第二章
5話 霧の里
桜と水城は、玉兎に連れられ廊下を歩き続けた。
しばらくすると暗かった廊下の先が明るくなっているのが見えた。
桜は、足の感触が変わっているのに気がついた。
水城の方を見ると彼女もそれには気がついたようで神妙な顔つきで桜を見ている。
「四階だったよね……」
「う、うん」
水城の言葉に桜も戸惑いながらうなずいだ。
やがて見通しは良くなり、廊下より広い場所に出た。夜だったはずなのに明け方のように明るい。周囲は白い靄に包まれている。
「どうやら異界に入ったみたい」
水城が桜にスマホを向けながらそう言った。どうやら動画を撮っているらしい。
「こんな時にやめてよ」
桜は向けられたスマホを押しのけたが水城は気にしない。今度は自分の方にスマホを向けて低いトーンで実況を始めていた。
「四階の廊下を歩いていた筈の私達はいつのまにか、外を歩いている。しかも真夜中のはずなのに辺りは薄っすらと明るい。これは、私達がいつのまにか異界に入ってしまった……とでもいうのだろうか」
どこかで聞いたことのある語り口の水城を見ていた桜はため息をついた。
その時だった。
「綾野さん!」
実況をしていた水城がいきなり大声を出した。
「な、なに?」
「腕! 腕!」
水城が慌てながら桜の左腕を指差す。
「蛇! 白い蛇が巻き付いてるって!」
「ああ、これ、白蛇っていうの。妖怪みたいなものらしいわ」
「リアルに白い蛇なんだけど!」
「ちゃんと見えているのね。それって異界に入ったからなのかしら?」
どうやら異界に入った影響で白蛇の姿は水城にも桜と同じように目に見えているらしいがそれにしても水城の怖がり方が半端ない。幽霊などの類を怖がるのと少し違う感じもする。
「わたし、幽霊だったらあれなんだけど、爬虫類は超ダメなんだよーっ! 特に蛇はダメ!」
「ああ……だからか」
「しかもでかいし!」
そう言われてみればホースくらいの太さだったものが今はその一回り多く見える。
「ねえ、白蛇。あんた少し成長してない?」
「こっちへ戻ってきたせいだな。気にするな」
白蛇が面倒くさそうに言った。
「ひーっ! 蛇が喋った!」
「落ち着いて水城さん! これが普通だから」
「うるさい小娘だ。なんで、連れてきたんだ?」
「だって、霊感があるって言うから少し頼りになると思って……」
とはいえ、どうも頼りにならなそうだった。桜は連れてきたのを少し後悔する。
「だ、大丈夫、大丈夫よ。相手は本物の蛇じゃないし、ヌルヌルもしてないしニョロニョロも……いやニョロニョロはしてるか。とにかく少し情報量が多くてバグっただけ。いつもはこんなにはっきり見えないし聞こえなかったから……しっかし、綾野さんっていつもこんなの感じに見えていたのね。すごいわよ!」
興奮気味に言う水城は、白蛇にスマホのカメラを向けた。
「桜でいいよ」
「じゃあ、桜。今のうちにこれ渡しとくね」
そう言うと水城は、財布を取り出すと中から何かの紙を取り出した。
「名刺?」
パソコンで作ったお手製らしく、それには、水城のフルネーム、携帯電話の番号、メールとSNSのアドレスが印刷されていた。そして何かの動物をデザイン化したらしいピンク色の小さなキャラが名刺の縁に並んでいた。どうも水城が手書きしたキャラのようで微妙な絵柄だ。桜も絵は、特に上手というわけではなかったがこれはないと思ってしまう。
「な、なんで半笑いするのよ。わたし、ウサギが好きなのよ」
えーっ! これ、ウサギだったの? と声にしてしまいそうな桜だったがなんとか堪えるのだった。
「い、いえ……違うの。こんな時に名刺って、と思って」
「だって、
確かにそうだ。桜も水城のスマホの画面を覗き込んだ。すると電波の強さを示すアイコンは最大になっていた。顔を見合わせる二人。
「異界にも通じるなんて、このスマホ、エリア半端ないわ」
