4話 異界への通り門

 下校時間は過ぎ、夜になっていた。

 学校へは誰も残っていない。

 下校時間近くへ見計らって物置代わりになっていた空き教室に隠れていた桜は、時間を見計らって廊下へ出た。

 外は夜だったが月明かりのおかげで懐中電灯もいらないくらい明るい。

「ほら、急げよ。月の時間は短いぞ」

 左腕に巻き付く白蛇が急かしてきた。

「うるさいな。わかってるよ」

 指示された場所に向かう桜は階段を登った。

「でも、本当なの? あるはずのない四階が、満月の夜に現るって」

「こっちとあっちが繋がるのが満月だ。それより、言ったものは持ってきてるか?」

「うん……」

 桜は、コンビニ袋を持ち上げて白蛇に見せた。

「まったく、お酒手に入れるの大変だったんだから……」

 文句を言いながら階段を登る。この先は、屋上に続く階段のはずだった。

 三階に出た時、突然、黒い影に現れた。

 桜は、思わず悲鳴を上げて尻餅をつく。

「綾野さん」

「え……?」

 見覚えのある女生徒が桜の顔を覗き込んできた。

水城みずき……さん?」

 それは隣のクラスの水城萌みずきもえだった。少し霊感があると言い、桜の左腕に巻き付く白蛇に気がついた女生徒だ。

「なんでこんなところに? 旧校舎は立ち入り禁止だよ」

「おいおい、今それ言う。立入禁止を無視してここにいるのは綾野さんも同じっしょ。綾野さんこそ、なんで?」

「私は……」

 水城は、桜がはずみで落としたコンビニ袋を拾い上げてくれた。

「あれ?」

「ああ、だめだめ!」

 慌てて止める桜だったが、遅かった。

「お酒……」

 桜は、コンビニ袋を奪い返した。

「なるほど、そういうことか」

 水城は首を横に振りながらため息をついた。

「ちょっとそうじゃないから!」

「お酒をコンビニ袋に目一杯入れて人のこない旧校舎に忍び込んでいるのはそういうことでしょ?」

「だから、説明しにくいことなんだよ……それより、水城さんこそ、なんで旧校舎にいるんですか!」

「趣味」

「は?」

 何故か得意げに言う水城に桜が呆気にとられる。

「実はね、私、超常現象を研究していて……あ、これ、私のブログ」

 水城はそう言うと持っていたスマホの画面を見せた。

 そこには、"オカルトの部屋"というタイトルのサイトが映っていた。内容をざっと読んだが、文章が素人っぽいせいか、特に怖くない。ブログの背景画像もどこかのアニメからひっぱってきた画像を貼り付けてある。

「なんか……厨ニっぽい」

「ち、違うわよ!」

 スマホを奪い返す水城。

「この旧校舎は昔から不思議なことがあるのよ。祠があった場所に建てたからそのせいだっていう人もいるわ。表向きは建築不良だからって事にしているけど実は怪奇現象が多発するんで立入禁止にしたって話なのよ。取り壊し工事にかかろうとするとおかしなことが起きるから手がつけられないって」

 そう言って水城は、得意げに話を続ける。

「とくに満月の夜に無いはずの四階が現れるって話が有名で私はそれを確かめに来たんだよ。おわかりいただけただろうか」

「水城さん。"ほん呪"とかのDVD好きでしょ」

「え? なんで、知ってるの? もしかして綾野さんも霊感とかある?」

「いや、それはないけど、なんとなく話聞いてたら……」

「で? なんで、綾野さんはこんな夜の校舎で酒盛りするの? もしかしてアル中?」

「だから、これには理由があって」

「それでしょ」

 水城は、桜の左腕を指差した。腕には白蛇が絡みついている。慌てて桜は左腕を隠した。

「見えるの?」

「昼間より、よく見えるよ。旧校舎のせいかな。何か白っぽいものが動いている気がする」

 水城は霊感があると言っていたものの、白蛇の言う通りそれほど能力は高くないようで、どうやらぼんやりとシルエットが見えているだけのようだった。白蛇のはっきりした姿や声までは聞くことはできないらしい。

