3話 妖の誘い

 桜の腕に巻き付く白い蛇

 他の誰にも見えていなかったそいつが口を聞いたのは1ヶ月ほど前。

 この得体のしれない妖怪を腕に住まわせているのは5年前に桜が迷い込み、幼馴染のユウを置き去りにしまったあの世界へ連れていくという条件があったからだ。


「あの祠へ行くんじゃないの?」

 桜は、怪訝そうな声を白蛇に向けた。

「あそこには、あの時、お前たちを追いかけてきた妖しモノあやかしがおるかもしれん。人間のお前にはちと、危ないかもしれぬからな」

 祠からあの世界に迷い込んだ時、桜たちを追いかけてきた恐ろしいモノは今でも忘れられない。あれに出会うのは遠慮したい。

「うん……ねえ、あれって一体なんなの?」

「あまり人間には良くないないモノだ。忘れてしまえ。それに奴がいない別の"通り門"もあるのだ」

「出入り口?」

「ああ、そうだ。いたるところにある。お前ら人間には見えないだけのことよ。この近くにだってある。ほら、お前が毎日、行ってるところだ」

「毎日……まさか学校」

「そんな呼び名だったか? 山側に人の入らない建物があっただろう」

「旧校舎のことかしら。建築不良とかで立ち入り禁止になっているけど」

「そこは、昔、我がいたところと同じような祠があったはずだ」

「祠なら、別な場所にあるよ。裏門の方だったかな」

「あの祠はあっても中に神は入っとらん。神のいない祠は意味がない。おそらく人間が都合で祠を移動させたのだろうが肝心の神移しの儀式をしておらんのだろう。祠にいたはずの神はまだ通り道の"門番"役として同じ場所におる。あの建物自体を祠としてな」

「旧校舎が祠に?」

「ああ、そうだ。あっちの世界への出入り口もそこにある。だがいつでも通れる分けっでもない。ちょいとした準備をせんとな」

「準備?」

「ひとつは時期だ。あっちへ続くそれぞれの通り門が開くには決まった刻があってな。その時を逃すと次に開くのは当分、先のことになる。もうひとつは通り門には”門番”がおる」

「門番?」

「お前らのような人間が迷い込まないように普通は門番がいるのだ。祠の神がそれを担う」

「神様なら怖くなさそう」

「おまえなあ、ちょっと勘違いしているようだから言っておくが、神といえば聞こえがいいが、どこぞの妖のモノが祀られることでちょっとばかり上等になっただけなんだぞ。とにかくその門番をなんとかしないとあっちの世界へは行けない」

「門番って一体何をしているの?」

「人間が近づいてきたら怖がらせたり、不安な気分にさせたり、あるいは道に迷わせて追い払うのが役目だ。無暗にあっちへ行かせないためのな」

「その門番は、あんたが説得してくれるわけ? 通してくれって……」

「我は説得などしなくとも通れる。妖のモノあやかしだからの。問題はお前だ。お前は人間だ。門番が遠ざけるべき相手だからな」

「じゃあ、どうやって通るのよ?」

「まあ、聞け。そこの門番は、頑固な奴だが、少々ユルいところもある。それを突く。でな、少し用意していくものがあるのだ……」

 そう言って白蛇は、鎌首をもたげて桜の顔に近づき囁いた。

「お酒!?」

「ここの門番は台の酒好きだ。だからお供え物代わりに酒持ってくといい。運が良ければそれで通してくれるわ」

「酒って……」

「なんじゃ、桜。お前、酒を知らんのか? 飲むと頭がくらっくらする水だ。人間も好きな奴は、多いだろう」

「お酒は知ってるけど……お酒、未成年は買えないんだよ」

「なんだ? 未成年というのは」

「うーん……子供のこと」

「面倒な掟じゃのう。しかし、困った……酒を持って行かなかったら喰われてしまうかもしれん」

「喰われる……?」

「奴には人間など食いもんのひとつでしかないからな。機嫌が悪けりゃ人間なぞ、ひと飲みだ。酒がなければ話すら聞かんだろうよ」

 白蛇しらへびは素っ気なくそう言った。簡単に人を食うのだというのが妖怪らしい。

 どうやら避けては通れない案件のようだった。

「わ、わかった。なんとかしてみるから」




 そして満月の夜

 数日前から桜は、なんとか手に入れた日本酒やビールを数回に分けて、こっそり、学校に持ち込んでいた。昼間、隣のクラスの水城みずきに話しかけられた時はそれがバレたのかと思って焦ったが、霊的なものが見えるらしい彼女が言ってきたのは桜の左手に巻き付いている白蛇しらへびのことだった。

 自分以外に白蛇が見えるのは、水城が初めてだ。

 いっそのこと彼女に異界のことを相談してみようとも思ったが、初対面の相手を巻き込むわけにはいけない気がして堪えた。

 その日の放課後、下校時間を過ぎ、部活動をしていた生徒も帰っていく中、桜は、あらかじめ見つけておいた隠れ場所に身を潜め夜を待っていた。

「ユウくん、必ず助けてあげるからね……」

 桜は、小さく呟くと、気を引き締めたのだった。


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