き飛ばされる。

 倒れ込んだ玉兎は目をぱちくりして驚く。

「姉ちゃん! どないしたん!」

 紅武者となったユウが桜の前に立ちふさがった。

 桜の目の色が変わっているのに気がついた。瞳は赤く瞬きさえしない。

 咄嗟に刀を抜き構える紅武者

「切っては駄目や! 赤彗!」

 紅武者の動きが止まる。

「どいて」

 桜が手をかざすと紅武者に向かって見えない力が襲いかかった。刀をかざして防ごうとするが力は強く、そのまま後ろに押されていく。

 必死で耐えるがそのまま岩に押さえつけられてしまう。

 桜はその横を通り過ぎていき、やがて見えなくなってしまった。


 しばらくすると気絶していた水城が目を覚ました。

「桜は?」

 妖怪たちが疲れ切った様子で座り込んでいる。

「あの人の子ならどこぞに行ってしまったぞ」

「は? なんでよ」

「知らんわ。突然、人が変わったようになって奇妙な力を使ってきたんだ。あれは他の妖怪に憑かれたんじゃ」

「妖怪に憑かれた? 白蛇様が先に憑いてたじゃん!」

 バツが悪そうに玉兎の背後から姿を表す白蛇。

「面目ない。やられてしまったわ。こうならんように気をつけていたんだがなぁ」

「白蛇様? 何か知ってるんじゃないの?」

「そ、それは……」

「教えてください。桜は友達なんです」

「そうじゃ、白蛇。わしにも何か隠していたろう。ずべて話してしまえ」

「別に隠していたわけじゃない。言っても仕方がないからだ」

「話してください。桜をなんとかできるかも」

「むう……実は、桜は祟られとる」




 桜が意識を取り戻すと眼の前は黒い湖だった。

 湖の表面は油が浮いているようだ。

 湖の中央には大きな蓮に似た植物がいくつか浮かんでいた。

 よく見ると水面下で根っこのようなものがうごめいている。

 水城や白蛇たちの姿は見当たらない。

 仕方なく湖の様子に目をやると急に風が強く吹き荒れだした。

 勢いは強く桜の長い黒髪がまくりあげられる。

 すると水面の蓮の葉をかき分けて何かが浮上してきた。

 大きさはマンションの倍くらいありそうだ。

 それは巨大なタコの様な触手を持ったトカゲの様な生き物だった。

 だがトカゲと形容するにはその顔にあたる部分は異様過ぎた。黒く変色し表面がよく見えない。まるで二次元の影が立体化したような感じだ。

 そう、人影たちに近い感覚なのだ。

 携帯電話の着信音が鳴った。電話に出ると前回聞いたあの声だ。

「マッテイタ」

 声の主はそう言った。

 水しぶきを上げ、水面から巨大な触手が桜に伸びた。

 逃げようとする桜だったが触手の動きは早く、身体に巻き付いてしまう。

 黒い水しぶきが桜の顔に飛び散った。

「誰か! 助けて!」

 叫び声を上げたが無駄だった。声は風にかき消されてしまう。

 桜はそのまま湖に引きずり込まれていった。




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