「腕のやつさ、お祓いするの?」

「違う。とにかく私、やることがあるから……」

 そう言って階段を登ろうとする桜のスカートの裾を水城が掴む。

「手伝うよ」

 水城はそう言ってにっこり笑いかけた。



 結局、桜は、水城の申し出を受けることにした。

 オカルト好きを自称するだけあって、桜の話をすぐに信じた。

「なるほど……つまり、そのユウくんって子は、異界に入り込んでしまったのね」

「異界……?」

「異界ってのはね、妖怪みたいな存在のいるこっちの世界とは違う場所。橋や坂、峠や十字路なんかは異界との境界線になっていることが多いと言われてるの。クロスロード伝説って知ってる?」

「いえ、知らないけど」

「1930年代の初め、ミュージシャンのロバート・ジョンソンがある十字路で悪魔と出会って魂と引き換えにすごいギターテクニックを身につけたって話。他にも古事記でイザナギが黄泉の国から逃げるのに通ったのが黄泉比良坂よもつひらさか

「黄泉の国……」

「そうそう、さらにそこで転ぶと3年以内に死ぬと言われている三年坂と名がつく坂が日本にはいくつもあるの」

「転ぶと……?」

 桜は、5年前、あの世界から逃げるときに転びかけたのを思い出した。

「"三年坂"に関して言えば私は黄泉比良坂よもつひらさかの伝説が影響していると思うわけ。イザナギを追ってきたのは黄泉軍よもついくさという鬼のたちなの。つまりイザナギを殺すために追ってくる鬼は死の象徴といわけよ。綾野さんが、小さい頃、行ったその異界も坂を登ったところだったんでしょ?」

「うん。そうだけど……それって黄泉の国ってこと?」

「黄泉の国、霊界。異世界……異世界はちょっと違うか。要するに呼び方は様々だけど、この世とは違う世界である異界への境界線だったと思うのね。学校の七不思議の"無いはずの四階"も異界で、続く境界線が階段……つまり、"さか"にあたるかもしれない」

 そう言ってメガネの縁を持って掛け直す水城。こころなしかレンズが少し光ったように見えた。

「さあ、行きましょう! 綾野さん」

 妙に張り切る水城のペースに戸惑ったが、その明るさに心細かった桜は、少し安心した。

 桜は、先に屋上に続くはずの階段を登る水城の後を追った。

 踊り場を曲がるとこの先は、白蛇の言うには満月の夜に旧校舎に"あるはずのない四階"があるはずだ。なければ、屋上に続く、鉄の扉があるだけだろう。

 踊り場を曲がり階段を駆け上がると水城が立ち止まっていた。

「水城さん、どうしたの?」

 ゆっくりと振り向く水城の顔はひきつっている。

「綾野さん……本当だった」

 桜が水城のところまでいくと本来なら、鉄の扉があるはずの場所に廊下が見えた。

 "あるはずのない四階"だ。

「ここからだぞ、小娘」

 白蛇が言った。

「うん……」

「それと、あれ、やめさせろ」

 見ると水城がスマホで誰もいない廊下を撮影している。

「ちょっと、水城さん、何をしてるの!」

 慌てて"あるはずのない四階"の撮影をする水城を止める桜。

「何って、ブログにアップするのよ。それとインスタにもね。私そのために来たんだから」

白蛇しらへびが"門番"が怒るって言ってる」

「綾野さんに憑いてる白蛇とかいう奴が? でもさぁ、信用できるの? そいつ、ア妖怪でしょ?」

 その時、廊下の先で物音が聞こえた。

 水城が撮影をやめて音の方を見た。

「か、風の音かしら?」

「今日は、そんな風強くなかった」

「それじゃ……"門番"?」

 音が次第に近づいてくる。

 水城は桜の服の袖を握りしめる。

 そして窓から照らされる月明かりが歩いてくる"音の主"の姿の一部を照らした。

「耳……?」

 灰色の長い耳は、まるで兎のようだった。

 だが、その大きさは、天井に届きそうなくらいでかい。

「誰だ……お前たちは」

 暗闇から姿を現したその姿は二本足で歩き、中国の鎧に似たもの着込んでいる巨大な兎だった。

「まじか!」

 水城は。兎の妖怪にスマホを向けると撮影を始めてしまう。

 それに怒ったのか兎の妖怪は、物凄い勢いで兎の妖怪が向かってきた!

