第13話 指名手配の男
熱烈なホームジアン(アメリカ風に言うならばシャーロキアン)ならば、誰しも考えたことがあるだろう。4つの長編と56の短編以外にもホームズに活躍してほしいと。彼とワトソンとの会話をもっと聞きたい。そしてワトソンを辟易させるような化学実験やコカイン癖などの奇癖に関するエピソードを知りたい。あるいは、秘めた思いを込めてヴァイオリンを演奏する孤独な姿に触れたいと。いやいや。もっと単純に、超能力としか思えないあの卓抜した推理を一つでも二つでも多く聞かせてほしいと。
わたしが『指名手配の男』を書いたのはまさにそういう理由からであった。当時まだサー・アーサー・コナン・ドイルはシャーロック・ホームズシリーズを書き続けていたが、『帰還』以降はいやいや書いているのがはっきりわかった。そう遠からずまたホームズを殺すか、失踪させるのは間違いないと思われた。聞く所によると要するにサーは、あのくだらない空想科学物や冒険物を書きたいらしいのだ。そしてホームズを書くことに飽き飽きしているから殺したいらしいのだ。そんな馬鹿げた話があるか?
もしサー・アーサー・コナン・ドイルがこれ以上ホームズ物を書きたくないというのなら、わたしが代わりに書いてもいい。そう思いついた。そうだ。読みたいものは自分で書くしかない。それをサー・アーサー・コナン・ドイルが認めてくれさえすれば、晴れてサーはくだらないチャレンジャー博士シリーズを書き続け、同時にシャーロック・ホームズシリーズも世の中に出し続けることができる。
アイデアは次々と湧いてきた。最初の作品が『指名手配の男』だ。人間がまるで神隠しのように消え失せてしまったら。そしてホームズが目の前で犯人に逃げられてしまったら。そんなシチュエーションに置かれたらプライドの高いホームズはどうするだろう。そしてどのように解決するだろう。
そこで考えたのがこういうプロットだ。スコットランドヤードの依頼で、大西洋航路を渡ってくる指名手配犯を待ち受けるホームズ。けれども脱出不能のはずの船上から犯人はこつ然と姿を消してしまう。途中どこかに寄港したわけではない。予備のボートもなくなっていない。指名手配の男は船の上にまだいるか、最初からいなかったかのどちらかしかないのだ。ニューヨークから乗船したことは間違いない。船内をくまなく探しまわるホームズはやがて床材の間に挟まれた新聞の切れ端に気づく。建造中に誤って取り残されたらしいその新聞の日付は……。
書き上げたわたしは、自分で言うのも恥ずかしいが、これはまさしくシャーロック・ホームズシリーズの中の1篇だと感じた。わたしはカーボンコピーを取りながらタイプを打ち、サー・アーサー・コナン・ドイルに共著名義で出さないかと持ちかけた。サーの返事は共著はいやだ、プロットを10ギニーで買い取るという物だった。10ギニーは受け取ったが、結局サーはそれをリライトもしなかったし、いかなる形でも作品にしようとしなかった。ホームズ物なんか全然書きたくなかったのだ。そう気づいてわたしはまた次の作品を書いた。その出来は『指名手配の男』をはるかに上回る物だった。サー自身の手になる作品としか思えなかった。
その作品に対する反応は違った。そのまま使うので100ギニー払う。ただしこのことは絶対に他言無用とのことだった。次の作品も。その次の作品も。1948年に誰かおせっかいな人間が『指名手配の男』の原稿を見つけて“61番目のシャーロックホームズもの”として発表した時、わたしは思った。この作品は10ギニーしか貰っていない。他言無用とも言われていない。だからそれがわたしの作品だということを公表しよう。そうすればあるいは、『事件簿』に収録されている作品の半数以上がわたしの作品だということに誰かが気づいてくれるかもしれないから。
(「シャーロックホームズ」ordered by 編集S-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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