第14話 賤ケ谷にて
北陸の方に独立国ができたと聞いたので友人と誘い合って行ってみることにした。
電車を乗り継いで新潟県に入ったあたりで、検札の省略を告げにきた乗務員をつかまえ、そろそろ独立国かと尋ねたが、さっぱり要領を得なかった。どうも独立国のことを知らなかったらしい。独立国のことを知らない人に向かって「このへんに独立国ができたそうですが、どのあたりですか」なんて尋ねたら、こっちの頭がおかしいと思われても仕方ない。事実その乗務員は怯えたような表情を浮かべてそそくさと隣の車輛に移ってしまった。近くで聞いていた人たちも似たような反応を示し、気がつくと我々は非常に浮いた存在になっていた。別に元々目を合わせていたわけじゃないが、気分的に「目を合わせないようにしている」気配がひしひしと伝わってくる。大層居心地が悪い。
とにもかくにも北陸をめざそうというので北陸本線に乗り換えて、もうあまり迂闊な発言はするまいと黙って乗っていたら眠ってしまった。富山を過ぎ高岡のあたりで電車を乗り換えたような気もするがその辺があまり定かじゃない。ああここだ、などと思って電車を降りて、駅前の乗り場からタクシーに乗って、おそるおそる「なんか噂で聞いたらこのあたりに」と話し始めると「ああ賤ケ谷」とさえぎられた。
「シズガヤ?」
「はい。独立国のことでしょ。ご案内しますよ」と言われた。
あ、ここでは話が通じるんだと思うと、そういうことでもなかった。
「お客さん東京の方?」
厳密に言うとわたしは東京の出身ではないが、いま暮らしているのは東京なので、「はい、まあ」と返事した。
「じゃ、日本からだ」
こともなげにタクシーの運転手が言うのであっけにとられた。
「え? じゃあここもう」
「そうだよ」
「日本じゃないの?」
「そう見える?」
「……いや」
タクシーの運転手は大笑いして、それから饒舌に解説をしてくれた。このあたりは元々クニの意識が強かったこと、一度だってどこのクニにだって属したつもりはないこと、前の幕府(「前の幕府」と確かに運転手は言った)や明治政府なんかが偉そうにやってきたときもいつだって適当にいなしてきたこと。
「あんたたちだって大陸相手にずっとそうやってきただろ?」
そんなこと言われても相槌の打ちようもない。「ずっと」って、一体いつの時代の話だ。
「だからさ、別に本当は独立なんて言わなくていいんだよ」
運転手は少し苦々しげに言った
「え? じゃあ独立国って言うのは」
「若いのがさ、勝手に始めたんだよね。独立なんて言った時点でもう、それまでは属してましたって言っちゃってるようなもんでしょ? ほんとバカなんだからあいつら」
「あいつらって」
「行政府の奴らですよ」
「ギョウセイフ?」
「なんていうか、独立国の政府です」
「ああ」
「大統領とか首相とか」
「大統領がいるんですか?」
「うちのバカ息子なんですけどね」
「ああ。……ええ?!」
「ま、だからいまはその大統領官邸に向かってるんですが」タクシーの運転手は実に情けなさそうに言った。「要するに、おれんちなんですけどね」
我々は絶句した。絶句すると同時に、ここで初めてこの運転手は頭がおかしいのかもしれないということに思い当たったのだ。さらに追い討ちをかけるようなことが起こった。我々の沈黙をどう受けとめたのか運転手は少しだけ誇らしげに言った。
「ま、だから、あれですよ。おれなんかはバカバカしいと思ってるんですけどね、この車は一応大統領も使う、ほら何て言うんですか? あれです公用車扱いなんです」
「は、はあ」
「そこにミニバーがあるでしょ」
確かに足元にミニバーがついていた。
「中のお酒、好きなようにやっちゃっていいですよ」
「へ、へへへ」
我々は顔を見合わせ、とりあえずミニバーをあけてみることにした。
「この辺あたりじゃ、どんなお酒を造っているん……」
ですか、と尋ねるつもりだったが言葉が続かなかった。ミニバーの中には洋酒のボトルがズラリと並んでいたのだ。それも同じものばかり。ラベルを読むと全部ザ・グレンリベット15年だとわかった。
* * *