テンションの上がる水城。
その時、前を行く玉兎が急に立ち止まった。
「着いたぞ」
見ると白い靄の中、一面に広い田んぼが広がっている。
その田んぼには何かの作業をしている人らしき姿がちらほら見えていた。
「本当に異界? 農家の人がいるみたいだけど」
水城がそう言ってスマホを向けると指先で画面を拡大してみる。
「ん?」
「どうしたの?」
「なんか、変。ピントが合ってないというか……」
「遠いからじゃない?」
「ちょっと、見てみ」
画面に映る人は蜃気楼のように揺れ続け、姿がはっきりしなどころか輪郭さえも曖昧だ。
「おい、あれらは人じゃない。お前らが生きた人間だ知られると面倒なことになる。声はかけるな。見るのもやめとけ」
スマホを覗き込む桜たちに白蛇が忠告してきた。
「わかった……」
そうは言ったが田んぼには至るところに立っているので気になってしかたがない。
騒ぎ出しそうな水城も人影たちに何かを感じとたのか、撮影をやめていた。
「わしはここまでだ。じゃあな、白蛇よ」
玉兎が桜の腕に巻き付く白蛇を見下ろして言った。
「すまんの、玉兎。助かったわ」
「いいってことよ」
「あの……玉兎さん。ありがとうございます」
桜は、玉兎に礼を言った。
「"びーる"の礼じゃ。気にするな」
「それでも、ありがとうございます」
桜は、深々と頭を下げた。隣にいた水城も慌てて頭を下げる。
「身内の
そう言うと玉兎は靄の中に消えていった。
「さてと……どうする? 桜」
「うん、ねえ。白蛇。ユウくんのところまで連れて行っていって」
「慌てるな。物事には順序がある。大体、今までお前に憑いていたのに、小僧の居場所なぞ知ってるわけなろう」
「あんた、騙したの?」
「だから順序があると言っている。小僧の居場所を知っているであろう方のところまで連れてく。そこで聞いてみればいい」
白蛇は、桜の左腕から離れると地面を這った。
「ほら、ついて来い」
言われた通り桜がついていく。その後を水城が慌てて追いかけた。
「どこへ行くの?」
「土地神さまのところだ」
「誰?」
「土地神さまは、この辺を仕切っている神さんじゃ。土地神さまならこの辺で起きている事は大概、知っておる。それによそ者のお前らが来たことも許しを請わねばならんでな」
白蛇の後をついていくと大きな湖の畔に出た。
田んぼと同じく霧に覆われて全体は見通せないが大きいものだとわかる。
白蛇は、水辺のそばに這っていくと大声で呼んだ
だが、土地神は現れなかった。代わりに姿を出したのは魚に似た生き物だった。
「は、半魚人!」
水城は興奮気味にスマホのカメラを向けた。
「なんじゃ、白蛇やないか」
半魚人はぽっかり口を開けてそう言った。
「おう、
「お前、知らんのか? 土地神さまは、もうおらん」
「どういうことじゃ?」
「よそ
「よそ者?」
「ほら、"オオモノ"と呼ばれていた奴がおったろう。あれが土地神さまを負かしたんじゃ。今じゃ、この辺りは、"オオモノ"の縄張りだ」
「なんと、あの新参者が」
「驚きじゃろう。姿も変わり身体も大きくなってしもうた。今では呼び名も"蓮足"に変わったわ」
横で聞いていた桜が我慢しきれず口を挟んだ。
「土地神さまがいないって、どういうことよ? ユウくんの行方がわからないってことなの?」
「お前が入り込んだとき、追ってきた"奴"がおったろう。"オオモノ"と呼んでいた奴じゃ。あれが土地神さまを追い払ってしもうたらしい」
「追い払うって、そんな……」
桜が白蛇に文句を言おうした時だった。
ぬうっと大きな身体が桜たちのそばに割って入った。
「なんと! そんなことになっていたとは。わしが、おればそんなことはさせんかったのに」
それは玉兎だった。
「なんじゃ、お前。門番の仕事に戻ったのではなかったのか」
白蛇が驚きながら鎌首をもたげた。