 その勢いに怖気づいた二人は、階段を降りようとしたが、階段は消えていて逃げ道はない。

 迫ってくる兎の妖怪。

 その時、桜の左手が勝手に持ち上がった。鎌首をもたげた白蛇しらへびに気がついた兎の妖怪の動きが止まった。

「ひさしぶりだな、玉兎ぎょくとよ。元気にしておったか?」

 玉兎ぎょくとと呼ばれた兎の妖怪は大きな体を丸めて白蛇しらへびの頭に顔を近づけた。

「なんじゃ、白蛇しらへびかぁ。こんなところで何しとる?」

「いろいろあってな。童子わらしに憑いてこっちに迷い込んでしもうた」

 玉兎は大笑いした。

「迷い込んだじゃと? 間抜けな話じゃ」

「笑うな。大兎めが。我は、向こうに帰りたいのだ。ここを通してくれんか」

「そりゃお前さんを通すのは構わんが、そっちのはちょっとな……」

 玉兎は、桜と水城を睨みつける。

「ああ、これは、我が憑いておる人間じゃ。向こうに連れて行くことにした」

「白蛇よ。こう言ってhはなんだが、そういうのを通さないように、わしがおるのじゃぞ」

「そこをなんとか曲げてくれんか。こやつの身内が向こうにいるんじゃ」

「なんと、人の子が紛れ込んだというか」

「こっちではない。我がいた祠での話だ。それについては我にも負い目があるのだ。だからその身内を連れ戻したいと思うておる」

「とはいえのう……」

 玉兎は腕組みをして考え込んだ。

「おおそうだ。実は、この小娘、お前のために供え物を持ってきておるのだぞ」

「何? 供え物じゃと?」

 白蛇につつかれ桜は、慌てて酒の入ったコンビニ袋を玉兎に突き出した。

「お、お供え物です。門番さまのためにお持ちしました!」

 声を振り絞る桜。その肩越しに水城が玉兎を興味津々で凝視していた。

 玉兎は、コンビニ袋に鼻を近づけるとひくひくとさせた。どうやら中身を探っているらしい。

「これ、門番さまの好きなお酒です」

 言われた玉兎は。コンビニ袋の中を覗き込む兎。

「これが酒か? 何も匂わんが」

「缶ビールですから。とにかく、どうぞ」

 桜の差し出したコンビニ袋を大きな手で受け取ると中から缶ビールを取り出し、珍しそうに眺めた。

「それが、ビールっていう種類のお酒です」

「びーる? で、どうやって飲むんじゃ?」

「ああ……ここをこうして」

 桜はプルトップの開け方を身振りでしてみせた。

 それを真似して開けると泡が吹き出て兎は一瞬驚くが、すぐに興味を示し、匂いを嗅いでみた。

「ふむ……これは確かに酒じゃな」

 ぐいとビールを飲む妖怪。

「変わっておるが、美味いな」

 兎の妖怪は、初めて飲むビールの味に満足したようだ。

「ところで、おまえの身内が向こうに入り込んだとか」

「はい、五年位前に迷い込んだまま帰ってきていません」

「人がで長く生きていられるとは思えんのだがのう」

「それでも助けに行きたいんです」

「健気じゃなあ……」

 兎の妖怪は突然泣きだし始めた。

「え?」

 呆気にとられる桜たち。

「こいつはな、酒は大好きだが、泣き上戸でのう。こうなってしまえば話が楽じゃ」

 白蛇はそう言ってシュルシュルと舌を出した。

「わかった! お前さんたちを通す!」

「ほんとうですか? 玉兎さま」

「今日は満月! 特別じゃ! "びーる"も味あわせてもろうたし、わりが向こうに案内してやる。ついて来い!」

 玉兎は、そう言うとコンビニ袋を手にぶら下げて廊下の奥に進み始める。

「ほれみろ」

 白蛇が得げに言った。

 さっきまで人を喰いそうな勢いだった兎妖怪の変わりように顔を見合わす桜と水城。

「何しとる。向こうへ続く門は長くは開いとらんぞ。早くついて来んか!」

 玉兎が大声で桜たちを急かした。

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