タクシーは、いや、大統領公用車は川沿いを上流へと向かい、徐々に周囲の景色が里から山へと変わろうとしていた。渓流の水は澄んで午後早い日差しを受けてきらきらと光の粒を飛ばしていた。周囲の緑が濃くなり、木々の切れ間からくっきりとやけに濃く青い空が見えていた。私は急に不安になってきた。この頭のおかしな運転手は我々をどこに連れていく気なのだろう。不案内な土地でいきなり山奥に連れていかれるほど不安な話はない。誘拐。強盗。拉致。人身売買。臓器売買。死体遺棄。さまざまな不吉な想像が頭を駆け巡る。友人の顔を見るとやはり不安げな表情でこちらを見ていて、私と目が合うと大きくうなずいて口を開いた。
「えっとこれはいったい」
ボトルを一本取り出しながら友人が口ごもった。
そっちかよ。
おまえはそれが不安だったのかよ。
「ザ・グレンリベット15年」すかさず運転手が引き取った。「フレンチオークの新樽で仕上げた個性的な味わい。ザ・グレンリベットは政府公認第一号の蒸留所となり、全てのシングルモルトの原点といわれています。そもそもお客さん、ザ・グレンリベットに定冠詞の『ザ』がついている理由をごぞんじ……」
「えっ。ちょっと待って」気になる単語が出てきたので私は割り込んでたずねた。「その政府と言うのは?」
「政府?」
「いま政府公認って言いませんでした?」
「いや。それはあの、イギリス政府なんですがね」
「イギリス政府? じゃあここはイギリスの支配下にあるんですか?」
「あーいや」急に運転手の声のトーンが落ちた。「それは別にそういうことじゃ」
「は?」あまりにいい加減な話なのでだんだん腹がたってきて、つい語気が荒くなった。「じゃあなんで」
「あ。着きました」
運転手は言うと、大きくハンドルを切ってタクシーを敷地内に進めた。我々はあんぐりと口を開けてその光景に目を見張った。
我々の乗った車はさきほどまでの渓谷を抜けて、いつしか山の中の湖畔に沿った道を走っていたのだが、車はその湖に浮かぶ島に向かって橋に差し掛かったところだった。橋の向こうは巨大な城門になっていて、その島全体がひとつの大きな屋敷になっていた。それはほとんど城と呼んでいい規模のものだった。
「ここはいったい」
ルームミラー越しにちらっとこっちを見た運転手は恥ずかしそうに微笑んで答えた。
「あ、おれんちなんですけどね」
* * *
タクシー改め大統領公用車の運転手が言うところの「おれんち」は、小さな町だった。そこにはたくさんの住民がそれぞれの住居で暮らしていて、店舗が軒を連ね、日本の交番も日本郵政の郵便局もあった。城下町と言っていいだろう。ただそのすべてが運転手の言う「おれんち」の中にあった。ほら話かと思ったらそうではなく、事実そこは運転手一族の土地なのだった。その息子、二十歳そこそこにしか見えない大統領は我々を歓迎してくれ、国賓として扱ってくれた。
もっとも歓待のためと称して連れていってくれたのは城下町にある、大統領お気に入りの焼き肉屋とキャバレーだったのだが。キャバレーでは生バンドがジャズを演奏し踊り子と呼びたいような古風なダンサーによるショーが繰り広げられていた。それはこんな山奥で見られるとは思いもよらないほど本格的なショーで、我々はまたあんぐりと口を開くことになる。若い大統領は人懐っこそうな顔つきで我々の顔を覗き込み目をキラキラさせて、ね、いいでしょ?すごいでしょ?と言う。
「乾杯!」
大統領が手元のグラスを掲げるので我々も慌ててグラスを掲げ口に運ぶ。そしてテーブルに並ぶボトルに気づいて尋ねてみた。
「で、なんでザ・グレンリベット15年なんです?」
「洒落ですよ、洒落」
「洒落とは」
「グレンリベットって、ゲール語で『静かな谷』って意味なんです」
「はあ」
「で、ここはシズガヤ。賤が谷なんて難しい字を書きますが、元々の意味はやっぱり静かな谷です」
「じゃ、15年っていうのは」
「独立して15年になるからですよ」
「え、そんなに?」運転手の口ぶりではつい最近独立したような話だったので混乱した。「じゃ、大統領は何代目なんです?」
「何代目?」若い大統領はちょっと不思議そうに首をかしげてから言った。「ぼくが初代大統領ですけど?」
「だってそんな若いのに」
「やだなあ」青年大統領は明るく笑って言った。「ぼくもう今年で190歳なんですよ」
(「ザ・グレンリベット15年」ordered by delphi-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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