「せっかく、こっちに来たから土地神さんに挨拶していこうと思ってのう。そしたら今の話が、この大きな耳に入ってきおった。まったく、わしがおれば、よそ者なんぞに勝手な真似はさせんかったのに」
「アホぬかせ。土地神さんが勝てんのにお前が敵うわけなかろう」
印子鱒が水の中から笑った。
「うるさい! 小魚! やってみんかったらわからんわ」
玉兎はそういうと腰に下げた小袋から小さな何かを放り上げた。するとそれは空中で大きな両頭の
「こいつで叩き殺してやるわ」
「だから無理だって言っとるだろうに……」
呆れながら印子鱒が呟いた。
白蛇は、水辺に這っていくと水面から顔を出す印子鱒に近寄る。
「なあ、土地神さんはどこぞに隠れなさった?」
「ああ、向こうのお山の先の沼に隠れなさったという噂じゃ」
「その沼なら知っとる。やれやれ、遠いのう。というわけじゃ。桜、沼に向かうぞ」
「ユウくんはどうなる?」
「だから、土地神さまなら知っとると言っとるだろ」
「なんじゃ、そいつら、"人影"どもかと思ったら人か?」
「ああ、前に、こっちへ来たことがあるんじゃが、そのときに身内とはぐれてのう。我はこの人間に少し借りがあるから身内を探すのを手伝っとるというわけだ」
「面倒なことをしとるのう。白蛇」
印子鱒は呆れた風にそう言った。
「性分じゃ。放っておけ」
白蛇は借りと言ったが桜には覚えはない。
そういえば、白蛇は自分の負の念を食べていると言っていたがもしかしたらその事なのだろうか? と桜は思った。
「そういえば"人影"どもが増えていないか?」
「ああ、"蓮足"が幅を利かせるようになってからじゃ。今では山でも見かけるようになったわ」
「うざったい奴らだ」
そう言うと白蛇は、水辺から離れ山へ向かって這い出した。
「待ってよ! どこへ行くの?」
「土地神さまのとろじゃ! 小僧の居場所を知りたいなら黙ってついて来い!」
桜と水城は先を進む白蛇を慌てて追いかけた。
白蛇は前を進むが蛇は地べたを這う。しかも思いの外、速い。少し離れると見失いそうになってしまう。
「早く来い」
小走りに追いかけるが草むらに入ると姿が見えなくなり、草が揺れる方に見当をつけて追いかけた。
「遅いなあ。日が暮れるぞ」
「だから、あんた、地面を這っていくから見えにくいんだよ!」
苛立って大声になる桜の横を大きな身体が横切った。
「玉兎……さん?」
それは兎の妖怪、玉兎だった。玉兎は、白蛇を追い越して前に出た。
「なんじゃ? 玉兎。門の番には戻らんてええのか?」
「土地神さんがえらいめにおうてるのに帰れるか。わしがその"蓮足"とかいうよそ
「土地神さんが負かされた相手にお前さんが勝てるのかのう」
「白蛇よ。おまえさん、小さすぎてこの人間どもが見えんと言っておるぞ。わしも沼の場所は知っておる。代わりに前を行ってやるでありがたく思え」
「ふん、勝手にせい!」
白蛇は、桜の方に這っていくと再び、左腕に巻き付いた。
「この方が楽じゃ」
様子を見ていた水城が桜に耳打ちする。
「ねえ、このふたり……というか二匹は仲が悪いのかな?」
「聞こえとるぞ」
白蛇が言った。
「ご、ごめんさない」
慌てる水城
「別に昔から顔なじみというだけじゃ。一本気なところはあるから悪いやつではない。まっ、腹が空けば人は喰らってしまうだろうがのう」
「人間食べるの?」
水城の顔が青くなる。
「こらっ、余計なこというな」
桜が白蛇の頭を小突いた。
「小娘! 言っておくが、我はお前よりずっと年上だぞ」
桜は無視した。
こうして桜たちは、土地神の隠れた沼を目指してう山道に入っていった。
だが、一行を小さな何かが身を隠しながら後をついて来くることには誰も気づいていなかった。
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