第89話 ため息の論法

「こんなあやふやな技術を採用するわけにはいきませんな」

 言下に否定された。でも引き下がるわけにはいかない。

「もちろんこれからの技術です。けれども可能性は非常にあります」

「正直言ってほら話にしか聞こえません。なんでしたっけ? 伝統技術を一瞬でマスターするとか」

「一瞬とは言っていません。ただ、従来のどんな手法よりも早くあたかも一瞬にして」

「技術とはまねながら体得して行くものでしょう」

「そうでないとは言っていません。そのスピードを上げるってだけの話で」


 頭の固い奴らには本当にうんざりだ。これはもう人類の歴史を通じて幾度も繰り返されてきたことだろうから、わざわざこうして取り上げるのも腹立たしい。新しい技術によって新しいメディアが生まれたからと言って、別に古いメディアが根絶するわけではない。ただ単に何かを人に伝える方法が増えるだけなのだ。選択肢がひとつ増える。そしてその中で最も有力なものがしばらくの期間主役をつとめることになる。それだけ。本当にそれだけのことなのだ。


 いったい、いつからこんな風に過去にしがみつく人間が増えてしまったのだろう。


 例えば20世紀を代表するメディア革命であるテレビの登場。新聞やラジオ、それに映画業界の人々はやっぱり同じように反発したんだろうか。「芸術としての映画を観るには画面が小さすぎる。間に合わせみたいなものだ。こんなサイズでは報道にも向かない」映画業界の人はそう言ったのだろうか。「じっくり検証もしないものをどんどん流すなんて流言飛語の元だ」新聞業界の人はそう言ったのだろうか。ひょっとするとラジオ業界の人には敗北感があったかもしれない。リアルタイムが売りの同じ電波メディアとしては、音声だけでなく映像まで加わったらさらにコミュニケーションの量もスピードも上がるからだ。


 では印刷技術の登場はどうだったろう? 口伝が基本の職人や芸能の世界では大きな反発があったことだろう。「そんな薄っぺらな紙に書き留めたものを後生大事にしても、肝心なことは何も伝わらない」などと言って。そんな具合に、新しい技術は常に非難の的だったのだろう。


 例えば、のろしという技術が生まれて、「蛮族が攻めて来た」なんてメッセージをはるか遠距離まで一気に届けられるようになった時も誰かが文句を言ったのだろうか。「雲をのろしと見間違えてしまうかもしれない」「誰かが偽ののろしをあげてだまそうとするかもしれない」「人間なら細かく説明できるがのろしでは要領を得ない」「人が届けたのでない情報にはぬくもりがない」とかなんとか。


 そしていまは〈サイ〉が槍玉に挙げられている。確かに〈サイ〉はまだ未完成の技術だ。しかしフィクションの世界ではずっと夢の能力だとされてきたではないか。他人の思念や感情を電磁気的な脳波信号としてとらえ、自分の中に再現すること。それはテレパシーと呼ばれ、超能力ともてはやされてきたはずだ。ところがと言おうか、予想通りと言おうか、およそ150年間にわたってメディアの王者として君臨したデジタルデバイス業界の人々から猛反発が起きている。


「テレパシーなんていつの時代にも似非科学が扱ってきたものです」

「それは確かです。けれど〈サイ〉は科学です。理論があって、再現性があって、ちゃんと『Science』にも論文が採用されていて」

「論文ではコミュニケーションができるとは書いていません」

「ですからこれは応用技術で」

「飛躍があります。はっきり言わせてもらえばトンデモ科学そのものです。そんな夢のような話にお付き合いするほど暇じゃない」


 かつて闇から解放されるために火を操るようになり、大きな力を得るためさまざまな物理法則を見つけ、火薬や原子力まで手中に収め、空を飛ぶことに憧れて飛行機を作り、地球から飛び出すために宇宙旅行を実現してきたのは、みなその夢のような話を実現して来たのではなかったのか。


「もし仮に〈サイ〉技術が完成したとして、人の心を勝手に読めるようになったらプライバシーも何もあったもんじゃない。こんなに危険な話はないでしょう」

「ですからその対策もきちんと」

「対策だの何だの面倒なことをしなくても、現行のデジタルデバイスなら自分が届けたい必要な情報を必要な相手に届けることができる。いつでも、どこでも」

「そんな。200年も言い古されたことを言われても」

「何を言うか。〈サイ〉が実現したって所詮、対面のコミュニケーションにしか使えないじゃないか。デジタルデバイスなら、たちどころに情報を更新できて、ワールドワイドに広く共有することもできる。電子教科書を見てご覧なさい。〈サイ〉にできることと言ったら、せいぜい一子相伝のわざを伝える程度だ」

「それがすごいことなんですよ。かつては長い理不尽な修業を経てしか伝えられなかった……」

「長い修業が必要なものは長い修業で身に付ければいいんです」


 わたしはため息をつく。よく知らないが、そっくり同じことを電子出版だって経験したはずなのに。きっと紙と印刷によるメディアがどんなに素晴らしくて、手触りや、重みの違いや多様性の中にこそ重要なものがあって、一方、電子出版がいかに味気なくて、文化を切り売りにしてとか何とか。これから何百年かして、〈サイ〉よりももっとすごい技術が登場したら、やっぱりその時代の〈サイ〉業界の人間はこんな愚劣な言葉を吐くのだろうか。


(「電子出版」ordered by delphi-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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